下山事件: pH計について その3

毎日新聞 昭和25年4月23日付毎日新聞 昭和25年4月23日付

前回書いたY会長のお話と周辺の情報を総合すると、下記のようになります。

  • 「秋谷教室にpH計が入ったのは昭和25年(下山事件の翌年)1月」という毎日新聞の報道とY会長のお話は合致している。(毎日の報道は本日の画像を参照。「今年一月に入って(中略)ガラス電極によるPH測定機をとり入れ同教室の設備を完成」云々という記述がある)
  • 下山事件直後は、『下山事件全研究』での塚元助教授(当時)の証言どおり、試験紙を使っていたと考えられる。
  • 当時、試験紙で0.1単位のpH測定精度を出すことは不可能。
  • 事件の1年後でもまだ秋谷教室ではモルモットの死後のpH変化の測定追試を行っている状態であった。従って、1年前の昭和24年当時に、完全に確立された理論・技術ではなかったと思われる。

試験紙でのpH測定に関して補足しておきます。

pHを測定する試験紙で一般的に有名なのは[[リトマス試験紙]]ですが、リトマス試験紙は大雑把な酸性・アルカリ性の判定をするための試験紙で、pHで言えば1単位の測定もぁゃιぃシロモノです。さすがにそれを使っていたと言うことはないと思います。

「これまでPH試験紙(単位○.二以下は測定不能)によつていた」(毎日新聞、上記の本日の画像をご参照ください)という記述や、当時の入手可能性を考慮すると、おそらく秋谷教室で事件当時に使っていたのは[[ブロモチモールブルー|BTB]]試験紙ではないかと思います。BTB試験紙は中性(pH 7)近辺でのpH測定にはかなり有効で、現在でも使われており、たいていのBTB試験紙にはpH0.2単位で標準色が表示されています。しかし、これを使えばpH0.2単位の精度が確実に出るかというと、そうは問屋が卸しません。
BTB試験紙の色変化BTB試験紙の色変化
上の写真を見ていただければわかるように、BTB試験紙のpH6.2~6.8くらいの色変化(秋谷教授のpHによる死亡時刻推定において最も重要な部分)はかなり微妙です。「太陽が黄色く見える」という俗諺もあるように、同じ人が実験しても体調等によって「色」の判定には主観が入り込みやすいところです。また、試験紙を使うときに一番問題になるのは濡れ方で、サンプル水に漬けて色が変化しても、引き上げて標準色チャートと照合するまでに乾いて色が褪せてしまうという技術的な問題があります。昭和24年当時だと標準色チャートの印刷精度(色がちゃんと出ているかどうか)の問題もあり、このあたりのpHの判定には主観が入り込む余地が大いにあったと思われます。

さらに、秋谷教授自身も指摘していますが、筋肉というタンパク質を破砕した水溶液をサンプルとしていることによって、サンプル水そのものに着色・濁りがあることによる誤差もあります。

現在では、試験紙ではなくBTBの試薬で、比色計や分光光度計という「色」を数値として読み取る機械(吸光度測定)を使ったり、サンプルゼロと試薬に反応させたサンプルの吸光度を比較して測定するなどの手法でこのあたりの誤差は解決可能です。あるいは、根本的に原理の異なるガラス電極法を使うことでも高精度の測定が可能です。しかし、当時の秋谷教室にそのような分析を求めるのは酷というものでしょう。

結論として、昭和24年当時の秋谷教室のpH測定には、最高でもpH0.2単位の精度しかなかったことが100%確実な客観的事実として断定できます。実際にはそれ以下、おそらくはpH0.4~0.5程度の精度だったことが、かなり高い確度で推定できます。この精度では、秋谷教授が提唱するpHによる死亡時刻推定は、その理論的根拠の是非を抜きにしても、技術的に最低でも数時間、おそらくは数十時間の誤差があったものと断言できます。

2 thoughts on “下山事件: pH計について その3”

  1. 試験紙とはそういう感じのものだったのですね、やっとイメージできました。この死後経過時間測定法は、方法としての未熟さと秋谷氏や古畑氏による派手な宣伝が非常にアンバランスですね。1969年出版の『資料・下山事件』の時点ですら、古畑氏はこの方法の有用性を強調してますが一体どういうお考えだったのかと・・・。

  2. 古畑教授や秋谷教授は、悪気があったのではなく本気で信じていたんではないかという気がします。「白い巨塔」を持ち出すまでもなく、当時大学教授というのはものすごくエライ方々で、実験やら解剖やらはシモジモの助教授・講師以下に任せるのが当たり前、ご自分はそれをまとめて論文として発表する(あるいは助教授以下が書いた原稿を自分の名前で発表する)のがお仕事だったわけです。そんな環境で、自分が提唱した、あるいは海外から持ち込んだ理論を裏付けるような実験結果が上がってきたときに「このpH測定方法は本当に大丈夫か」みたいなことを確認することはなかったのではないかと思います。古畑教授に至ってはその理論や実験結果を秋谷教授から「また聞き」している状態で、ご自身できちんと検証されたこともなく、秋谷教授が大丈夫と言って学会でも発表しているから大丈夫という程度の判断をされていたのではないでしょうか。

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