狭山事件: OGについて その3

OGに関する資料を読み返していたら、前回箇条書きで書いた内容は、実は刑札の捜査資料(で、石川さんの裁判の際に弁護側に開示されたもの)をベースにしていることに気がつきました。

以下、野間宏さんの『狭山裁判〈下〉』から、狭山署員2名が作成した「OGの身辺調査」と題された書類の全文を引用します。

勤務先入間川駅前S通運株式会社により36・5・21運転助手、38.5.2まで勤めた。5月1日出勤、本俸14,000、手当入れ20,000円くらい。同僚OK(28)の言によると、

5/1 車にのらず荷物の整理をし、午後は早じまい。三時四〇分頃帰ったと思う。OGは作業中丸通のマークの入った作業服上下、七枚コハゼの地下足袋をはく。帰宅のときは黒のナイロンジャンパー、短靴にきかえて。婚約前は地下足袋で帰ることもあったが、婚約後はいつも短靴。

5/2、5/3は午前八時-五時までの勤務、同じ車に乗ったが、変わった様子はない。二-三日のどちらの日か忘れたが、一日は新築の家で寝た。雨が降ったので、隣の家で傘を借りて帰ったといった。新築の家は、死体の場所から直距離で三〇〇メートル。おとなしく、酒はあまりのまず、小心。人の妻君をみて、俺のおっかあのほうがいいといったことがあるが、ノロケ話をしたことはない。(引用注、そりゃ立派なノロケだろ)

班長O(50)他二名の言によると、家の者はOGの面倒をあまりみず、弁当もめしだけもってくる。新築に一〇〇万円くらいかかり、預金もなくなり、結婚費用などを考えて小心だから自殺したのではないか。帰宅時間は、三時半より四時頃。正確な時間はわからない。作業中(5/1)他出したかどうかはOKより聞いていない。

傘をかした隣家、踏切番OM(41)妻OS(38)から聞くと、一日午後三時半、電話をかけてから家へもどると、OGが新築中の家に来た。五時半頃見るとOGがいるので雨で帰れないものと思い、傘をかしてやった。

右のOSに電話を貸したという入間川の研究動物 ST(49)に話を聞くと、OSが電話をかけにきたのは二日である(川越へかけた)。狭山・所沢局に照会したら、二日午後四時四〇分であった。再びOSに聞くと、一日といったのは勘違いである。三日にOGの父が傘をかえしにきた。一日にOGが来たかどうか不明である。

OSの隣家の守衛OS2(引用注、同じイニシャルですが苗字も名前も違う人なので仮にOS2と表記します)に聞くと、一日午後五時頃、OS3(引用注、また同じイニシャルですがこれも別人、違う苗字)と荒神様にダルマと苗木を買いに行った。行くときOGの新築家の前に、古い自転車がたてかけてあり、帰るときもあった。帰るとき、玄関が少し開いているのを見た。OGの顔は見ないが、来ているなと思った。OS2、OS3の妻に聞くと、五時頃であった。自転車は見ていない。OKによると、I米屋は丸通に手ぬぐい(引用注、遺体の手をしばっていた手ぬぐいのこと)はくれない。OGはきれい好きで白いタオルを首にまいていたが手ぬぐいは使っていなかった。

誤字等を含めてすべて原文ママです。そもそもOGの下の名前の漢字を間違えていたり、ST氏の肩書きが「研究動物」になっていたりとツッコミどころは満載です。しかし、OGに関して残されている公式文書はこれくらいしかないようでもあり、現状では一応ここに書かれていることは事実として推理するしかないでしょう。

ただし、上記のOS2氏は、野間宏氏の取材に対して違う内容を証言しています。

五月一日午後三時過ぎ、荒神様の祭礼に行こうとして、九分九厘方できあがっているOGの新築の家に本人が来ているのを見たのである。OGの玄関の戸は一枚がすっかりあいていて、OGは家の中にいた。そして向こうから「OS2さんですか」と声をかけてきた。もしこの声がかからなかったら、自分は気づかずに通りすぎてしまったにちがいない

その玄関わきには往きにも帰りにも男用の自転車がおいてあった。荒神様の祭礼は雨のために出店の数がへっていたが、ダルマを買って四時前に家へ帰ってきた。雨がしとしと降っていたが、まだあたりはあかるかった。とOS2氏はいった。そして、このことで警察が聞きにきたが、自分がOGを三時頃に見たというと、おかしいというので、いや三時であると自分はいったと、OS2氏は当時の模様を語ったのである。

これによると、OS2氏自身は「OG宅で3時頃OGを見た」と証言したのに、刑札が「OG宅を通りがかったのは5時でOGは見ていない」と勝手に変更したことになります。野間氏は、刑札が「おかしい」と言う方がおかしい、OS2氏の証言は3時であり、雨の経過からしてもそれは正しいと思われることから、これはOG犯人説を払拭するための刑札の捏造であるという議論をしていらっしゃいます。

他方で、以前このブログでも引用した下記の記事があります。
サンケイ新聞昭和38年5月7日付夕刊サンケイ新聞昭和38年5月7日付夕刊
この記事によると、3時40分~4時頃にOGが勤め先の事務所にいたのを見たという証人が2人もいます。いずれも時計を見ての証言であり、初出が5月7日と早いこともあってほぼ事実と考えられます。つまり、刑札がOS2さんの「OG宅で3時頃OGを見た」という証言を「おかしい」としたことには根拠があったことになります。(念のため付言しておくと、だからといって刑札がOS2さんの証言を捏造して記録したことが正当化されるわけではありません。刑札の捏造については別途糾弾されるべきものと考えます。)

狭山事件を追いかけているとこういうことがよくあり、どうツジツマを合わせるかが難しいところです。しかし、ツジツマを合わせるにしてもどれかの証言は捨てざるを得ず、結局万人を納得させるような推理というのは存在しないことになってしまいます。OGを3時に家で見たというOS2証言と、事務所で4時頃見たという証言を両立できる仮説としては、「OGは3時前にいったん勤め先を出て家により、その後勤め先に戻ってきた」ということになります。私(管理人)は被害者についても同じような仮説を立てていますが、そう考えないと証言の間での食い違いが大きすぎ、さらにどちらかの証言を捨ててしまうにはどちらの証言も信憑性が高すぎるということからこういう折衷案を考えています。

この「OGは3時前にいったん勤め先を出て、3時30分頃事務所にまた戻った」説と、後述しますが「被害者は3時前にいったん学校を出て、3時23分までに学校に戻った」説を両方採用すると、二人が外出していた時間はほぼ合致することになります。これはかなり重大な意味があると私(管理人)は考えています。

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One thought on “狭山事件: OGについて その3”

  1. いつもワクワクしながら拝見させて頂いています。(事件の内容からすれば不謹慎ですね、すみません。)リアルタイムで事件を知らない私も、とても気になる内容です。これからも色々と御教授願いたいと思います。そして、いつか真犯人をあぶり出して欲しいです。

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