下山事件: pH変化による死亡時刻推定の追試 その2 結果編

graph実験結果

と、いうわけで実験結果です。

最初に、実験の概要を書いておきます。基本的には、pHプローブを使用してpHを測定していること以外は、秋谷教授の実験にほぼ即した方法で実験を行っています。

IMG_1726肉刺し式pHプローブ
切り出した肉にpHプローブを刺しているところの写真を撮るのを忘れました。すいません。

  • 皮をはいでムネ肉とモモ肉を取り出し、脂肪分を除去して消毒用エタノールで表面をよく洗って消毒します。
  • 部位別に50g程度の肉を切り出し、下記のような温度で放置して経過を見ます。
    • サンプル1: ムネ肉を30℃で保存
    • サンプル2: モモ肉、30℃
    • サンプル3: ムネ肉、室温(エアコンの前、ほぼ20~22℃程度)
    • サンプル4: ムネ肉、冷蔵庫
  • 測定はpHメーター(ISFET方式肉刺しプローブ)で行います。このとき、できるだけ同じ位置に刺してpH変化を確認します。
  • pHメーターはpH 4.01と6.86の2点で校正します。
  • 別途で、5gに小分けしたムネ肉をいくつか作り、30℃で放置して試験紙法によってpH変化を測定します。(試験紙法による測定結果は次回掲載します)

秋谷教授の実験では30℃に保って測定を行っていますが、温度による差異があるかどうかを確認するため、対照サンプルとして室温と冷蔵庫で保管したものも用意しました。また、部位による差異があるかどうかの対照として、モモ肉のサンプルも使用しました。

pHメーターによる測定結果グラフが一番上に示したグラフです。
横軸は時間です。0時間は午前11時で、シメたのは前日午前6~8時(さすがにシメた正確な時刻はわからないとのことです)なので、スタート時点で死後27~29時間程度が経過していることになります。実験開始から40時間程度までのpH変化を確認しましたので、おおよそ(平均すると)28時間~68時間後のpH変化と見ていただければよいのではないかと思います。

結果として、秋谷教授が示したようなきれいなグラフにはならないことが判明しました。全体的にいったん下がってから上がっていくような傾向はありますが、秋谷教授が言うような「標準曲線に重ね合わせる」ような作業ができるグラフではないことは一目瞭然と思います。

また、秋谷教授のグラフではpHが最終的にはスタート時より1.5近くも上がることになっていますが、実際にはそこまで大幅な上昇も示しませんでした。
温度や部位の影響は全くわかりません。というより、温度や部位の影響を解析できるようなグラフにすらなりませんでした。ある意味で意外だったのは、冷蔵庫で保管したサンプルが一番pHの上昇が早かったことです。理由はまったくわかりません。

この実験結果から、秋谷教授のpH法による死後経過時間推定は、現在のpH測定技術をもってしても実用になるものではないという結論となります。以前にも書きましたが、「30分以内の精度で推定可能」というのであれば、多少の保管温度の違いや部位の違いがあっても、例外なくある程度の誤差を持って同じような曲線を描く必要があります。今回の実験で反証が示されたことで、秋谷教授の理論が理論そのものとして成立していないことは明白です。

なお、この結論は予想していました。なぜなら、現代の法医学の教科書にpH法による死後経過時間推定は載っていないからです。少なくとも私が目を通した2~3冊の教科書には載っていませんでした。もし理論的には妥当だが実験誤差などで応用が難しいといった位置づけであれば参考程度にでも掲載されると思いますが、理論的にもお話にならないということで、方法自体が法医学的に忘れ去られているということでしょう。

というわけで、秋谷教授がpH法によって推定した下山総裁の死亡時刻:午後九時プラスマイナス二時間は信頼がおける数字では全くないこと、従ってこの推定時刻を根拠に下山総裁が轢断される前に死亡していたという議論をすることは無意味であることを、改めてここに断言します。

4 thoughts on “下山事件: pH変化による死亡時刻推定の追試 その2 結果編”

  1. 一連のエントリ、興味深く読ませていただきました。グラフのうねうねと曲がりくねったpH曲線を見れば、標準曲線と死亡時刻不明の死体筋肉のpH曲線を重ね合わせて死後経過時間を推定するという、この方法の実用性・有用性がどれほどのものか、視覚的、直観的に一目瞭然と思います。

    同一個体を使っても保存方法や部位によってここまで大きな差が出るということ、つまり応用には耐えない方法であることは、いくら60年前であろうが判っていたはずで、私が異常だと思うのは、ある程度の批判はあったとはいえ、この方法が当時まかり通ったという事実です。以前の足利事件のエントリも読ませていただくと、これを60年前のこととして笑うわけにもいきませんね。人は大学や科学といった権威にいかに弱いかということだと思います。

  2. おっしゃるとおりで、こんなトンデモな方法が一時的にでもそれなりの信憑性をもって通用していたというのは、やはり東大教授という肩書きが大きくモノを言ったんだと思います。

    実は、秋谷教授は狭山事件の裁判で、脅迫状に使われた筆記具が何だったかという鑑定書を書いた証人として証言に立っています。その時は既に東大教授を退官(名誉教授の肩書きは残る)し、昭和大学教授(薬学部長)でした。肩書きに縛られなくなったせいなのか、わからないことは「わからない」と明言するなど、全体的にまっとうな証言をしています。

    やはり、地位とか権力というのは人を変えてしまうんだな、と。それでも肩書きだけで信用してしまう人も、裁判官やマスコミ諸氏を含めて多いんだな、とも思います。

    ちなみに、保存方法や部位による差というより、そもそも同じサンプル肉でも、pHセンサを刺す場所を1cmほどずらすだけでpH 0.2くらいの差はすぐに出るような状況でした。秋谷教授は5gずつ別々に肉を取り分けて順次分析していったとのことですが、それで本当に意味のあるデータが取れたのかどうか。秋谷教授の法医学会での発表にサンプル数nが入っていなかったことと併せて、データの信憑性に大きく疑問符が付くと思います。

  3. こんにちは。本日「下山事件全研究」を読了いたしました。これほどの名著が今日まで埋もれていたとは、残念です。私は矢田氏や柴田氏の作も読んでいましたが、この本の緻密さには到底及ばないでしょう。
    わたしの印象としては、下山氏が「他殺」であればこそ「陰謀・謀略」が必要とされるのではないか。と考えます。いわば結果として「殺された」のではなく、前提として「殺される」必要がある。ということです。
    その「前提条件」である、「他殺」という鑑定に対して、貴サイトや「全研究」サイトさんのような検証によって、その信頼性に疑う余地が大いにあるとなれば、「陰謀説」はかなり分が悪くなるのでしょうね。
    管理人さん、お忙しい中の実験、お疲れ様でした。

  4. コメントありがとうございます。

    「全研究」は名著と呼べるもので、自殺説をとるにしても他殺説をとるにしても、まずこの本を読んでいないとお話にならないと思います。平成三部作の著者たちは、どういうわけかこぞってこの本を無視していますけど。

    陰謀論を展開したいからこその他殺説というのもおっしゃるとおりだと思います。結局のところ、陰謀論の方が本も雑誌も売れる、その点に尽きるんでしょう。都合が悪いことは全部隠したり、ウソを書いても、どうせごく一部のマニアックな人間(笑)しか確認しないから大丈夫、という考えもあると思います。

    ちなみに、亡くなった佐藤一さんの新刊が出版されました。
    まだ多忙で読了していませんが、圧倒的な「事実」の積み重ねで平成三部作をコテンパンにしています。

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