筑波本では「父方の祖父はすでに六十二歳で亡くなっていた」としか書かれていませんが、墓碑銘によると実際には祖父が亡くなったのは大正7年(1918年)7月でした。つまり、都井家では
- 祖父: 大正7年7月18日
- 父: 大正7年12月21日
- 母: 大正8年4月27日
と、1年足らずの間に相次いで3人が亡くなったことになります。
津山事件をモチーフにした映画「丑三つの村」のDVDが2月25日に発売されます。一般的には田中美佐子のヌードが売りでしょうが(笑)、迫力の映像で津山事件に興味がある方にもオススメです。ただし、血がドバドバ流れますのでそういうのが苦手な方はやめておいた方がよいかもしれません。
古尾谷雅人が自殺する直前に、今度は自分が監督してリメイクしたい、と言っていたという話もありますが……
これも津山事件関係の書籍によくある表現で、「都井睦雄は、生まれた倉見と育った貝尾を見下ろせる荒坂峠の山頂付近で自殺した」という話があります。ところが、荒坂峠で一番見晴らしがいい上の場所からは、倉見も貝尾も見えません。倉見は15kmほど離れているのでそもそも見えるはずがありませんし、貝尾は上の写真のもうちょっと右の方で山の陰になるので見ることはできません。
倉見・荒坂峠・貝尾の位置関係
(2010年2月14日注記)
その後の調べで、荒坂峠の頂上から貝尾は見えることが判明しました。こちらをご参照ください。お詫びして訂正いたします。
ちょっと海外出張等の関係で間が空いてしまいました。
本日の画像は『加茂町史』です。Wikipediaの津山事件の項目にも書かれていて、半ば都市伝説のようになっている
また、この事件の発生から70年が経った現在でも、現地ではタブー視扱いとされている。
1975年に刊行された『加茂町史』では、本事件について「都井睦雄事件が発生した」という記述に留められている。
という話の出典(笑)になる部分です。
確かに『加茂町史』の中に津山事件に関する記述がこの1行しかないことは事実です。しかし、『加茂町史』をひもとくと、別に地元でタブー視されているためにこれだけしか書かれていないわけではなく、津山事件を記述するのにふさわしい章がないために詳しく書けなかったというのが正しいと思われます。経済発達史や政治史、鉄道などのインフラ整備の歴史については詳しく書かれていますが、基本的には平和な山村でもあり、「事件史」というような章はありません。
本日の画像を見ていただいても、かなり唐突な言及のしかたになっているのがご理解いただけると思います。おそらく、加茂町史の執筆者としては、津山事件に触れないのもどうか、かといって適当な章もない、ということでとりあえずここに突っ込んでおいたというところではないでしょうか。本当にタブー視されているのであれば、こんな無理な入れ方はしないと思います。
最近、「不思議ナックルズ VOL.15」に「津山三十人殺し 七十年目の真実」という記事が、「漫画実話ナックルズ」増刊Vol.8 THE WORSTに「津山30人殺し 隠された血の宿命」と題する記事が相次いで掲載されました。
蜂巣敦さんの『「八つ墓村」は実在する』に、事件の被害者の墓について
なかには、「妻 殺戮」と刻まれているものまであった。
という記述があり、読んだときに「いくらなんでもこりゃ嘘だろう」と思っていました。ところが、貝尾を歩いていてひょいと上の方を見上げたら、本当に「妻 殺戮」と書かれた墓を見つけて全身に鳥肌が立ちました。