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狭山事件: 本日の現地調査は中止です。

伊吹隼人さんより、本日の現地調査は天候不良のため、残念ながら中止との連絡がありました。
また次の機会によろしくお願いします。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。


狭山事件: 『狭山事件 50年目の心理分析』 その4

前回から間が空きましたが、殿岡駿星さんの新しい本『狭山事件 50年目の心理分析』についての分析の続きです。

この本で気になるのは、地理的な位置関係に首をかしげさせられる記述が多いところです。そして、掲載されている地図(殿岡さんの手描きのようです)も、実際の地図と照らし合わせると位置関係が合っていないところが見られます。単純に位置関係が合わない程度であれば問題はありませんが、それが「推理」にもかなり重大な影響を与えているところが問題です。

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津山事件: 荒坂峠

荒坂峠から行重方面を望む荒坂峠から行重方面を望む

これも津山事件関係の書籍によくある表現で、「都井睦雄は、生まれた倉見と育った貝尾を見下ろせる荒坂峠の山頂付近で自殺した」という話があります。ところが、荒坂峠で一番見晴らしがいい上の場所からは、倉見も貝尾も見えません。倉見は15kmほど離れているのでそもそも見えるはずがありませんし、貝尾は上の写真のもうちょっと右の方で山の陰になるので見ることはできません。
倉見・荒坂峠・貝尾倉見・荒坂峠・貝尾の位置関係

(2010年2月14日注記)
その後の調べで、荒坂峠の頂上から貝尾は見えることが判明しました。こちらをご参照ください。お詫びして訂正いたします。

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狭山事件入門: 事件関係地図

狭山市詳図(1966年、人文社刊) その1狭山市詳図(1966年、人文社刊) その1

狭山市詳図(1966年、人文社刊)狭山市詳図 その2

上の地図は、1966年(狭山事件が発生した1963年の3年後)発行のものです。以前のエントリでも論じたように、この時点で「狭山東中」になっていた中学(現在の入間川東小の位置)を「入間川中」という古い表記にしているなどいくつかの問題はありますが、私(管理人)がこれまで見つけた中では一番当時に近いと思われる地図です。現在の地図(例えばGoogle Map)と比べて見て下さい。

赤字の注記はすべて管理人が入れたものです。縮尺的には、その1の方は右端の方にある被害者宅から佐野屋までが直線距離でちょうど1kmくらいです。その2の方では、入間川駅(現狭山市駅)から三柱神社(荒神さま)までだいたい250~300mくらいです。

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狭山事件: 当時の狭山市内の中学校

狭山市詳図狭山市詳図(1966年、人文社刊)

前回のエントリの記事で「入間川中学」という名称が出てきました。ところが、文献によっては当日試合があったのは「入間川東中学」になっています。いずれにしても、現在の狭山市立入間川中学校とは別の、現在の狭山市立入間川東小学校の場所(線路沿いの第一ガードそば、川越高校入間川分校や駅からも歩いて5分ほど)にあった中学校であることは間違いないようです。 このあたり、学校の名称と位置について当時と現在ではかなり変遷があり、通称などもあるようで様々な文献や当時の新聞記事ですら混乱が見られます。

そのため、当時に近いと思われる地図で確認しました。以下まとめです。なお、「現在の」という注釈を入れない限り、当時の名称・場所を指すものとします。また、お手数ですが現在の地図(例えばGoogle Map)などを参照していただいた方がわかりやすいかと思います。

(3月8日注記:その後の調べで、以下の記述は全体的に間違いが多いこと、上に掲げた地図は表記が古いことが判明しました。現時点での私(管理人)の考えをコメントに記載しましたのでそちらをご参照下さい)

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