津山事件: 荒坂峠

荒坂峠から行重方面を望む荒坂峠から行重方面を望む

これも津山事件関係の書籍によくある表現で、「都井睦雄は、生まれた倉見と育った貝尾を見下ろせる荒坂峠の山頂付近で自殺した」という話があります。ところが、荒坂峠で一番見晴らしがいい上の場所からは、倉見も貝尾も見えません。倉見は15kmほど離れているのでそもそも見えるはずがありませんし、貝尾は上の写真のもうちょっと右の方で山の陰になるので見ることはできません。
倉見・荒坂峠・貝尾倉見・荒坂峠・貝尾の位置関係

(2010年2月14日注記)
その後の調べで、荒坂峠の頂上から貝尾は見えることが判明しました。こちらをご参照ください。お詫びして訂正いたします。

荒坂峠は現在「主要地方道津山加茂線」となっています。山頂付近は車1台通るのがやっとの道幅で関係車両以外通行禁止になっていますが、実際には入り口に車止めもなく、道幅は狭くものすごい急坂ながらも峠の向う側まで抜けられるようになっています。私(管理人)も上の写真を撮るために途中まで車(レンタカーのフィット)でかなり怖い思いをしながら登りました。
荒坂峠入り口荒坂峠入り口

Youtubeに荒坂峠を走破した方の動画が上がっています。動画を見ても勾配の感じはわからないかもしれませんが、サイドブレーキを目一杯引いてもずり落ちていくんじゃないか、という恐怖すら抱かされる急坂です。こんな急坂を猟銃を抱えて全速力で駆け上がった都井睦雄……。やっぱり肺病というのを疑いたくなります。

ちなみに、一番上の写真は、このようつべの動画で言えば1分10秒くらいなところの開けた場所から撮影しています。

津山事件に関する過去のエントリはこちら

津山事件に関する本はこちら

30 thoughts on “津山事件: 荒坂峠”

  1. いえ、肺結核だったことを疑っているわけではありません、軍医殿(わからない人は古尾谷雅人主演の映画「丑三つの村」を見てください)。刑札の捜査でも、徴兵試験の結果や万袋医師の「肺尖カタル」の診断を含めて、結核だったということになったようですし。

    ただ、私の運動不足の脚では、荒坂峠の坂をちょっと歩いただけで息切れしました。貝尾にいらっしゃったのであれば貝尾の急坂具合はご覧になったでしょうが、あれが山頂までずっと続いている状態です。肺病でありながらあの急坂を駆け上がるというのは、本当にバケモノとしか言いようがない、という意味です。

  2.  たしかに、夜中ということも含め、おそるべき体力ですね。それとも、都井は何かにとりつかれていたんでしょうか。なにかで、都井は犯行前に自転車で付近を走ったとありましたが、自転車が用を成さないぐらいの坂ですよね。

  3. 初めて書き込みします。

    たしかにこの急坂を駆け上がるというのは信じられない体力ですね。
    とはいえ30人を殺害するというのも常人には到底できるものではないですし、
    命を賭けた人間の執念というのはそれだけ凄まじいのでしょうね。

  4. 初 め ま し て コ メ ン ト を し ま す 。

    こ の 事 件 は 始 め て 知 っ た の は 、 今 か ら 40年 前 ぐ ら い と 思 い ま す 。 (ミ ス テ リ ーの 系 譜 )松 本 清 張 だ つ た 。 岡 山 県 の 中 国 山 脈 の 中 で 起 こ つ た 陰 惨 な 事 件 が あ つ た と い う 事 で す が 、 真 相 は 今 も 分 か ら 無 い で し ょ う 。 都 井 の 姉 は 肺 結 核 で 戦 中 に 死 ん だ 。

  5. >山歩き人さん
    都井が犯行前に自転車で付近を走ったのは、村人が加茂の駐在所まで助けを求めに行くのにかかる時間を計算するためとのことです(当時、西加茂村駐在所は巡査が出征中で欠員状態でした)。従って基本的にずっと下り坂だと思います。当時のことで道路は舗装されておらず、自転車のタイヤやチューブの質も悪かったでしょうから、下り坂といっても楽な道のりではないでしょうけど。帰りは上り坂でもっと大変だったでしょうね。

    >takaさん
    村人にバカにされて見返してやりたい、そこまでは考えると思うんです。しかし、そのために凶器の準備をして、銃を撃つ練習をして、山を走り回って体力をつけて……と考えると、都井睦雄の執念と演繹力、そしてなにより実行力にある意味で頭が下がります。変な話、現代に生きていたら営業マンとして優秀な成績を残していたんではないかという気がします。

    >yamaさん
    你好。我欢迎你的发言。松本清張写了「都井の姉は肺結核で戦中に死んだ。」可是,这不是真实。都井的姐姐没有死战争之间。在1990年代(大概1995年?)她死了。对不起我得不好中文。

  6. 管 理 人 さ ん へ 。

    私 は シ ナ 人 で は あ り ま せ ん 、 日 本 語 で お 願 い し ま す 。
    中 共 漢 字 は 読 め ま せ ん の で 悪 し か ら ず 。 都 井 の 姉 は 旧 高 田 村 の 一 宮 の 方 に 嫁 い だ と い う ら し い か ら 、 其 処 で う ど ん 屋 の 商 売 を し て い た ん で し ょ う 、 と こ ろ で 如 何 し て 私 を シ ナ 人 と 勘 違 い さ れ た の で す か 、 ち よ つ と お き き し た い 。

  7. 秋葉原事件の加藤智弘と 都井睦雄は似ている点があるように思うのですが。
    時代背景は違っても人間の心の中というものはあまり変わらないような気がします。
    先日テレビで特集していたビデオをみましたが、70年経った今でも睦雄の愛した女性はこの村で
    ひっそりと暮らしているようですね。
    村人はこ彼女のことを「事件を起こさせた張本人で 今でも迷惑せんばん」。と言っていますが、
    結核を患った都井を嫌い、都井から彼女を無理矢理引き離し、隣村の男性の所に嫁がせた村人達には
    責任は無かったのでしょうか?
    現在90歳を過ぎた彼女は、今なお被害者達の冥福を祈りながら村八分同然だそうです。

  8. 先日、事件と関係のある物見と一宮に行ってきました。当時の古い新聞を調べ、住宅地図をネットで購入し、物見の上村(寺川)ゆり子の自宅を拝見しました。偶然にも彼女と思われる老人が出てきましたので、失礼かと思いましたが望遠で撮影させていただきました。カメラをかなり気にされていましたが、年恰好からいって当人である可能性が高いです。
    また、一宮の睦雄の姉の嫁ぎ先も訪問しました。こちらでも偶然、70前後の男性が出てきました。中島みな子さんのお子さんでしょうか。しばらく鳥居の前におられましたが後に家に入られました。また、若奥さんと2~3歳の子供も出てきました。綺麗な方でしたが、みな子さんのお孫さんでしょうか。車でどこかに行かれました。さすがに至近距離だったので写真は無理でした。ただ70前後の男性は後姿だけ撮影させていただきました。事件から70年。それぞれの人生があるのだなとつくづく考えさせられました。被害者は当然ですが、加害者の家族、祖母やみな子さん、そして父母が可哀想で仕方がありません。
    睦雄の父母も結核で亡くなったそうですが、小さな子供(睦雄やみな子)を残してこの世を去ったのはさぞかし無念だったことでしょう。山奥の大正時代の倉見。寂しい村落でひっそりと亡くなった父母。ストレプトマイシンなどの抗生剤さえあれば昭和40年代まで生きられた筈です。テレビなどの娯楽、おいしい豪華な食べ物、自動車や新幹線に乗っての旅行、今の人なら普通に経験していることをなにも知らずに亡くなった父母。その父母を慕って死んでいった睦雄。殺人者の弟をもったみな子さん。睦雄を溺愛した祖母。皆さん冥土で寄り添って暮らしていることでしょう。

  9. >>yamaさん
    貴方の発言には文字の間に半角スペースが入っています。これは中国語など多言語用Windowsで日本語入力をした際の特徴です。また、一部の言葉遣い等で中国語から翻訳したような内容が見られたために中国の方の書き込みであると判断しました。もしそうでないのであれば申し訳なく、お詫び申し上げます。

    >>無名人さん
    睦雄のお姉さんのうどん屋さんについて。私(管理人)が訪問した際にも、70歳前後の男性が店(家)から出てきました。ただし、その際に一緒だった子供は「2~3歳」ではなく、12歳程度の女の子と8歳程度の男の子(見た目での判断)でした。「若奥さん」は見ませんでした。
    70歳前後の男性は鳥居の横に停めていたワゴン車に乗って、奥様らしい60歳過ぎの女性と子供たち(2人)を乗せて去っていきました。この男性がみな子さんの息子(睦雄の甥)ではないかという推測には同意します。

    私の祖父母は岡山の山奥(貝尾や倉見とはちょっと方向が違いますが)の出身で、私の親類にも結核に罹患した人がいます。昭和20年前後の発病で、その後いろいろやっているうちにご指摘の通りストマイが普及して完治、現在でも家族に囲まれて健在です。ほんのちょっとしたタイミングの違いで、睦雄や周囲の家族もそういう幸せな生活ができたのではないか、ということは私も時々考えることがあります。

  10. 管理人さん
    こちらは今チヤイナに在留している者です。下手なチヤイナの言語を使つている性かも知れませんね、可笑しな日本語になつているのは、たまたまネツトでこのブログを知りました。津山事件は八墓村の材料になつたという事を、昔仕事の関係で知りましたその人は親が加茂の出身でもう既に都会に出て都会の住民ですが色々と子供やらに話をした時の一つが津山事件だつたそうです。山村の淫靡な因習の事も言つていました。当地では今でも否定されていますが、現実にはそこから出た都市の住人となつた人達によつて子供やその他の人に知られています、何故隠蔽するのかは分かりませんが、もしお時間あれば津山事件の当時の新聞の記事をメールでお送つて下さりませんかお願い致します。日本におれば図書館で当時の新聞のマイクロフイルムを見れば当時の事は分かるでしょうが何分こちらはチヤイナにいますのでその自由がありません。

  11. 管理人さん

    過去に私はチヤイナに在留してました頃(1994年の9月だつたと思います、その日はちようど中秋節の日でした)朝の7時半頃に建国門の立体交差の橋の上(長安街の通り)を通つていますと横のチヤイナの者が下で銃撃戦をしているよ!と急に叫びました身を乗りだして見ると確に緑色の服(軍隊の服の色)が見えました、自動小銃を構えていました。直ぐ離れるように言いました、しかし交通規制も無く甚だ危険な思いをしました。事務所の方でもその話でもちつきりでした、北京の晩報(夕刊誌)によると、速報だけですが38人が死亡した、その内4人はイラン人の外交官だと伝えましたが、それだけで後はまつたく伝えずで、いろんな情報が乱れ飛ぶと言つた次第です。この自動小銃は所謂ソ連製AK47の模倣品の中共のM56で、連射で50発撃てる、弾倉には50発の銃弾が入つているということです、単射も可能です。犯人の姓名はまつたく発表されず、ただこちらに入つてきた口コミでは河北省の軍人で階級はいわゆる少尉クラスの者であると言う話です。弾倉を10個ぐらいを持つて北京にやつて来たという話でした。ここは通勤客も非常に多く、人によるとハイヒールが路上に散らばつていたという、そして近くには北京駅もあり、ここで非法の労働アツセン所になつており、沢山の者が犠牲になつたということですが、死者がどれだけ上るのかわからないのです。

  12.  岡山の地理には疎いのですが、県北部に一宮、物見という地名があるのですか?土地勘がない人間が、事件関連の場所をみつけることは可能ですか?
     最近、岩井志麻子の〔夜啼きの森〕を読み始めました。津山事件を題材にしているのは知っていたのですが、物語の中身が、ネットで得た事件の背景とあまりに符号しすぎるので、遺族がこの本を読んだらどんな気持ちかな?と思いながら進めています。

  13. 私も岡山には土地勘はありませんでした。まず、当時の新聞を調査して関係者の実名を明確にしました。ただ、警察発表には誤りがあったので、筑波本と見比べて氏名を特定しました。また、同様に筑波本と当時の新聞で関係者の所在地名を調べて、該当の住宅地図をあてずっぽうに購入し、それらしき氏名から場所を特定して訪問しました。筑波本の氏名は実名に似かよっており、時間はかかりましたが氏名と所在を確定できました。住宅地図はネットで購入するのですが、掲載範囲が狭いので一人を特定するのに3枚程度購入する必要がありました。貝尾、一宮、物見、倉見、桑原など関係者の大半は特定できますよ。

  14.  詳しいご説明、ありがとうございました!その方法で、都井が住んでいた家も特定できますかね?

  15. 他のサイトには都井の住所は記載されています。現在は事件の被害者の子孫か親族が住まわれています。

  16. 無名人さん

    まさか上村(寺川)ゆり子とか中島みな子とか実名なんですか?筑波の本では(僕は読んではいませんが)寺井になつているようですし、無限回廊のブログでは寺川になつているから実名ではないでしょう、また丹羽つる代は丹下つる代になつていますが、仮名ではないのですか?ちよつと答えてもらいたいですが?

  17. 管理人です。コメントをいただいている皆様へ。

    すいませんと最初に謝っておきます。

    現在も生きている可能性のある個人名(実名)、あるいは特定の住所が書かれたコメントについては不承認とさせていただいております。また、私が書くエントリに引用する新聞記事でも、そういった部分については消しを入れています。これは、そういった人たちに対する配慮ということもありますが、一番大きいのは個人情報保護法などという悪法がこの日本国で施行されている現状で、個人・住所を特定できる書き込みを私が管理しているサイトでさらし続けることはリスクが大きいと判断するからです。チキンで申し訳ないですがご了承ください。

  18. 書籍によって寺川、寺井などと仮名が異なっています。前述したように書籍の仮名と実名は大変似かよっています。ですから、図書館で当時の新聞を閲覧すれば実名と仮名が容易く一致します。因みに、個人情報保護法では故人は抵触しません。しかし、子孫や親族がおられる以上考慮しなければいけませんね。

  19. 無名人さん

    お答えありがとうございます。豊富なデーターと現地を踏査された実積と素晴らしい文章力で、仮名だなあと思つていてもついつい実名のような錯覚をしました。
    こちらは前述したように今チヤイナに居るので図書館で調べることは不可能ですので、無名人さんのような迫力に充ちた文には感心させられています。

  20. 興味本位で他の方が生活されているところへ行き、ご老人に暴力的にカメラを向ける。
    撮られる相手がカメラを向けられていることを気にしていると感じているのに。

    自分がやりたければ何をしてもいいのか。知りたければ他人の生活に土足で上がりこんで
    それをインターネットに書き散らしていいのか。

    良識を疑わざるを得ません。
    きちんと反論するだけのスジも持ち合わせてないから、自分の気に食わないコメントは削除。

    個人情報保護法案が良い法律だとは私も思わないが、そういう法律が出来た背景には
    あなたのような良識を持たない人間がいるからではないだろうか。
    もちろん、それだけではない官憲があるのは判った上だが。

    口に糊するためにやってるマスコミ連中もろくでなしだが、趣味のために他人の過去や生活を
    傷つけて平気な顔をしているあなたは、本当に最低な人間だと思う。

    私はこのサイトの存在を、津山市や狭山市の市議会や市役所に伝えようと思う。
    撮られている側の方たちに知らせる事だって、行動の自由のうちだろう。
    WWWで世界中に公開してるんだからね。

  21. すいません。私がコメントを削除したとおっしゃるのはいつ、どのコメントについてでしょうか?「きちんと反論するだけのスジも持ち合わせてないから、自分の気に食わないコメントは削除。」と断言していらっしゃるからには、当方がどこかで気にくわないコメントを削除した実例をご存じだと思います。大変お手数で恐縮ですが、自分では思い当たるフシがありませんので、是非ともご教示をいただけると幸いです。

    基本的に、住所や氏名等の個人情報が入っているコメント、ならびに明らかなスパム(エロサイトの宣伝等)は非公開とさせていただいておりますが、それ以外のコメントはすべて保存・公開させていただいております。もしコメントが削除されたとお考えなのであれば、いつごろ投稿されたどのコメントなのかご教示ください。この点については本サイトならびに私(管理人)の信用にも関わることですので、是非とも具体的にご指摘をいただければ幸いです。

    津山市や狭山市の市議会や市役所に訴えるとのことですが、是非お願いします。それで津山事件や狭山事件についてより調べが進むのであれば、こちらからお願いしたいところです。もしそのために何か資料の提供等が必要であればお知らせください。

  22. 水掛け論が成立する部分にのみ食いつくのはさすがです。

    興味本位で他の方が生活されているところへ行き、ご老人に暴力的にカメラを向ける。
    撮られる相手がカメラを向けられていることを気にしていると感じているのに。
    そのご老人を撮影することは、事件の「調べが進む」ことと何の関係もないのに。
    だれだって、自分の住んでいる近くで望遠抱えて自分の家や家族を狙っている人間がいたら、
    おかしいと思う。それは、普通の感性の人間のする事じゃないからだ。
    老人や犯罪被害者、その過去をもつ村と言う弱者に刃を向き、俺は事件の調査をしてるんだと
    言い張る厚顔無恥さ、本当に素晴らしい。

    墓の写真や家の写真を勝手に撮影して勝手にブログに載せる。
    個人の倫理観の問題ですが、それをしてもいいと簡単に思ってしまう。
    自分がそんな事をされたら、と思いもしないのか、思ってもやれるのか。

    それは唯の風景写真ではない。現に人が生活してる家や、ある家が所有してる墓を
    「これは事件に関係あるんですよ」(或いは無関係なものまで)とキャプションをつけて掲載する。

    それが暴力であることに気付かないのは、真相究明という名の麻薬遊びで
    感覚が麻痺しているからであろうか。

  23. まず、「水掛け論」にはなりませんよね。私が「自分の気に食わないコメントは削除」したと断言されるのであれば、いつどのコメントを削除したのか、根拠となる事実をご教示くださいとお願いしています。

    今回のコメントにも、「ご老人に暴力的にカメラを向ける」という当方が実行していないことを、あたかも事実であるかのように書いていらっしゃいますね。私は少なくともそのようなことはしたことがありませんし、そのような写真はこのブログに掲載していないと思います。どの写真が該当しているのか、是非ご教示ください。

    こういうブログをやっている以上、当方がやっていることについて「倫理観の問題」「感覚が麻痺」「厚顔無恥」と罵倒されるのは結構です。事実その通りだと思いますので、甘んじてお受けします。ただし、その非難のためにこれ以上事実でないことを捏造され続けるのであれば、以後スパムとしてコメント不承認とさせていただきます。あらかじめご了承ください。

  24. このブログに対して、色んな意見があるのは当然ですが、この津山事件は事件として最早歴史になつた物であり、71年も経過して未だ封印するのは些さか可笑しいのではないですか?このブログの管理人さんは非常に注意されて神経質ぐらいに貝尾やその他の地域の人に気を使われています。たけしさんの言い分にかなり無理を感じるのは、私だけではなく多くのコメンターが思つているでしょう。
    私がこの地方の出身の者から色々と聞いたけど、都井の遺書は本真で、あれは村八分されてああいう事件を起こしたのだと言つていました。もう30年以上にもなりますが、『口べらし』で故里を出ていかなければならなかつた者が街の住人となるのは大変で多くの苦労した者の方から聞いた話には嘘は無いと思いますけど、こういう事件を起こしたのは都井だけの責任では無いでしょう、村八分した者達に何の責任も無いのですか?ええ加減にもつと目を開けた方が良いだろう。

  25. 皆様お久し振りです。狭山事件〜トトロの記事にコメントしました、うさちゃんと申します。

    こちらのブログは何度も読みました。少なくとも、管理人様が面白可笑しく記事を書いてるとは思えませんでした。

    本当に面白可笑しくしたいだけなら、ろくな調査もせずに、ある事ない事を書いたり、被害者の遺体写真を無差別に載せて笑い話にしてるだけのブログになりそうです。

    yama様(はじめましてですね)の仰る通り、私もたけし様の言い分にはかなり無理があるように思いました。
    言い方は悪いですが、ただの言いがかりに聞こえます。
    管理人様がどこを削除された〜の質問にも答えてないようですし。

  26. yama様
    うさちゃん様

    コメントありがとうございます。と書くと「自作自演乙」とか言われそうですが(笑)

    上の方でも書きましたが、私自身、このブログで書いていることが「のぞき見趣味じゃないか」と言われれば否定しませんし、それを非難されるのであれば甘んじてお受けします。ただ、その非難のために私がやってもいないことを捏造するのはご遠慮いただきたいというだけです。

  27. はじめまして。東京出身の者です。かなり日にちが経っておりますが、津山事件について初めてコメントします。もし間違っていたらごめんなさい。たけしさんは、津山出身の方ではないですか?(そう仮定して)津山事件に関する記述に触れる度、深く傷ついているのだと思います。確かに津山事件はとても興味をそそられる事件であるのですが、中には面白半分に現地に赴き写真やビデオに収める輩も多い事でしょう。それによって、ひっそりと暮らす未だに傷を癒されない親族の方々の傷を拡げているのだと思います。ただ、今までのコメントを読んでみて、管理人さんはそういう輩の一部ではないと思います。確か管理人さんの祖父母さまが岡山の出身ですよね。自分に縁のある地で、あの様な事件があれば調べてみたくもなります。私の母も岡山の山奥で生まれ育ちました。私も、小学生の頃は従姉妹の住む津山の近くの町で夏休みを過ごしました。私が津山事件に興味を持ったのもこうした境遇からです。この事件については色々と調べました。住宅地図も活用し地理も知りました。大好きな岡山で、あの時代に一体何があったのか時代背景も含め、ただ知りたかったのです。たけしさんのコメントを読んでいて、管理人さんが気の毒に思ってしまいました。

  28. なぜなら、たけしさんは持論を正当化しようと、あらゆる言葉を駆使して管理人さんを罵倒しているだけなんです。たけしさん「水掛け論」の意味を知っていますか?管理人さんは墓や家の写真をブログに載せたのですか?管理人さんは誠実に答えていますよね。「本当に素晴らしい」というコメントには激しい嫌悪を感じました。ご遺族にとっては酷ですが、凶悪な犯罪が多発する昨今、津山事件については今後も研究する必要性があると思います。絶対に闇に葬ってはいけない事件です。被害者の方のご冥福をお祈り申し上げます。

  29. 都井睦夫の両親が肺結核でなくなっている事から遺伝とも考えたが、当時は結核は国内で多く発症していた。 そうした環境下では都井睦夫が結核になるのも当然の経緯かもしれない。
    兵隊の徴兵検査に不合格になったことで自暴自棄になっている。
    ただ、症状は都井自身が思うほど重症ではなかったとも言われている。 30人の村人を殺害した後でそのまま荒坂峠の頂上まで登頂している。  結核が重症化していれば、とても登り切れるもんじゃあない。
    おそらく、病を患っていても鬼人と化した睦夫は少々の苦しさにも耐え抜く強靭な何かを手に入れたのだろう。 いかなる理由でもこれほどの人命を奪ったことは許されない。 ゆえに彼自身自決を計ったのだろうが、彼の写真を見る限り殺人犯とは到底思えない温厚な面影がある。
    道を誤らなければ、彼はきっと子供好きな学校の教師になってただろう。

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