年末に伊吹隼人さんから情報をいただきました。被害者が通っていた川越高校入間川分校の校舎は、入間川分校の廃止後は狭山医師会立准看護学校として使われていましたが、手前にあった狭山市公会堂、後ろ側にあった武道館ともども完全に更地になってしまいました。
最近まであった狭山医師会立准看護学校の建物は、狭山事件の翌年に建て替えられたもので、事件当時そのままではありませんでしたが、それでも事件当時から使われていたと思われる門柱など、当時の面影は随所に残っていました。跡地はとある企業の本社ビルと、分譲マンションになってしまうようです。
現在の駅東口(事件当時は東側に駅はありませんでした)方面も、再開発が進んで事件当時の面影がなくなって行っています。唯一、三柱神社(荒神さま)が、規模は縮小されたものの残っている程度でしょうか。また、佐野屋も建て替えられ、普通の住宅になってしまっています。さらに、佐野屋から権現橋に向かう道路も整備され、所沢方面へ直通する片側2車線の主要道になってしまいました。
既に事件から55年が経過して、私が初めて現地を訪問してからも既に10年、刻一刻と事件の面影は消えて行っています。
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