以前のエントリ(1・2)では、睦雄の墓がどの石なのかいくつか説があって、どれが本当の睦雄の墓かわからないと書きましたが、おそらく上の写真の左手前に写っている丸石が睦雄の墓ということでFAと思われます。
理由は、隣(写真の真ん中)に両親の墓があり、さらに奥にはおばやんの墓も並んでいたからです。最初に現地に行ったときには時間がなくて気がつきませんでしたが、2度目に行ったときに気がつきました。それと同時に、私の中では睦雄の墓はこれだということでほぼ決定しました。
この石は、このエントリに掲載した一番上の石(前と後ろから2枚写真を掲載しています)と同じものです。お姉さんが何とか墓石を立ててやりたいと主張したものの、都井家の親類から反対されて倉見川の川石で代用したという話から考えて、お姉さんとしてはせめて両親の隣に葬ってやりたいと考えたのではないでしょうか。
この内容はだいぶ以前に判明していましたが、いろいろあってこれまで本ブログで書くのを忘れていました(笑)。それをなんで今頃書いたかというと、mixiにて、自称”この事件について本腰を入れて調べた上に現地に何度も足を運んで何日も泊まり込んだ”方が、「睦雄の本当の墓は最後までわかりませんでした」と書いていらっしゃるのを見たためです。
上で書いたように、きちんと下調べをした上で「何度も現地を訪問」したのであれば、隣に両親の墓があることは気がつくはずです。この方のmixiへの他の書き込みを拝見しても、物理的・客観的事実に反することばかりですので、この方は実際には一度も現地を訪問したことがないと思います。様々な形で津山事件に興味を持つ人がいることは悪いことではないと思いますけど、明らかな間違いやデマを書くのはいかがなものかと。mixiに書いてあることは普通のインターネットの情報よりも信用できると思っている方も多いようですし、そうやって都市伝説は形成されていくんでしょうねえ。
ご無沙汰しております。
前に、美作加茂まで行ったが、墓は見つけられなかったとこちらのブログにコメントを残した者です。
今頃睦雄は、両親やおばやんの許で、安らかにしているのかな。
地元住民や親族からの風当たりは強かっただろうに、お姉さんにとってはやっぱり大事な弟だったんですね。
両親が亡くなったのは睦雄が2~3歳の頃なので、睦雄自身は父親・母親を記憶していなかったでしょうね。こういう形で両親の墓の隣に眠っていることで、睦雄の魂が少しでも安らいでいると信じたいところです。
お姉さんは、やはり人間的に「できた」人だったのでしょう。その意味で、改めて是非一度お会いしたかったというのが偽らざる気持ちです。
以前、睦雄のお墓所在についてお尋ねした者です。
未だ墓参することは叶っていませんが、睦雄が肉親が眠るのと同じ敷地に埋葬されて
いると分かり、少し救われた気分です。
市販のマンガでは、死んでからもひとり…という記述があり、あまりにも切ない描写
だったものですから。
それにしても、全てを都市伝説化し、酷いものはオカルト化する風潮には自分もほと
ほと呆れます。
犠牲者の方や睦雄本人にもこれ以上はない冒涜だと感じます。
ま、日本の場合は、テレビ局までもが十分な下調べもせず、公の放送で垂れ流し的に
放送してしまうのが半ば当たり前と化しているのですから…
貴重な検証と情報、ありがとうございました。
テレビ局が、ウソにならない程度に大げさに紹介したり、一部フィクションが混じっていることを明らかにしながら再現映像っぽいのを作るのはアリだと思います。商売ですから。しかし、明らかなウソや、よく調べもしないで適当なことを放映するのはどうもいただけないと思います。
また、ネット上でも、「どうせ誰も検証できないだろう」と思うのか適当なことを書く人は多いですね。今回エントリで紹介した、”この事件について本腰を入れて調べた上に現地に何度も足を運んで何日も泊まり込んだ”というmixi会員の人は、他にも「倉見で車を止めていたら、他県ナンバーなので通報されて警官が来た」なんてことを書いています。倉見の手前1kmくらいのところには黒木キャンプ場がありますし、すぐ奥にも倉見温泉がありますから、あの辺に他県ナンバーの車が入り込むのは珍しいことではありません。さらに、倉見は塔中(市役所支所や学校がある加茂の中心部)の加茂駐在所の管轄なので、警官を呼んだとしてもポリカブで警官が来るまでに20~30分はかかります。1人しかいない駐在さんが、上記のようにキャンプ場や温泉に近い倉見に他県ナンバーの車がある程度の通報で、往復1時間近く掛けて来るかどうか。ありえないとは言わないまでも、あまり信憑性がない話です。
私も何回か倉見にレンタカー(岡山ナンバーではありますが)で行って1時間くらい車を止めて墓地を見たり歩き回ったりしていますが、一度も通報されて警官が来た経験はありません。
私も去年、睦雄さんのお墓を訪れました。そのときの祖父母のお墓も拝見しました。墓の規模といい、裕福な家庭であることは戒名(院居士、院大姉)からも想像のつくところです。睦雄さんのお墓は間違いなく仰せのとおりだと思います。しかし、都井家には石を置いただけの墓が数多く存在し、どのお墓かなかなか判別できないのが現状でしょう。これは、乳幼児や幼くして亡くなった場合は、親不孝であるとされてお墓を建てないことがあるというのは、私の母親から聞いた話です。そういった理由で、石だけの墓が存在するのでしょう。また、女性のお墓が存在するというのは、憶測ですが、睦雄さんのおじやおばで独身のまま亡くなった場合、そういった墓石が存在します。戒名をみないと判断は付きませんが、そういう可能性がありますね。私の先祖の墓石にも同様なものがありまして、過去帳でわかった次第です。
近いうちにもう一度訪れようと思っています。今度はお花と線香を持参してお参りしたいと考えています。殺人鬼とはいえ、もう70年も昔の話。今となっては、何が真実なのかよくわかりません。批判はあろうとも、私の気持ちとしては殺人者というより、一人の人間として短い人生を思いっきり生き抜いた青年です。結核を患い、村八分にされ、さぞかし無念であったろうと考えるのは私だけでしょうか・・・。
コメントありがとうございます。
私も、貝尾や倉見の墓を訪れる際には、少しでも慰めになればと線香を上げることにしています。
女性名の墓はご指摘の通りかもしれません。できれば再度訪問して確認したいと考えています。
正月2日に、都井睦雄さんのお墓参りをさせていただきました。
実に様々な方々のおかげをもちまして、お墓参りをする
ことが実現できました。
インターネットを駆使し、こちらのまじめなサイトや、
年末から降る雪にもめげず走ってくれた因美線や、
美作加茂駅から乗ったタクシーの運転手さんのご親切や、
倉見までの道のりを除雪車で通りやすくして下さった方々、
ありがとうございました。
長年の想いが実現できました。
睦雄さんのお墓とされている墓石は、雪の下に埋まっていた
のですが、こちらのサイトのおかげで、場所を特定することが
できました。
手で雪を掘り起こし、墓石の前にお線香を立てることができ、
睦雄さんの成仏をお祈りさせていただきました。
差し支えなければ、今度は雪のない季節にお墓参りをさせて
いただこうと思います。