Tag Archives: 家族

狭山事件: 中日映画社のニュース動画

こちらの記事へのコメントで、狭山事件関係の動画がアップされていることを知りました。ご教示ありがとうございます。

今のところ、3つの動画が上がっています。
タグ:狭山事件

特に、一番最初の動画では、被害者の遺体が掘り出されて運び出され、自宅へ移送される状況や、葬儀の様子、さらには葬儀での同級生の弔辞などが動画で写っています。また、狭山市内での聞き込みの様子なども写っていて、大変参考になります。

この動画の最後に被害者のお墓が写っています。パッと見た感じでは現在の墓所と同じ所のように思いますが、画像が粗くてわかりません(サンプル画像のため、フィルタ処理でわざと荒くしているようです)。オリジナルの映像も見てみたく思います。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。


狭山事件: 「腹違い」と「種違い」

zoku-muzainoshinjijitsu
『狭山事件 続無罪の新事実』

亀な紹介ですいません。以前にとりあげた「被害者は腹違いではなかったか」という質問が裁判で出てきたことに関して、「狭山事件を推理する」サイトにて「おそらくは根拠のない噂レベル」という話が出ています。

『続無罪の新事実』の記述を確認しましたが、確かに亀井氏自身が「僕のある記事にヒントを得て」と明記しています。そもそも亀井本は事実関係にかなり疑義があることはこれまでも本ブログで見てきたとおりです。さらにこの部分は、「狭山事件を推理する」サイト管理人氏も指摘しているとおり、いわゆる「荻原文書」の受け売りであると思われます。したがって、信憑性はほぼゼロといっても差し支えないでしょう。

そういうわけで、今後何か新事実が出てこない限り、この「被害者は腹違い(種違い)」という話は、狭山事件真犯人推理の上ではガセネタとして扱うべきであると思います。

 

狭山事件: 被害者の日記 その4

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

被害者の日記の続きです。

まず気がつくのは、被害者のマジメさが現れている部分です。

中学生が立ち食いしているのは、みっともない。そのみっともないことを、自分はどうしてするのだろう。今度こそ、かならずやめよう。

また、被害者の男子に対する態度も、ういういしい、中学生らしいものだと思います(本日掲載したのは1月から3月の部分なので、被害者はまだ中学3年生でした)。

昼休みのときだった。国語の答案を見に行こうとしたら男子数人が答案を見ていた。そこにMさんもいた。だから私はひき返した。わりこんで行くのが恥ずかしかったからだ。少したって、男子がひきあげたと思って行ってみるとMさんだけ残って、答案合わせをしていた。私はその後ろへ行って答案をそっと見ていた。しばらくすると、Mさんは一人になったのに気がついて、後ろを振り向くと、「チェッ」といって、恥ずかしそうに私と視線を合わせ、去っていった…。

Mさんが道でローラースケートを楽しんでいた。行きも帰りも会い、少し恥ずかしかった。早く私もうまくすべりたい。早く早く。

Mさん、さようなら。胸がいっぱいだった。

この「Mさん」に関する被害者の恋心は、伊吹本(『狭山事件 -46年目の現場と証言』)にも掲載されている日記の他の部分にも現れています。読んでいると思わず萌えてしまうような記述が満載です。

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狭山事件入門: TN

朝日新聞 昭和38年5月13日付朝刊朝日新聞 昭和38年5月13日付朝刊

狭山事件において、2番目の変死者が5月11日に「自殺」したTN(当時31歳、狭山市柏原新田在住)です。

TNの「自殺」の状況は下記の通りです。

  • 5月11日午後8時すぎ、台所で夕食の後片付けをしていた奥さんがうめき声がするので奥の間に行ってみると、TNが鶏を殺す時に使う刃先が三角形にとがったナイフで胸を一突きにしてうつ伏せになって死んでいた
  • TNのすぐ横にはもうすぐ2歳になる子供が眠っていた
  • 隣の部屋ではTNの父が茶を飲みながらテレビを見ていた
  • ナイフはもともと台所にあったもので、奥さんはいつ持ち出したか気がつかなかった
  • 通常、刃物で自殺する際にはためらい傷が見られることが多いが、そのようなためらい傷は一切なかった
  • 胸を刺す際にはナイフをうまく横にして入れなければ肋骨に引っかかってしまって心臓まで刺さらないが、一突きで心臓を刺し貫いていた。
  • 新聞には、刑札の捜査結果として「市議選問題でさる1日ごろから悩み神経衰弱気味だった」と書かれたが、家族の証言ではそのように選挙に深入りしていたことはなかった

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狭山事件入門: OG

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG近影

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居

事件関係者で、まず最初に「自殺」したのがOGです。OGは、被害者の葬式が行われた5月6日の朝に、農薬を飲んで実家の庭にある空井戸に飛び込んで自殺しました。このOGは、下記のような理由で事件への関与を疑われています。

  1. 中学卒業後に被害者宅で作男として住み込みで働いた経験があり、被害者と顔見知りだった。
  2. 翌日、5月7日に結婚式を控えていたにもかかわらず6日に「自殺」した。ちなみに、遺書には「病気に負けた。すまない」と書かれていた。
  3. 被害者宅で作男をした後、PTA会長の兄(「しょうじ」氏)の家で作男をしていたこともある。
  4. 事件当時はS通運(運送会社)に勤務していた。その営業所は、被害者が人を待っているような姿を目撃された第一ガードのそばにあった。
  5. S通運では、被害者の遺体に付随していたタオルや手ぬぐいの配送を取り扱ったことがあるという話がある。ただし、取り扱っていないという話もあるので確定ではない。
  6. 事件翌日、5月2日頃からノイローゼ状態となり(医師の診断があるわけではなく周囲の人の評)、5月4日(被害者の遺体が発見された日)は会社を無断欠勤した。5月5日は日曜日&こどもの日で元々休みで、6日は月曜日で出勤予定だったが出勤前に「自殺」した。
  7. 筆跡について、脅迫状の筆跡と似ている点と似ていない点が五分五分と刑札から発表された。筆跡鑑定の詳細やOGの筆跡そのものは、石川さんの裁判の中で弁護側から裁判所に何度か正式に証拠開示請求されたがすべて却下されており、公開されていない。
  8. OGの血液型はB型で、被害者の体内に残されていた精液と同じ血液型だった。
  9. 遺体発見現場の近く(200~300m程度の距離)に新居を建築中で、9割方できあがっていた。この新居に被害者の遺体を隠匿していたのではないかという推理もある。

飛び込んだ井戸は底の方がじめじめしている程度の空井戸でしたが、刑札の公式発表では死因は「溺死」とされました。

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狭山事件入門: 被害者の家族 その2

サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記

コメントで、被害者の家族がみなポエムのような文章を残しているというご指摘をいただきました。確かにそういう感じなので、既に「狭山事件関連資料」サイトの方に掲載した資料ばかりで恐縮ですが一応ここにまとめておきます。

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狭山事件入門: 被害者の家族

被害者の長兄と次姉とぬこ毎日新聞昭和38年6月23日付より 被害者の長兄と次姉とぬこ

以下、被害者家族の情報です。生年で(?)がついているのは没年齢や事件当時の年齢などから推定したもので、1年くらいのズレがある可能性がありますがご容赦ください。

  • 父親。明治38年(1905年)生まれ。平成2年(1990年)没。
  • 母親。明治41年(1908年)生まれ(?)。昭和28年(1953年)没。享年45。死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死したこともあり、この死に疑問を感じる人もいる。1933年に嫁入りしてきた翌朝、庭に墓石が投げ込まれていたという話がある。
  • 長女。昭和9年(1934年)生まれ(?)。事件の8~9年ほど前に家を出て東京で働いていた。実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に入れてもらえなかった。
  • 長男。昭和12年(1937年)生まれ(?)。ご存命。詳しくは下記。
  • 次女。昭和15年(1940年)生まれ(?)。昭和39年(1964年)没。享年24。自殺だった。詳細は下記。中学卒業後、高校に行かず家業を手伝っていた。さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。
  • 三女。昭和16年(1941年)生まれ。昭和18年(1943年)没。享年3。
  • 次男。昭和19年(1944年)生まれ(?)。昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。
  • 四女。昭和22年(1947年)5月1日生まれ。昭和38年(1963年)5月1日(?)没。享年16。狭山事件の被害者。
  • 三男。昭和27年(1952年)生まれ(?)。後に他家に養子に出た。

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狭山事件: 洋裁生殺し事件 その2

朝日新聞昭和37年11月22日付夕刊朝日新聞昭和37年11月22日付夕刊

前回の続報です。東京の新聞ではこのように報道されています。おそらく、甲斐仁志氏はこの新聞を見て狭山事件を推理する―Vの悲劇の中で「狭山事件の犯人はこの洋裁生殺し事件を参考にした」という論を立てたのではないかと思います。しかし、次回以降で見ていきますが、地元の北海道新聞あたりを見ているとこの犯人はもともとほとんど犯人扱いされていて、刑札が「泳がせ」すぎてこのような心中事件に発展したことがわかります。

ただ、犯人が北海道新聞まで見ていた可能性は低いとも考えられます。当時は当然ながらインターネットで地方紙の記事を見るとか、ELNETで新聞記事を検索するとかということはあり得ません。当時でも国会図書館まで行けば読めたでしょうが、そこまで犯人がやったかどうかというと疑問はあります。その意味で、朝日新聞などの東京の新聞で報道された内容で判断すること自体は間違いではないでしょう。しかし、本日掲載した記事の中にもあるように、この犯人は被害者家族と様々な因縁があったために事件発生当初から最有力容疑者としてマークされていました。その中で身代金目的を偽装しながら身代金を取りに来なかったことがどれだけ意味があるかという点には、前回も書いたように疑問を感じざるを得ません。

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狭山事件: 入門編の身代金受渡しに関する補足 その2

東京新聞昭和38年5月4日付朝刊東京新聞昭和38年5月4日付朝刊

この記事のコメントでご要望をいただいた、より見やすい写真です。マイクロフィルムや縮刷版ではなく、当時配達された新聞そのものが閲覧できる某所の図書館で取ったコピーです。なお、サンケイ新聞はこの図書館に配達された版では違う写真が出ていました。

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