Monthly Archives: 7月 2008

津山事件: 「妻 殺戮」

『「八つ墓村」は実在する』より『「八つ墓村」は実在する』

蜂巣敦さんの『「八つ墓村」は実在する』に、事件の被害者の墓について

なかには、「妻 殺戮」と刻まれているものまであった。

という記述があり、読んだときに「いくらなんでもこりゃ嘘だろう」と思っていました。ところが、貝尾を歩いていてひょいと上の方を見上げたら、本当に「妻 殺戮」と書かれた墓を見つけて全身に鳥肌が立ちました。

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津山事件: 都井睦雄の姉のうどん店

都井睦雄の姉が経営していたうどん店都井睦雄の姉が経営していたうどん店

「ダークサイドJAPAN」2001年10月号にあった漠然とした情報を元に、ダメもとでとある場所に行ってみたら、本当に都井睦雄のお姉さんが経営していたといううどん店がありました。お姉さんはおそらく1996~97年頃にお亡くなりになったものと思われます。その直前まで元気にこの食堂を経営していたとのことで、もう少し前に津山事件に興味を持って見に行っていれば、と悔やまれます。

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狭山事件入門: OG

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG近影

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居

事件関係者で、まず最初に「自殺」したのがOGです。OGは、被害者の葬式が行われた5月6日の朝に、農薬を飲んで実家の庭にある空井戸に飛び込んで自殺しました。このOGは、下記のような理由で事件への関与を疑われています。

  1. 中学卒業後に被害者宅で作男として住み込みで働いた経験があり、被害者と顔見知りだった。
  2. 翌日、5月7日に結婚式を控えていたにもかかわらず6日に「自殺」した。ちなみに、遺書には「病気に負けた。すまない」と書かれていた。
  3. 被害者宅で作男をした後、PTA会長の兄(「しょうじ」氏)の家で作男をしていたこともある。
  4. 事件当時はS通運(運送会社)に勤務していた。その営業所は、被害者が人を待っているような姿を目撃された第一ガードのそばにあった。
  5. S通運では、被害者の遺体に付随していたタオルや手ぬぐいの配送を取り扱ったことがあるという話がある。ただし、取り扱っていないという話もあるので確定ではない。
  6. 事件翌日、5月2日頃からノイローゼ状態となり(医師の診断があるわけではなく周囲の人の評)、5月4日(被害者の遺体が発見された日)は会社を無断欠勤した。5月5日は日曜日&こどもの日で元々休みで、6日は月曜日で出勤予定だったが出勤前に「自殺」した。
  7. 筆跡について、脅迫状の筆跡と似ている点と似ていない点が五分五分と刑札から発表された。筆跡鑑定の詳細やOGの筆跡そのものは、石川さんの裁判の中で弁護側から裁判所に何度か正式に証拠開示請求されたがすべて却下されており、公開されていない。
  8. OGの血液型はB型で、被害者の体内に残されていた精液と同じ血液型だった。
  9. 遺体発見現場の近く(200~300m程度の距離)に新居を建築中で、9割方できあがっていた。この新居に被害者の遺体を隠匿していたのではないかという推理もある。

飛び込んだ井戸は底の方がじめじめしている程度の空井戸でしたが、刑札の公式発表では死因は「溺死」とされました。

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津山事件: スーパーモーニング その2

本日の前のエントリでは興奮してしまって失礼しました。

今回の特集で参考になったことももちろんありました。

  • 地元では殺害された人数は36人と伝えられていたこと。この点については、事件直後から人名込みで30人と報道されており、36人の方が間違いと思われます。
  • 寺井ゆり子(筑波本で使われていた仮名、都井睦雄が最も執着していた女性)が2008年7月現在でまだご存命であること。これも2005年あたりまでご存命であるということは既に報じられていましたが、とりあえず現時点でもご存命であると言うことが確認されました。

しかし、せっかくのTVというメディアで、普段は証言しないような被害者の遺族などの地元の人も話をしてくれているのに、どうもツッコミが足りないというか、事件に対する基礎知識が欠落しているために食い足りない取材になっているのも事実です。「再現イメージ」みたいなつまらん映像を作ってるヒマがあったら、もっときちんと文献を読み込んで取材にあたってほしかったところです。「再現イメージ」なんて、「丑三つの村」から借りてきた方がデキがいいに決まってるんですから。

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津山事件: スーパーモーニング

「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石

本日(2008年7月21日)朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で、津山三十人殺しの特集がありました。先日のトトロ放映に続いてまた本ブログへのアクセス数が増大しています。結論から言うと、何というか、あれだけ短い中でよくもこれだけの間違いを詰め込めるもんだと呆れるデキです。

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津山事件: 都井睦雄の墓 その2

都井睦雄の墓(たぶん)都井睦雄の墓(たぶん)

都井睦雄の墓(たぶん)の裏側都井睦雄の墓(たぶん)の裏側

先日、岡山に行く用事があったのでついでに津山事件ゆかりの地を訪ねてきました。まず最初に倉見にある都井睦雄の墓を訪問しました。倉見というところは、美作加茂駅(この駅もたいがいイナカですが)から10km以上離れた山奥で、「加茂町史」などによるとタタラ製鉄が行われていた、典型的な山村です。現在は近くにダムやキャンプ場などもできて開けていますが、当時は本当に車も通わない山奥だったと思われます。

内容について語る前に、津山事件(津山三十人殺し)が発生したのは西加茂村貝尾(現津山市加茂町行重貝尾)なのに、なぜ都井睦雄の墓が加茂町倉見(現津山市加茂町倉見)にあるのかについて説明が必要でしょうか。ちなみにこの2つの場所は15kmほど離れています。

都井家はもともと倉見の地にあり、睦雄もそこで生まれました。なぜ睦雄が貝尾に移り住んだかと言うと、もともと祖母が貝尾の生まれで、そこから倉見の都井家に嫁入りしていた縁によります。睦雄が2歳の時に父親(祖母の息子)が、3歳で母親が相次いで結核で亡くなったため、残された祖母が睦雄と姉を連れて故郷である貝尾に移り住みました。この経緯には、倉見が当時人里離れた山村だったために祖母が睦雄の教育を心配し、多少でも加茂の町に近い貝尾に出てきたという事情もあるようです。

祖母は筑波本の仮名で言えば「寺井」になっている家の出身で、親類(祖母の甥)も貝尾にいたようです。しかし、事件後はそういった親類筋にあたる家の人間も事件の犯人である睦雄を弔うわけにもいかず、睦雄と祖母の遺体を都井家の人たちが倉見まで引き取ってきて埋葬したそうです。

「不思議ナックルズ」Vol.9によると、下記のような経緯できちんとした墓石ではなく川石(玉石)を墓代わりにしたとのことです。

睦雄の姉は「せめて立派な石塔を作ってやりたい」と願った。しかし、姉の夫は「石塔なんてもってのほか。睦雄の墓だということは絶対他人に知られてはいけない」と言って、結局倉見川から拾ってきた川石を石塔代わりに睦雄の遺体を埋めた上に置いた。

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その他: アクセス数増大

金曜日(7月18日)夜9時頃から当ブログへのアクセス数がめちゃくちゃ増えてます。

普段は1日あたり1,000~2,000PVといったところですが、昨日9時からは1時間でその値を超えるくらいなPVがありました。何事かと思って確認したら、昨日の夜「となりのトトロ」をTVでやってたんですね。全くノーマークでした。

「となりのトトロ 狭山事件」でググって来訪した方々の結構な割合が「狭山事件入門」も見ていってくれています。これでちょっとでも狭山事件に対する世間の関心が向上するとよいのですが。

今回のエントリは出先なので中身が薄くなっています。すいません。今回仕入れたネタ(狭山事件関連ではありません)もありますので、明日以降自宅に戻ったら、せっかく来てくれたお客さんを逃さないためにもちょっと頑張ろうかと思います。では。

「狭山事件入門」入り口はこちら

「となりのトトロ」と狭山事件についてはこちら

狭山事件に関する本はこちら

狭山事件入門: 被害者の家族 その2

サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記

コメントで、被害者の家族がみなポエムのような文章を残しているというご指摘をいただきました。確かにそういう感じなので、既に「狭山事件関連資料」サイトの方に掲載した資料ばかりで恐縮ですが一応ここにまとめておきます。

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