先日、岡山に行く用事があったのでついでに津山事件ゆかりの地を訪ねてきました。まず最初に倉見にある都井睦雄の墓を訪問しました。倉見というところは、美作加茂駅(この駅もたいがいイナカですが)から10km以上離れた山奥で、「加茂町史」などによるとタタラ製鉄が行われていた、典型的な山村です。現在は近くにダムやキャンプ場などもできて開けていますが、当時は本当に車も通わない山奥だったと思われます。
内容について語る前に、津山事件(津山三十人殺し)が発生したのは西加茂村貝尾(現津山市加茂町行重貝尾)なのに、なぜ都井睦雄の墓が加茂町倉見(現津山市加茂町倉見)にあるのかについて説明が必要でしょうか。ちなみにこの2つの場所は15kmほど離れています。
都井家はもともと倉見の地にあり、睦雄もそこで生まれました。なぜ睦雄が貝尾に移り住んだかと言うと、もともと祖母が貝尾の生まれで、そこから倉見の都井家に嫁入りしていた縁によります。睦雄が2歳の時に父親(祖母の息子)が、3歳で母親が相次いで結核で亡くなったため、残された祖母が睦雄と姉を連れて故郷である貝尾に移り住みました。この経緯には、倉見が当時人里離れた山村だったために祖母が睦雄の教育を心配し、多少でも加茂の町に近い貝尾に出てきたという事情もあるようです。
祖母は筑波本の仮名で言えば「寺井」になっている家の出身で、親類(祖母の甥)も貝尾にいたようです。しかし、事件後はそういった親類筋にあたる家の人間も事件の犯人である睦雄を弔うわけにもいかず、睦雄と祖母の遺体を都井家の人たちが倉見まで引き取ってきて埋葬したそうです。
「不思議ナックルズ」Vol.9によると、下記のような経緯できちんとした墓石ではなく川石(玉石)を墓代わりにしたとのことです。
睦雄の姉は「せめて立派な石塔を作ってやりたい」と願った。しかし、姉の夫は「石塔なんてもってのほか。睦雄の墓だということは絶対他人に知られてはいけない」と言って、結局倉見川から拾ってきた川石を石塔代わりに睦雄の遺体を埋めた上に置いた。
この、川石を使った「都井睦雄の墓」について、最近出た『明治・大正・昭和・平成 実録殺人事件がわかる本』に下のような写真が掲載されています(左下に小さく「都井睦雄の墓石」と書いてあります)。
しかし、この石は以前「不思議ナックルズ」Vol.9に掲載されていた「都井睦雄の墓石」とは別物です。
この2つの石は20~30mほど離れてほぼ同一の墓地に置かれています。「不思議ナックルズ」の方には、
睦雄の隣には都井が最初に殺害した祖母が埋葬されている。
となっているため、おそらくはこちらの石(冒頭で私(管理人)が撮影した写真を掲載した石)が本物の都井睦雄の墓だと思われます。
一応、『明治・大正・昭和・平成 実録殺人事件がわかる本』に出てくる石の写真も撮影してきましたので置いておきます。
実録殺人事件がわかる本と同じ石
さいごに周辺の写真をいくつか。
美作加茂駅
昭和3年開業とのことなので、事件が起こる10年前に鉄道が通ったばかりだったようです。
道路標識
深い意味はありません。わかる人だけわかってください。
倉見川
睦雄の墓石のような玉石がゴロゴロ転がっています。
倉見のどの辺りに墓はあるのですか?集落の中は墓地だらけでよく分からないのですが。
倉見の西のほうですよ。少し行けば行き止まりとなりますが、その手前に数件の集落があります。そこはすべて都井さんです。墓は道路沿いですからすぐにわかります。
ご返答、ありがとうございます。
西というと、川に掛かる橋を渡り、廃校横を通っている道の先でしょうか?
実は村に住む80過ぎくらいのおばあさんに道を聞いたのがこのルートなのですが、
聞いている間も話が逸れて、場所に関してはあまり要領を得なくなってしまいました。
事件当時このおばあさんの知り合いが直後の貝尾に行ったそうで、かなり凄惨な現
場の様子を詳細に話していたそうです。
確かに貝尾と違い、倉見では都井睦夫に対して、それほど険悪な印象は感じられま
せんでした。
一休より
黒木のキャンプ場を過ぎた倉見神社の交差点を越畑方面に左折です。立派な二車線の道路ですが、行き止まりは間違いで、山道の隘路に変わる辺りの集落の一つ手前の集落が都井家です。倉見神社から1キロ程度です。都井集落の手前の道沿いに立派な墓所がありますからすぐに判ります。墓を見れば都井家は地元の旧家であることがよくわかります。いくら凄惨な殺人事件を起こしたからといっても、睦雄が可哀想でなりません。
私もそう思います。小さな集落ならば、口さが無い村人に、殺人犯にされたも同然です!
恋人にも、捨てられて。私が、都井さんの恋人なら、おばあさんも一緒に村を出よう。
惚れた人となら、病気と戦って欲しかった。
黒木キャンプ場を過ぎて、倉見神社を越畑方面へ左折します。そこか1キロ程度です。行き止まりになると書きましたが、二車線の道路が山道と変わる辺りが一番奥の集落でした。その手前の集落が都井さんです。
わざわざのご返答ありがとうございます。
詳細なご説明、感謝いたします。
前回は墓所の場所が判らず、残念な結果となりましたが、
これで次回は都井睦夫に会うことができそうです。
春には再訪してみたいと思います。
本当にありがとうございました!
都井睦雄の本当の墓はどれなの?
先日、初めて美作加茂を訪れてみました。
事件のことはウェブや文献での情報しか知りませんが、実際行って目にした風景は、そんな忌まわしい事実とは無縁の、本当にのどかで、美しい所でした。
よく雑誌で言われるように、「余所者が訪ねて行くと嫌な顔をされる」こともなく、土曜日だったこともあり、周辺に住まわれる親子連れも多く、挨拶をすると普通に「こんにちは」と笑顔で返してくれるような、そんな優しい風景でした。
そんな方々に、この事件の話を聞くのは憚られ、また、「やっぱり睦雄はこのまま静かに眠らせてあげよう」と思い、無闇にうろつくのをやめ、ただ事件があったとされるその集落の雰囲気だけを感じて帰ってきました。
荒坂峠やら、貝尾集落やらまで足を運べませんでしたが、個人的にはこれで良かったと思っています。
コメントありがとうございます。
そうですね。現地は普通ののどかな農村です。私が足を運んだときにもお子さんの笑い声が聞こえていました。できれば現地の方々に話を伺いたいという気持ちもありましたが、やはりはばかられて写真だけ撮影してきました。
この事件は根が深い。かなり昔、この事件の事で聞きに来たマスコミ関係の人たちが取材に来ると興味本位で書き立てるなと、地元の村人から叱られたそうです。その村人ももう村にはいません。今は静かなどこにでもあるような限界集落です。そっとしてあげるのも都井家の人たち、この村人たちのためになるかもしれません
この写真は都井の墓ではありません、念のため。
知らない人がウロウロして写真を撮るのも本来は気持ち悪いのです。
いつになったら解放されるんでしょうか。。。
ある人のブログによると都井家の墓地には睦夫の遺体はないというのです。事件後に都井家の親族や特に睦夫の姉の夫からは墓石を建てると場所を知られるので反対したそうです。
渋々、姉が近くの川から川石を置いたらしいのですが、最初に土葬した場所は川の付近らしく川の氾濫や土砂災害で遺体の場所もわからないというのです。
ですから、この墓地には睦夫の遺体はないと言ってました。
この辺の事の事実関係は不明です。ブログを書いた本人も墓を管理していた人が次々と変わり情報元はその辺からと思われるので結局、わからずじまいです。
しかし、この墓地に睦夫の遺体が埋葬されてる可能性がゼロではないかと。