Monthly Archives: 9月 2009

下山事件: 佐藤一さんの新刊が無事出版

以前のエントリでもとりあげた、故・佐藤一さんの新刊が無事出版されたようです。

私(本ブログ管理人)もようやく手に入れたばかりでまだ読了していません。途中まで読んだ感じでは、例によって「事実」の積み重ねで平成三部作のウソを指摘する、その容赦なさがある意味痛快でもあります。

地味な自殺説よりも陰謀論の平成三部作の方が読んでおもしろいし、本も売れるし、「商売」としてはその方が絶対的に正しいのでしょう。しかし、「事実」がどちらにあるかというのは一目瞭然と思います。

下山事件: pH変化による死亡時刻推定の追試 その1 準備編

IMG_1715今回準備した実験器具類

前回のエントリなどで書いたように、昭和24年の下山事件当時に秋谷教授が採用していた試験紙法では測定精度に限界がありました。つまり、たとえpH変化による死亡時刻推定が理論的には正しい物であったとしても、技術的限界から実用になるものではありませんでした。

それに対して、現代の高精度なpHメーターを使用した場合に、本当に秋谷理論が正しいのかどうかを検証してみようというのがこれからご説明する実験の趣旨です。

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下山事件: 試験紙によるpH測定

下山事件において、東大裁判科学教室の秋谷教授が持ち出した「pHによる死後経過時間の推定」については、これまでも何度か批判的な記事を書いてきました。これから数回にわたって、この件についてより詳細なご報告&ご説明をしたいと思います。

まず、ジャブ程度に、以前に書いたエントリでご説明した、「試験紙法で0.2pH単位の精度を確実に出すのは実際には不可能」という内容をより具体的にご説明します。

この実験動画をご覧下さい。

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下山事件: 「全研究下山事件」サイト 発足

旧「下山事件自殺説紹介ブログ」さんがリニューアルされ、「全研究下山事件」サイトとして新たに発足したとのことです。現在のところ工事中のページが多いのですが、従来のブログという形式では難しかった資料性を向上させていきたいとのことで、期待しています。

サイトは↓こちらのバナーをクリックしてください。

現在またまた私(管理人)が海外出張中なので、簡単ですがご紹介まで。

追記: (予告)下山事件関係については最近あまり内容があるエントリを書くことができていませんが、近々かなり大きな内容を掲載する予定です。ご興味がある方は是非引き続き継続して当ブログもご確認いただきたく、よろしくお願いします。

狭山事件: 証拠開示へ一歩前進

埼玉新聞9月11日付記事にて、10日に行われた東京高裁、検察、弁護団の協議の内容の一部が明かされています。それによると、弁護団が求めている証拠を開示するかどうか、検察が10月末までに回答することになったとのことです。

検察は相変わらずかなり渋っているようですが、門野裁判長が「中間報告でもよいから出しなさい」と迫ったとのことで、これで検察が持っている証拠が開示されれば、石川さんの冤罪が証明されることはもちろん、真犯人推理の観点からも大きな前進になるのではないかと思います。

ただし、二審の裁判も、当初は裁判所が石川さんに好意的と言われたにも関わらず無期懲役の判決となりました。まだまだ予断を許さない状況であるとも思います。



狭山事件: 事実調べ実現か

埼玉新聞9月10日付記事で、東京高裁の門野博裁判長、検察、弁護団による協議が行われる(行われた?)とのことです。事実調べ、あるいは検察が持っているという膨大な証拠の開示に向けて、一歩前進する可能性があると思われます。

まだまだ予断は許されませんが、しかし最近の足利事件などの流れを見ても、期待はできると思います。



津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その3

前回エントリで、「結核で1年の間に家族3人が亡くなるものか」という疑問を提示しました。また、コメントでも、「実は死因はインフルエンザだったのではないか」というご指摘をいただきました。

私も、睦雄の両親と祖父の死因が結核ではなくインフルエンザだった可能性があると思っています。ただし、3人ともインフルエンザとすると、逆に今度は3人の死亡日が離れすぎていると思います。というわけで、最初の祖父はインフルエンザで、それが両親にうつって(もしかしたら、父親が軍隊で結核をもらってきて保菌状態だったのかもしれません)抵抗力が落ちて結核を発症、インフルエンザの影響もあって急速に悪化して亡くなったのではないかというのが現時点での推測です。その意味では、筑波本も合同新聞も間違ってはいない、と。

いずれにしても、1年以内に近親者3人を亡くしたおばやんのショックは大きかったでしょう。後年、睦雄が中学に入りたいと言ったときに「わしを置いていくのか」と反対したのも、夫と息子夫婦が相次いで亡くなった後に、ガランとした家にとり残された経験というか、トラウマが原因だったのではないかと思います。

睦雄の両親だけでなく祖父もほぼ同時期に亡くなっていたことを知ったときに個人的に衝撃的だったのは、以上のようなことを考えたことが理由です。中学に進学できなかったことは睦雄が津山事件を起こした理由の一つでもありますし、そもそも祖父と両親が健在なら、睦雄も山奥の中農の跡取りとして幸せな暮らしができただろうと思います。家族の不幸な歴史が、事件に向かって一直線に収束していくような、そんな錯覚も覚えます。