狭山事件: 『狭山事件 50年目の心理分析』 その4

前回から間が空きましたが、殿岡駿星さんの新しい本『狭山事件 50年目の心理分析』についての分析の続きです。

この本で気になるのは、地理的な位置関係に首をかしげさせられる記述が多いところです。そして、掲載されている地図(殿岡さんの手描きのようです)も、実際の地図と照らし合わせると位置関係が合っていないところが見られます。単純に位置関係が合わない程度であれば問題はありませんが、それが「推理」にもかなり重大な影響を与えているところが問題です。

例えば、本書29ページには、被害者宅から入間川駅(現在の狭山市駅)までは直線距離で3.2km、入曽駅までは3kmという図示がなされています。そして、「被害者宅から入間川駅までと入曽駅までの距離はほとんど変わらず、入曽駅を経由すると入間川駅-入曽駅の距離の分遠回りになるのに、なぜ長兄は『被害者が入曽駅を経由したかもしれない』などと思ったのか?」という意味の疑問を投げかけています。

しかし、実際の地図で直線距離を計測すると、被害者宅から入間川駅までは3.5km、入曽駅までは3kmと、500mほどの差があります。また、被害者宅から入間川駅まで直進的に到達する道路が当時は存在しなかったのに対して、入曽駅までは当時からほぼまっすぐな道があったため、歩く距離になると4.7km対3.7kmと1kmの差がありました。
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被害者宅から入間川駅(当時)までと入曽駅までの道のり

トータルの移動距離としては確かに入曽を経由すると遠回りです。しかし、入間川から入曽までは電車の中で雨をしのぐことができます。当時のこの周辺の道路はほとんど未舗装で、雨が降るとぬかるみになることもあり、雨が本降りになったから被害者が学校に自転車を置いて歩いて帰ろうとしたのではないか、歩く距離を1km減らしたくて1駅電車に乗ったのではないか、と長兄が想定したこと自体はそれほど不自然なものとは考えられません。おそらく、長兄自身も分校に通っていた頃、帰りに雨が降ったときはそうしていたのではないでしょうか。

殿岡本では、この疑問から「長兄は実際には入曽駅には立ち寄らなかったのではないか」と推定して論を進めています。「入曽駅に寄らなければならない合理的な理由は見つからない」とも。しかし、入曽に立ち寄ったとしても家までの道のりは約6.7kmと、やげん坂経由で帰ったのと比べて2kmしか違いません。雨の中を歩く時の1kmの差は大きいでしょうが、車に乗っての2kmの差は大した距離ではないでしょう。従って、念のため入曽駅に立ち寄って確認したという長兄の行動に不審な点はないと思います。
殿岡氏の議論はそこが逆転しています。曰く、被害者が雨の中を歩く距離を1km節約するために入曽経由で帰ることは考えられず、長兄がそのような状況を想定したこと自体がおかしい。曰く、長兄が車で入曽に寄ると2kmも遠回りになるから非合理的だ。本当にそうでしょうか?

殿岡氏は、狭山市駅(当時は入間川駅)から被害者宅まで現地を歩いて調査したあとで、同行した「TN君」からこの疑問を提起された、としています。しかし、実際に狭山市駅から被害者宅まで、ならびに入曽駅から被害者宅まで歩いたり自転車で走った感想から言えば、両者の間には地図上の1km以上に距離の差があるように感じます。狭山市駅からはまず入曽駅の近くまでいって、そこから曲がって被害者宅へ行く感じ(あくまでも感覚的に)になるからです。さらに、当時の「やげん坂」は晴れた日の昼間でも薄暗い雑木林の中の未舗装の道路だったそうで、そうなると雨の日にはできれば通りたくない道だったでしょう。そういったことからも、帰りに雨が本降りになったら、学校に自転車を置いて一駅電車に乗って入曽から歩くという想定は、N家から入間川分校に通う場合にはまず常識的な行動かと思います。

その他にこの本に掲載されている地図、具体的には65ページ、223ページ、372-373ページに掲載されている地図も、ことごとく「あれ?」という点が見受けられます。観光地にあるような名所を図解したイラストマップであれば、縮尺を無視して道路のつながりだけを示すのでも問題ないでしょう。しかし、距離を根拠にした推理を展開するのであれば、正確な縮尺に則った地図を提示しなくては誤りにつながります。

当時の(ほぼ)正確な地図に関してはこちらをご参照ください。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。


   

2 thoughts on “狭山事件: 『狭山事件 50年目の心理分析』 その4”

  1. この件(長兄氏の入曽駅立ち寄り)について考える時、見逃せない事実があります。それは、「入間川駅(現・狭山市駅)から被害者宅方面に行くバス便は無いが、入曽駅からはあった」ということです。これは現在も同じで、入曽駅からは「新狭山駅行き」のバスが出ていて、「はけ下」(=佐野屋前)というバス停で降りれば、被害者宅までは約1kmほどで辿り着くことができます。
    なお、当時は「新狭山駅」(昭和39年開業)はなく、バスは「入曽駅~川越駅」間で結ばれていました。時刻表等は不明ですが、地元の人の話によれば「本数は少なくて、昼間はほとんどなかった。おそらくは今より多少ましな程度。ただ、朝と夕方だけは1時間おきくらいであった。だから、東京方面に電車で行く時などは、地元でも行き帰り利用している人は結構いた」とのことでした。また、バス停前の「佐野屋」には、被害者と小~中学校時代9年間一緒に過ごし、H中3年時も同級生だったS・M君が住んでいました。ですから、当然店の人にひと声かければ傘も借りられたはずです(被害者は佐野屋近くの道を通学路としていましたから、翌朝以降それを返しに行くのも簡単だったと思います)。つまりは、入曽駅経由でバス便を利用すれば被害者はまったく雨に濡れずに短時間で帰宅することが可能だったのです。被害者兄は入曽駅に立ち寄った理由について「自分も雨の時は入曽駅経由で帰宅したことがあったので」と供述していますが、これもそのあたりの事情まで考えればごく自然な発想だったと思います。管理人さんもおっしゃっていますが、「約2kmの遠回り」も車で行くならば大した距離ではありませんし、その所要時間が直接犯行に結び付くとも考えられません。殿岡氏がこれを「長兄犯行説」の根拠の一つとしているならば、それは無理というほかないように思います。

  2. なるほど。そういえばあの道にはバスありましたね。一時期あの通り沿いの会社に通っていたことがありますが、あまりにも本数が少ないので自転車で通うようにしたので忘れていました。ご指摘ありがとうございます。

    殿岡さんの今回の本は、少なくとも表面的には長兄犯行説を前面に押し出してはいないため、その根拠の一つとしているということはありません。ただし、長兄の行動に疑問が多いということは繰り返し述べられており、その根拠の一つとして解説されています。

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