これまで何回かに分けて川越高校入間川分校の校舎と自転車置場の場所を論じたのは、実は、私がこの証言を読んで感じた違和感についてご説明するためでした。
その違和感とは、要するに、「被害者がいったん学校に戻ってきた時に、自転車置場に自転車を戻すのはめんどくさくないか?」ということです。
上記リンク先の証言が確かだとすると、被害者が午後2:35の授業終了後、HR(ホームルーム)を待たずに自転車をころがしながら教室前を通って学校を出ていったことは明らかです。他方で、裁判でも証言したNTさん証言により、被害者が午後3:23に同様に自転車をころがしながら教室前を通って学校を出て行ったことも明らかです。この2つの「明らか」な証言の整合性を取るには、これまで何度かご説明しているように、また、伊吹隼人さんにも何度かコメントで言及していただいているように、「被害者は、2時半すぎに教室を出たがいったん戻ってきて、3時半に再度教室を出た」というのが最も合理的な説明となります。
しかしよく考えると、いったん戻ってきた時にわざわざ自転車置場へ自転車を戻すのは結構めんどうです。
川越高校入間川分校(現・狭山市医師会立准看護学校)は高台に建っています。そのため、そこに行く道は上り坂になっています。現地に行ったことがある方はご存じと思いますが、この坂はかなり急で、自転車で登るのはかなり大変です。
川越高校入間川分校正門に通じる道(現在)
分校正門へは、写真の左下の方から上がってきて右端で折り返して坂を登る形になる。正門は写真左上
さらに、自転車置場が正門の反対側にあり、私が推測したように校舎をぐるっと回らないといけない場所にあったとすると、そこまで行って自転車を置いて、生徒昇降口から教室に戻るのも結構めんどうな作業に思います。
いったん外出したあとで教室に戻った際には、長くても30分、おそらくは15分くらいしたらまた出なくてはいけないことを被害者は自覚していたはずです。急坂を登って、さらにわざわざ正門から見て校舎の反対側の置場まで自転車を持って行かなくても、坂の下のあたりに停めてカギをかけておくとか、校舎の入口付近にちょっと放置してもええやんと思うんじゃないかというのが、生来のモノグサである私(本ブログ管理人)が感じた疑問です。
伝えられる被害者の(私と違って(笑))真面目な性格からすると、このような短時間でも路駐したり校舎入り口付近に自転車を放置することはいけないことだということで、めんどくさくてもきちんと自転車置場に戻したという考え方もできます。したがって、現時点では私は「被害者は2:35過ぎにいったん外出して、戻ってきて3:23に改めて教室を出て行った説が最も妥当である」という考えは変えていません。ただし、上記のようなことを考え合わせると、以前は鉄板と思っていたこの説にも多少の疑義が出てきたかな、といったところです。
当日の狭山地方は2:00~2:55まで小雨が降っていたことを考慮すると、「サドルが雨に濡れるのが嫌だからきちんと自転車置場まで戻した」という考え方も可能です。しかし、OTくんとの出会い時間等を考慮すると教室にいったん戻ってきたのは3時過ぎと思われるため、その可能性も低いように思います。
本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。また、とらのあな通販もご利用ください。
ご無沙汰しています。久しぶりにコメントさせて頂きます。
管理人さんが仰っているように鉄板説もよくよく調べればだんだん怪しくなってくる事にひどく同感しています。
事件発生後50年も経って今まで当たり前であった説が揺らいでくるというのは狭山事件を調べて書いたノンフィクションライター達の怠慢だったんでしょうか?それとも何か意図があったんでしょうか?
あるいはある程度の時間が経過しないと表面化しない事実もあるでしょうから鉄板説が揺らいでくるのかな・・・と思います。
今後の管理人さんの鋭い考察に期待致します。
3秒でございます。気になったので再度コメントさせていただきます。
既に議論されつくしているのかもしれませんが、被害者が15時23分に自転車をコロガシテ校舎を去ろうとしていた時の状況についての疑問です。
15時23分の証言者は電車が発車するのを目撃しながら且つ被害者も目撃しているニュアンスでわたくしは捉えているのですが、被害者の位置は自転車置場、15時23分の証言者の位置は教室(3年生or4年生の教室)としてみると、15時23分の証言者の位置から電車が見えるのか?というのが疑問です。確か分校から東に駅舎及び線路があるかと思いますが、分校は低い地盤の位置にあるので駅舎及び電車が見えるとは思えないのです。
そもそもわたくしの捉えている「電車を見ながらの15時23分・・・」というニュアンスが間違っているのかもしれませんが。
どうしてこのような疑問を抱いたのかを付け加えますと、15時23分の証言者の目撃は本当に事件当日だったのか?という疑惑から始まりました(根拠はありません)。疑えばキリがないのですが、あまりにも目撃記憶が鮮明でホンマかいな!と突っ込みを入れたくなります。
3秒様
コメントありがとうございます。
ちょっと今出先なので一言だけ。
午後3時23分の証言者(NTさん)は、電車と被害者を同時に目撃したわけではありません。彼女が普段乗る電車が午後3時24分発で、放課後ふと時計を見たらもう3時23分だった、それで「あと1分では間に合わないな」と思ったところに被害者が自転車をコロガシナガラ教室の外を通った、だから3時23分だったことは鮮明に覚えている、というのが証言内容です。
また、分校教室の窓からは電車を見ることはできなかったと思われます。下記の写真で、中央下に写っている校庭とそのすぐ左上の長い校舎が入間川小学校で、その左上にある切妻屋根の建物が分校です。木造当時の分校は平屋建ですし、入間川小学校のある場所は小高い丘になっていますので、小学校校舎が邪魔をして駅は見えなかったと思います。
分校周辺航空写真(昭和36年(1961年)11月5日)
管理人様
早速、ご教示頂きありがとうございました。
午後3時23分の証言者(NTさん)がふと見たのは時計だけだったんですね。わたくしは「発車する電車を見て、あぁシマッタ!」という状況を想定していました。
それにしてもこの証言者は教室で何をしていたのでしょうね?この証言者さんの下校は学校から駅まで徒歩で移動するとすれば、校門が駅とは反対側にあるというハンデを考えて午後3時10分頃には校門を出ないといつもの電車には間に合わなくなりそうです。約15分も迂闊な時間を過ごしてしまったのか、重要な用向きで学校を出るのが遅れてしまったのか?どうでも良い事のようですが、どうでも良い事が気になってしまいます。
すいません。証言者(NTさん)がなぜいつもの電車に乗り遅れたのか、教室で何をしていたのかは、もしかしたら証言にあったかもしれませんが記憶にありません。今出張中なので、戻ったら確認してみます。
3秒です。話し反れるんですがご容赦下さい。事件当日、被害者は速攻で下校をしたが、思わぬ誤算で再び学校に舞い戻ったということで納得しています。ただ一点、であればどうして「郵便局」に寄ったのが午後3時半頃になったのか?が引っ掛かっています。被害者は学校で早く帰る事を吹聴しまくっています。学校へ舞い戻る予定はないということになるので午後2時45分頃には郵便局へ顔を出しているハズです。犯人?との待ち合わせ時間までに余裕が無かったので郵便局は次の日に…!というのが答えになりそうですが、被害者は第一回下校後、沢に足をのばしたりして優雅な時を過ごしているようにも思えます。
被害者が郵便局に立ち寄った時間に関しては、郵便局員が証言を変えています。当初は「(被害者)さんが来たのは2時から3時10分の間」と言っていたのを、後に「午後3時半のちょっと前」と変化させていて、どちらが正しいのかについては現時点で確証は得られていないと思います。
確かに道路から分校までは急坂ですし、置き場まで戻すのは面倒な作業と思いますが、それでも被害者が坂下に自転車を置いたままにすることはなかったのでは・・・と思います。
昭和30年代では自転車もまだかなり高価な乗り物でしたが、その割には単純なカギ以外なく(昭和40年代にチェーン式錠が発売された時、私の家では兄が母に「これでもう盗まれる可能性はなくなったね」と話していたのを覚えています)、盗難も結構多かったように記憶しています。当時は「個人情報ウンヌン」などという概念はない時代でしたので、皆自分の自転車には「住所・電話番号・フルネーム」を記しており、長く大切に扱っていました。
〝花嫁教室〟に通う女子生徒が、道に自転車を放置などしていれば、当然教師から注意を受けることもありえたでしょうし、そもそも「生真面目、几帳面、優等生」と評される被害者が、そこでほんの少しの手間を惜しむとも思えません。「雨が降ったり、止んだり」という天候のことも加味すれば、やはり被害者は校内の置き場まで自転車を戻しに行った、と考える方が自然ではないでしょうか?
昔は自転車といえども高価で、そうそう放置するようなものではなかったというのは確かにそうですね。どちらかというと単なる個人的な引っかかりに近いものですので、聞き流して置いていただけると幸いです。
管理人様 伊吹様
話を混ぜっ返すつもりはありませんが、違和感を一つ。
犯人は脅迫状を届ける手段とは言え、被害者の自転車をN家宅の納屋にキチンと格納しているにも関わらず、鞄など被害者の所持品は無造作に遺棄しています。犯人に聞いてみたいです。
被害者の持ち物(鞄、時計、教科書、万年筆等)については、おそらくは犯人が遺棄したままの状態で発見されたわけではなく、石川さんを冤罪に陥れる目的で警察によって操作されていると思います。従って、「犯人に聞いて」も、「なんで俺が捨てた場所と違うところから発見されたのかわからない」と答えるのではないかと。
>被害者の自転車をN家宅の納屋にキチンと格納しているにも関わらず、鞄など被害者の所持品は無造作に遺棄しています。
私は、これはそれぞれの作業を〝担当〟した人間が別々で、その〝性格や意図するところも異なっていた〟ことを暗示するもの、と思っています。
それにしても、被害者の所持品に関しては全く謎だらけですよね。
①カバン→溝の中で発見(実際は芋穴で発見)
②教科書→同上(実際は①のカバンに入っていたと思われる)
③万年筆→石川さん宅のカモイで発見(実際は未発見?)
④腕時計→路上で発見(実際は未発見?)
⑤財布→未発見
⑥ルーズリーフ式手帳→未発見
⑦筆箱→未発見
①②(※発見場所は警察の〝操作〟によるもの)では、犯人が死体を埋めてそのありかを隠そうとしながら、一方ですぐそばの穴に無造作にカバンを遺棄している理由がよく分かりません。
③④は確かに当時としては結構高価な品ですが、質屋に入れればすぐに足が付くし、共に女物なのですから自分で使用することも出来なかったはずで、やはり奪った理由がよく分かりません。
⑤は「高校生としては高額の金(被害者が次兄に借りた千円など)が入っていたから」、⑥は「犯人に関する何かが記されてあったから」、と考えれば理解出来るのですが、⑦は持ち去った理由が不明です。また、警察・弁護団・裁判所らがこれまで⑤⑥⑦の未発見をさほど問題としてこなかったことも、考えてみると非常に不思議に思えます。
公判調書を読み始めたばかりです。石川さんのアリバイに関心があります。
財布は、強姦殺人の際に被害者のポケットからこぼれ落ちたので、そのまま持ち去ったとも考えられますが、「腕時計を遺体からわざわざ外して持ち去った」犯人の行動と心理はどう考えても「???」なんですね。 犯人にとって後々時限爆弾にしかならないと思うのだけど・・・。
遺体から貴金属等を外して持ち去るという事からは、どうしでも「火事場泥棒」のイメージしか湧いてこなくて、いつもここで、推理というか妄想が暴走してしまいます。(笑
①やはり犯人が財布と腕時計を外して持ち去った。
②死体遺棄中に火事場泥棒に遭った。
③②+ついでに死姦されていた。(強姦犯はまったくの別人)
④②+ついでに死体も持ち逃げされた。(脅迫犯はまったくの別人)
⑤遺体発見時に警官が火事場泥棒になった。
・・・まあ一般的に①か⑤なんだろうけど、③とか④だとちょっと面白いですね。
こめおしさんはじめまして。
僕は、①腕時計、財布はお手伝いレベルの下請けチンピラがいた,
②もし刑札とご遺族及び、近しい共同体にとって単独犯ストーリーにしたい、と言う利害が一致したからかも?
③N家に逆恨みしていて直前の選挙で負けた勢力に近しい黒幕がいて、十二分に怨念を表現しながらも、粗暴犯に偽装した。
などと感じてます。
一反木綿さんこんにちは
つたない書き込みにコメントを付けていただきありがとうございます。
人一倍脳構造が単純に出来ている私の妄想では、
①強姦殺人死体遺棄・・・コニュニティー圏外の人間の行きずり犯行。
(勝手に基地関係者を犯人に仮置きしてます。)
②遺体埋葬・脅迫等・・・コニュニティー圏内の人間の犯行。
(勝手にIK氏の元悪仲間だった人を犯人に仮置きしてます。)
①と②は当然全く繋がりがない。
②の犯人は遺棄された遺体を発見し利用しただけで、誰が殺したのかも知らない。
まあ、さすがにここまで単純な事件ならば簡単に解決してしまっていたんでしょうが、いずれにしても永年、頭が良いというか良過ぎる人たちが事件を捏ね回して、複雑になっているのであって、本当の事が解ると「何だ、こんな事だったの」
と、元々は案外単純な事件だったのでは、というのが私の考えの基本です。
この事件から十数年後、西武ライオンズのチーム設立の当時ですら、西武球場がでっかい肥溜めに見え、金に飽かせて集めた他球団のスター選手達(田淵、野村等)もあのブルーのユニフォームを着ると村の青年団にしか見えなかった私には、脳内の狭山界隈ののどかな田舎風景と多くの方々の複雑な推理がなかなか重なり合わなくて・・・・。(汗
こめおしさんが上で、「永年、頭が良いというか良過ぎる人たちが事件を捏ね回して、複雑になっているのであって、本当の事が解ると『何だ、こんな事だったの』と、元々は案外単純な事件だったのでは、というのが私の考えの基本です」と書かれていましたが、私も全く同感です。
これは、つまるところただの〝田舎のおっさん〟達が集まってテキトーにやっただけの犯罪ではないでしょうか? 複数の人間が、ロクに打ち合わせもせずバラバラな行動を取り、さらに警察が証拠の捏造までやってしまったため、結果的に複雑で奇怪な事件になってしまった・・・とみるのが正解かと思います。
脅迫状にしても、「ハイレベルの知性を持った人間が、緻密な計算のもと、幾重もの偽装工作やトリックを張り巡らせて書き上げたもの」「これは〝詩〟の一種」「さまざまな文章技法が用いられている」などとしている方もいますが、私にはただの「まともに学校にも行かなかった人間が頑張って書いた」文章にしか見えません(まあ、短い中でもきちんと要件をまとめていますし、〝地アタマ〟が相当いい人間なのは間違いないと思いますが)。
はじめまして。最近事件関連本を読み始めたばかりです。
色々な情報が錯綜していて唖然としている所でしたが今の流れなら言えそうな気がしました。
動機が中田家への怨恨というのもちょっと考え過ぎな気がするんです。
その家の跡取りでもない娘を殺害して、もちろんご家族個々人の精神的なダメージは計り知れないものがあるでしょうが、家自体は何の損害も受けません。いずれは他家に嫁として出て行く身ですし。復讐計画のほんの序章だったにしては、その後の動きが見えません。特に権力があるわけでもない少女への殺人も辞さないような恨みを抱いておきながら、少々騒ぎになった位で止めてしまうとは思えません。
で、トマトで誕生会後の薄暗い帰り道で、不運にも若い娘さんが不埒な賊の手にかかってしまったという事件なのではないかと思われるんですが・・・
私が、この事件の犯行動機を「怨恨」と考える主な理由は以下の通りです。
①事件後、被害者の父親は「犯人が捕まっても会いたくもないし、写真を見たくもない。犯人の方でも私の顔をみられないだろう。よく知っている人に違いないから」と語っており、明らかに心当たりがあったとみられる。
②犯行が極めて計画的に行われている(Y枝さんを誕生日に親しい人物を使って呼び出している、Y枝さんに〝口止め〟をしている、殺害の事前準備も行っている等)
③N家は事件直前、某政党の某氏を〝追放〟しており、そのことと事件が関係している可能性もある。
④N家は某政党が絡む地域内被差別部落と対立関係にあり、事件2か月前にも一種の「迫害」を行っている。
⑤N家は、当時村内C地区の住民とも対立しており、そのことと事件との関連も想定される。
⑥N家は同時期、家族関係によるトラブルも抱えている(詳細は不明)。
⑥犯行自体が強烈な殺意に基づく極めて残虐なものである。
問題はなぜN家の中でY枝さんが狙われたのか、ということです。確かにおっしゃるとおり、Y枝さんを殺害してもN家そのものには大したダメージは与えられませんし、ただ「やりやすい」ということだけであれば普通、末弟のT君を狙うはずです。
考えられるのは、
①主犯はN家家族のトラブルにも関係しており、そのためY枝さんの存在自体が彼にとっては〝憎悪の対象〟になっていた。
②N家への報復を依頼された従犯が、「どうせなら強姦も兼ねて」と考え、女子高生のY枝さんを狙った。
③E作氏が最も可愛がっていた末娘を殺害することで、犯人がE作氏本人に強烈なダメージを与えようとした。
といったところでしょうか?私は①の線が濃厚だと思っているのですが・・・。
あと、「トマトで誕生祝い」の件ですが、もしお祝いを行った人物が事件に無関係だったのならば、当然その人はすぐ警察に届け出ると思います。黙ったままでいる必要などありませんし、そもそも一緒に誕生祝いをやるほどの間柄の女の子が殺害されたのならば、普通誰でも犯人の早期逮捕を願って、情報提供も積極的に行うのではないでしょうか?
勿論、動機は犯人にしか分からないので、以下妄想です。
①の父親による発言は、私はむしろ「顔が思い浮かぶ様な、特定の人物は想定していない」と取りました。N家は代々続く豪農だそうですが、周囲にはそうではない農家、あるいは分家も多数あるでしょうから、疑い始めればキリが無いくらいだと思います。
②計画的誘拐であれば、目標の普段の行動を調査した上で臨む筈ですが、薄暗いやげん坂を一人で帰ることも多い被害者を、自由行動させて目撃者を量産する必要はないと思います。完全な口止めなどあり得ません。私なら第二ガードで確保に失敗した時点で計画延期、というより最初から通学路で狙います。
③〜⑤であれば、第二、第三の策で父親(あるいは長兄)に直接危害を及ぼすところまで行かなければ恨みを晴らしたとは言えないどころか、憎いN家に同情が集まるだけではと思います。そもそも③〜⑤のようなある意味「義憤」とも言える恨みが「強姦殺人+身代金要求」に化けるというのが少々考えにくいです。強姦殺人以降は丸投げされた手下の暴走というのも無くはないでしょうが、私が首謀者なら目標が人違いではないか位は自分の目で確認する機会を設けますし、すぐに死体を始末するよう指示します。当然、逮捕可能性大の佐野屋などは全力で阻止します。
⑥は家庭内の事にしては他人の手を借り過ぎな印象ですし、家族内でもやはり、富と権力が集中するのは父系のラインであり、末の娘さんが居ても居なくても大勢には影響がないのではという疑念が消えません(詳細不明なので何とも言えませんが)
確かに高校に入ったばかりの少女が強姦されて殺害されている訳ですから残虐極まりない事件ではありますが、とっかかりは「一人歩きの若い女の子に声をかけたが、思い通りにならなかったので押し倒した。醒めたら後の事が恐くなってきて首を締めてしまった」という割とある話に過ぎないものが、犯人(達?)の「どうせここまでやってしまったなら身代金を」という欲によって一気に大風呂敷が広がってしまったのではないかと考えてみました。
トマトの件ですが、どんな犯人像を想定してもどうしてもそこだけが浮いてしまうので、完全な妄想で彼氏だんまり説をひねり出したものです。誕生日の放課後、無事にトマトパーティーを終えた後、気丈な被害者は雨の中一人で自転車を押して帰ると言い張って聞かなかった為、雨具を貸し与えた位で帰してしまう。彼氏が親戚や学校関係者で無ければ、被害者の運命を知るのは山狩り〜死体発見辺りのタイミングになり、恐らく名乗り出るのは相当な勇気が必要でしょう。仮に自分か家族に血液型B型の男性が存在し、そして犯人には全く心当たりが無く、最終目撃者として名乗り出た所で犯人逮捕に結びつくとは思われず、むしろ自分や家族に疑いがかかるだけだとしたら・・・私なら呵責に耐えつつも、やはり黙っていると思います。
もちろん感覚には個人差がありますし、見方もさまざまだと思います。ただ、私の推測するところはかなり違っています。
①の父親の発言ですが、「顔が思い浮かぶ様な、特定の人物は想定していない」のならば、普通やはり「心当たりはまったくない。なぜうちの娘が殺されなければならなかったのか・・・」という、被害者の親にありがちな答え方になったのではないでしょうか?
②の件ですが、確かに薬研坂が犯行現場となった可能性はあるかと思います(私自身、「犯行現場=薬研坂説」は未だ完全に捨て切れていません)。ただ、表札も無いN家に侵入して自転車を納屋に置き、脅迫状を届けていることからみても、「行きずりの犯行」とするのはやはり無理があるような気がします。
薬研坂で待ち伏せて・・・というのも犯人側にとって「良い方法」だったかもしれませんが、ただ不確定要素が多過ぎるのが弱点ともいえます。Y枝さんが坂を通るのは「夕方5時~6時」の間というだけで明確ではなく(しかも自転車で下り坂ですから、かなりのスピードも出ています)、また必ずしも1人とは限りませんし、雨が降れば当然別ルートで帰宅することになります。同時間帯は山本製作所から帰宅する工員たちで一時的に坂は通行量も増えますし、殺害が行えたとしても雑木林の中では死体を埋めることもできません。ですから、長期間に亘る根気強い行動調査と、複数での巧みな連携プレーを取らない限り、これはかなり難しい方法だったのではないかと思います。
なお、「途中での目撃者を皆無」にすることや、「完璧な口止め」を行うことは、この世のいかなる犯行においても不可能です。いざ犯罪を行うとなれば、最低限そのあたりのリスクを負わざるを得ないこと位は、どんな人間でも理解しているのではないでしょうか?
呼び出し役の第二ガードでの行動ですが、これはおそらく待ち合わせ時間・場所の変更を伝えにいったものと思われます。元々が「〝誕生祝い〟を口実に被害者を呼び出す」計画であり、さらには犯人側が複数犯だった場合、現代と違って当日では連絡を取り合う術もなかったのですから、日にちの延期は難しかったのだとも考えられます。
③〜⑥の件は前回コメントした通りで、私はこの事件に関しては、「元々あった家庭の事情に何らかの怨恨が積み重なり、Y枝さんだけがターゲットにされた」ものとみています。強姦殺人以降は〝丸投げ〟と考えられますが、実行犯は「手下」などではなく、ほぼ対等の立場にあった人間だったのではないでしょうか?「死体の始末」に関しては、まだ明るいうちから警察が動き出し、すぐに検問も始まったため、「夜中、車なし」で行うほかなくなったのだと思います。
被害者と最後に会ったのが彼氏で、その日はこっそりデートをしていた・・・とみる方も一部にはいるようです。しかし、事件のことが地元の人々の間で知れ渡ったのは3日朝のことであり(堀兼近辺は〝警官だらけ〟といった状況で、すでに大騒ぎとなっていました)、その日の夜7時には公開捜査となっています。「自分の彼女」が誘拐され、「安否不明」の状態になっているとして、果たしてその彼氏が黙っていられるものでしょうか?加えてその場合、のちに会っていたことがバレれば、その彼氏は無関係であろうと相当に疑われるのは必至です。なお、その日は4時20分以降豪雨となっており、自転車での帰宅は不可能となっていますが、被害者は当日雨具を持っていませんでしたし、誰かから貸し与えられた形跡もありませんでした。Y枝さんが行方不明になってから1時間余りで最初の脅迫が行われているとみられることからも、やはりこれは呼び出した人間=犯人側の人間、と考えるほかないように思います。
「呼び出し役」について私が疑問に思うのは、まず人選が難しい事と、「誕生会」に誘うためにはY枝さんの友人の名前を明確に何人か挙げる必要があろうかと思うのですが、Y枝さんは地元以外の知人が豊富だったとは思えない為、約束を取り付けてから当日までの間に名指しされた当人に会ってしまう可能性も高いという事です。参加者にも内緒にしてくれ、という口止めも無いので—Y枝さん「明日、楽しみにしてる」X君「え、何の事?」—みたいな事態になれば、かなり不信感を抱かれる筈です。最悪、—X君「おかしいな、でもY枝さんの誕生会なら俺も行くよ。明日の3時前に第二ガード?」—みたいな展開にならないとも限らない。殺害自体が目的で、逮捕のリスクは考えないような犯人であっても、目的である殺害までのハードルを自ら増やすようなリスクの取り方はしないのではと思います。もう一つ、これは事後の問題ではありますが、首謀者と実行犯が居たとして、これらは一蓮托生で、どちらかが口を割れば最悪死刑の「強姦・殺人・略取誘拐」の共犯関係だから沈黙を守らざるを得ないとしても、呼び出し役は明らかに罪が軽い為(首謀者=呼び出し役でもなければ)そこから綻びる危険性が高い。
「怨恨から、Y枝さんだけを標的として選定する犯人、父親にはその心当たりがあった」とすると、E作さんは誰が犯人か指を差せるような立場にいたのではないかとも思われる訳ですが、警察にそれを話して逮捕させてしまうと、N家(もしくは自分)の恥が公表されてしまう為、シラを切り通した。犯人もその事をわきまえた上で「少なくとも顔は知っている人」としてその後つきあい続けた・・・という事でしょうか?本当にY枝さんだけで満足してくれるとも限らない訳で、この際恥をしのんで逮捕してもらった方がいくらか安心な気もします。恐らく元気なうちには帰ってはこないでしょうから。N家も自営業な訳ですから、多少名誉を失ったとしても食うには困らないでしょう。心当たりはあるけれど多すぎて特定できないのであったとしたら、益々Y枝さんだけで済むという確信は得られないわけで、とても警察の捜査が行きずり犯方向に迷走していくのを看過できなかったと思われるのですが・・・
というわけで、怨恨説にはやはり疑問が(私としては)残るところなんです。
当初、一連の犯行について、どこまで枝葉を落とせるか考えてみたので、全くの行きずりという所からのスタートになったのですが、あの脅迫状は雨の中、机もない所では書けないし、所持品から家まで割り出すには時間が足りないですね。
ただ、計画性といっても「今はやりの身代金誘拐をやってやろう。そこそこ小額ならいける」「あの娘はどうだ、でかい家に住んでるし、いい体をしてる」「親父は警察には黙ってるだろう。娘が傷物になったって言ってるようなもんだからな」「1日はメーデーだからあの辺の連中も早上がりする」「元々あの家に盗みに入るつもりで下見をした事がある」「以前あの辺で働いてたから土地勘もあるし」「脅迫状ならこの間少時の子供を狙った時のがあるから」位だと考えます。
トマトは別の所で事件とは無関係に食べ、雨具をその家で借りたと見たいです。彼氏といっても高校入学と同時くらいに少々進展があった位の仲で、恋人同士かというとまだそこまで発展する時間が無いとは思います。その事がだんまりの大義名分とはなりませんが、胃の内容物からすると、彼氏の家族も同席していた可能性は高いので、彼氏は善意から警察に報告しようとしたとしても、止める者も居るのではないかと思います。「もう少し沈静化するまで待って」「見られたと勘違いした犯人が口封じに来る危険」「家族内に前科者がいる」「幼児ではないのだから恐らく生きてはいない」「家族全員で口裏を合わせれば会っていた事自体も隠せる筈だ」「実際に犯人を目撃した訳でもないし、彼女の居所の見当もつかないのだから、痛くもない腹を探られるだけ」「彼女が生きて帰ってきたら、その時いくらでも協力してやればいい」等引き止める理由なら数多いですが、出頭させるメリットはほとんどありません。勿論、彼(居たとして)の良心は痛むことでしょうが・・・
心さんこんにちは
男女を問わず、一生で一番食欲旺盛な年代。Yさん達には部活前「隠れチョイめし」の習慣でもあったんじゃないですかね。
放課後(担任教師が教室を出た2:58~下校3:23の間)、本を読む。一時的に(5~10分位)教室を抜け出し、3、4人の卓球仲間と空き教室(割烹室、卓球室?等)に潜り込み、部活前のチョイめし。
この日Yさんは部活はやらずに、何食わぬ顔で教室に戻り、また少し本を読んでから下校。
胃の内容物にまとまりがないのは、3、4人で持ち寄った簡単な漬物、惣菜を適当につっつき合ったからでは?。 朝、Yさんの家に確実にあった赤飯らしきものも含まれているし・・・。
トマトは、この日Yさんの誕生日ということで、仲間の誰かがケーキ代わりに、自宅からこっそり持ち出してきたのでは?。
・・・などと自分勝手に想像しています。
あくまで、公開されている日記を読む限りですが、つい数ヶ月前まで駄菓子屋の前を通る度に買い食いをし、数日前に中学時代の憧れの人を見かけて「ポーッ」となっている。まだまだ田舎の純情少女だったと思うのですが・・・。
高校の制服を着たからといって急に大人になれる訳ではなし、こんなレベルだったんではないですかね?
・「呼び出し役」の人選は確かに難しかったかもしれません。ただ、Y枝さんは男友達の多い子でしたから、その中には犯人側と日常的な接触のあった人物もおそらく一人くらいはいたのだと思います。
・男友達の中でもちょっと気になるのは、T君という狭山工業高校に通っていた男子です。彼はH中時代、野球部に在籍していてY枝さんとは大の仲良しで、朝は一緒に途中まで自転車通学することなどもあったようです(「Y枝さんが薬研坂を通学路にしていたのは、途中まで彼と一緒に行けたからだ」との証言もあります)。Y枝さんは4月29日に彼と会うことになっていましたが、J・R・Cの会合で群馬に行くことになったため、その約束はキャンセルしています(Y枝さんの日記にも、「今日は狭山工業高校のT君を訪れる予定だったのに・・・」と書かれてあります)。脅迫状の最初の日付が「4月29日」になっていたことと、それは果たして無関係だったのか?私は今もこれには多少引っ掛かるものを感じています。
・そもそも「誕生会」自体が嘘なのですから、どのようなやり方をするにせよある程度のリスクが伴うのは、犯人側も承知していたはずです。おそらく、約束はそれ程間を置かずに(数日前くらいに)していたのでしょうし、それ迄に嘘がバレたり、当日1人で来なかった場合はさすがに計画も変更したでしょう。〝呼び出し役〟は、犯行が露見しても他の行為を行わない限り罪は軽かったと思いますが、嘘の理由でY枝さんを誘い出し、彼女を死に至らしめた・・・ということにはなりますから、その後は一家もろとも村に住み続けるのはまず無理だったと思います。
・N家の〝秘密〟がどのような内容であったのかは不明ですが、あの付近の大農家にとって「名誉」や「周囲との人間関係」が何よりも大切なものだったことだけは間違いありません。ひょっとしたら、それは命よりも・・・です。あのあたりの大農家は皆400年近くも同じ土地に住み続けており、またおそらくはこの先も数百年以上、そこを離れることはまずありません。私がインタビューを行った、N家近所の某氏も「このあたりなんかみんな顔見知りで、年中どっかで顔合わせてる」「子供や孫まで小学校・中学校で一緒だったりする」「都会なら誰かとケンカしたら『ハイ、さようなら』って言えるけど、こっちじゃ畑捨ててどっか行く訳にもいかないから」と答えていましたが、それがあの辺りの住人達の共通認識なのでしょう。結局、「とりあえず食うに困らなければ、それでいい」などというのは、現代の都会に住む人間の感覚でしかないのだと思います。
・「Y枝さんに続くN家連続殺人」は無理でしょう。事件後2か月間、付近は「見渡す限り刑札」という状態だったわけですし、同じ月の23日には、容疑者として石川さんが代わりに〝捕まってくれて〟います。そこでなお、さらに殺人を重ねようという人間はまずいないはずです。
・刑札が「行きずり犯」としたことには、N家家族も「あれ?」という感じだったのではないでしょうか?長兄手記の「Y枝!本当にこの人なのか?」という一文はまさにその表れであるような気がします。
・仮に呼び出した人間とY枝さんが、まだ半月くらいの付き合い(「高校入学と同時くらいに少々進展があった位の仲」)だったとすれば、普通一緒に「誕生会」までは行わないと思います。
・「家族全員でY枝さんをもてなした」というのなら、なおさら黙っている理由などないはずです。「家族ぐるみで女子高生殺人」など行うはずもありませんから、刑札もさすがにそれは疑わないでしょう。誕生会を終えて家から送り出しただけなら、「犯人側による口封じの危険」もないでしょうし、行方不明になるまでの足取り・時間を伝えれば、事件解決のための大きな手掛かりにもなります。「生きて帰って来た」場合でも、それまで黙っていたとしたら周囲から疑われたり責められたりするだけで何もプラスにはなりません。出頭することには計り知れないほどのメリットがあると思います。
・ただし、そもそも「呼び出した人間と犯人は無関係」とすること自体、私はどう考えても無理だと思います。Y枝さんは3時50分頃に生前最後の姿を目撃されていますし、最初の脅迫は5時過ぎに行われています。「無関係」とすれば、Y枝さんは僅か30~40分で誕生パーティを終え、その後豪雨の中、ずぶ濡れになりながら自転車で帰る途中強姦され殺害された、ということになってしまいます。なお、繰り返しになりますが、Y枝さんは当日雨具を所持していませんし、誰かから借りた形跡もなく、現場からもそれは見つかっていません。明らかに無かったものを「あった」として仮説を立てるのは意味がないと思います。
・「隠れちょいメシ」はどう考えても無理ですね。現代の女子高生ならいくらでもあることかと思いますが・・・。場所が「花嫁学校」の中ですし、女性がそうした行為を行うのは極端な迄に「はしたないこと」「恥ずかしいこと」とされていた時代です。それに、生徒は学年全員でも17人しかいなかったのですから、「3~4人で集まって食べた」なら、すぐにそれに関する証言は出てきたはずです。
・ハウス栽培のトマトはまだそれほど出回っていませんでしたが、かといって「高級野菜」というほどのものでもありませんでした。「誕生祝いのケーキの代わり」には到底ならなかったと思います。
伊吹様。インタビューvol2大変満足しております。この本を読まずして事件の本質は見えてこないと感じております。僕がvol2で一番ぞくぞくっとした言葉は「sayamako———に」(敢えてローマ字にします)でした。例えばM君には心底恋焦がれていても、狭山工業高校生徒の中にはY枝さんに好意を表明した人物がいたと思います。お誕生日でもあり、好きなのはM君であっても年頃の気さくなお嬢さんとしてはそれ自体は悪い気はしなかった。などとも想像しました。
sayamako——が位置としての狭山湖なのかも知れませんが。昨日、運良く現神経センター病院近くに出張、現地解散でしたので狭山湖に行ってみました。道中うどん屋が複数ありますね。
狭山湖周囲の暗い砂利道を登ると、正三角形の敷居の墓地、Y字路には祠、更にその先には産廃業者が二軒。
sayamako———が学校なのか湖なのか。もし可能でしたらインタビュー集第三弾に盛り込んでくいただけたら嬉しいです。
一反木綿様
拙著『狭山事件 現地インタビュー集Vol.2』をご購読頂き、有難うございます。
「sayamako」の件ですが、私はY枝さんの周囲との関係も考えれば、あれはやはり「狭山工」(=狭山工業高校)だったのではないか、と思っています。
そうなると、気になってくるのは上にも書いた通り、「T君」の存在なんですよね。祭日の4月29日(脅迫状の最初の日付)に、果たして彼女が男子校である工業高に一体何の用があったのか・・・。
なお、T君については現在県内K市に転居していることだけは判明しているものの、その他は不明です。実家はまだ権現橋近くにあって、飲食店を経営しているので、そのあたりからもうちょっと頑張って調べてみようとば思っているのですが。