「ダークサイドJAPAN」2001年10月号にあった漠然とした情報を元に、ダメもとでとある場所に行ってみたら、本当に都井睦雄のお姉さんが経営していたといううどん店がありました。お姉さんはおそらく1996~97年頃にお亡くなりになったものと思われます。その直前まで元気にこの食堂を経営していたとのことで、もう少し前に津山事件に興味を持って見に行っていれば、と悔やまれます。
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津山事件: スーパーモーニング その2
本日の前のエントリでは興奮してしまって失礼しました。
今回の特集で参考になったことももちろんありました。
- 地元では殺害された人数は36人と伝えられていたこと。この点については、事件直後から人名込みで30人と報道されており、36人の方が間違いと思われます。
- 寺井ゆり子(筑波本で使われていた仮名、都井睦雄が最も執着していた女性)が2008年7月現在でまだご存命であること。これも2005年あたりまでご存命であるということは既に報じられていましたが、とりあえず現時点でもご存命であると言うことが確認されました。
しかし、せっかくのTVというメディアで、普段は証言しないような被害者の遺族などの地元の人も話をしてくれているのに、どうもツッコミが足りないというか、事件に対する基礎知識が欠落しているために食い足りない取材になっているのも事実です。「再現イメージ」みたいなつまらん映像を作ってるヒマがあったら、もっときちんと文献を読み込んで取材にあたってほしかったところです。「再現イメージ」なんて、「丑三つの村」から借りてきた方がデキがいいに決まってるんですから。
津山事件: スーパーモーニング
本日(2008年7月21日)朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で、津山三十人殺しの特集がありました。先日のトトロ放映に続いてまた本ブログへのアクセス数が増大しています。結論から言うと、何というか、あれだけ短い中でよくもこれだけの間違いを詰め込めるもんだと呆れるデキです。
津山事件: 都井睦雄の墓 その2
先日、岡山に行く用事があったのでついでに津山事件ゆかりの地を訪ねてきました。まず最初に倉見にある都井睦雄の墓を訪問しました。倉見というところは、美作加茂駅(この駅もたいがいイナカですが)から10km以上離れた山奥で、「加茂町史」などによるとタタラ製鉄が行われていた、典型的な山村です。現在は近くにダムやキャンプ場などもできて開けていますが、当時は本当に車も通わない山奥だったと思われます。
内容について語る前に、津山事件(津山三十人殺し)が発生したのは西加茂村貝尾(現津山市加茂町行重貝尾)なのに、なぜ都井睦雄の墓が加茂町倉見(現津山市加茂町倉見)にあるのかについて説明が必要でしょうか。ちなみにこの2つの場所は15kmほど離れています。
都井家はもともと倉見の地にあり、睦雄もそこで生まれました。なぜ睦雄が貝尾に移り住んだかと言うと、もともと祖母が貝尾の生まれで、そこから倉見の都井家に嫁入りしていた縁によります。睦雄が2歳の時に父親(祖母の息子)が、3歳で母親が相次いで結核で亡くなったため、残された祖母が睦雄と姉を連れて故郷である貝尾に移り住みました。この経緯には、倉見が当時人里離れた山村だったために祖母が睦雄の教育を心配し、多少でも加茂の町に近い貝尾に出てきたという事情もあるようです。
祖母は筑波本の仮名で言えば「寺井」になっている家の出身で、親類(祖母の甥)も貝尾にいたようです。しかし、事件後はそういった親類筋にあたる家の人間も事件の犯人である睦雄を弔うわけにもいかず、睦雄と祖母の遺体を都井家の人たちが倉見まで引き取ってきて埋葬したそうです。
「不思議ナックルズ」Vol.9によると、下記のような経緯できちんとした墓石ではなく川石(玉石)を墓代わりにしたとのことです。
睦雄の姉は「せめて立派な石塔を作ってやりたい」と願った。しかし、姉の夫は「石塔なんてもってのほか。睦雄の墓だということは絶対他人に知られてはいけない」と言って、結局倉見川から拾ってきた川石を石塔代わりに睦雄の遺体を埋めた上に置いた。
津山事件: 新聞画像について
とある方からメールで下記のようなお問い合せをいただきました。下の文章は意訳で、元の文章はもっと丁寧なものです。
あんたのブログに載ってる新聞画像はここからの転載じゃないのか?向こうの方がブログのエントリ日も早いし、人名の消し方も全く一緒だし、向こうにはあんたのところにない画像も載ってるし。それなら出典として合同新聞だけじゃなくて向こうのブログも示すのがスジだろう。
拝見してみると、確かに同じ画像が掲載されています。しかし、これらの画像は当方が元記事のコピーをスキャンしてアップしたもので、こちらが先に掲載したものです。
例えば、下記の2つの画像を見比べてください。
当サイトの画像の方が解像度が高くなっており、先方のサイトが当方サイトに掲載した写真を小さくリサイズして掲載していらっしゃることがご理解いただけるのではないかと思います。ブログのエントリ日は確かに先方サイトの方が先(2006年07月25日)ですが、おそらく後から編集で追加されたのではないかと思われます。
誤解しないでいただきたいのですが、これらの記事は当然当方に著作権があるものでもなく、引用として使用しているだけですので、著作権を主張するとかケンカを吹っかけるというつもりは全くありません。ただ、先方のブログの方がメジャーなようでもあり、また上のような嫌疑を掛けられるのもアレなので、一応改めて明記・宣言しておきます。
当サイトにアップしている記事画像類のほとんどは、引用のために私(管理人)自身が元記事をスキャンして、人名の消去等必要と思われる加工を行ったものです。唯一の例外はこのページの犯人の顔写真類で、これらのほとんどはネット上で拾った画像をそのまま掲載しています。それ以外の新聞・雑誌記事等は基本的にすべて自分でスキャン・加工を行っています。
津山事件: 都井睦雄の写真
今回のエントリはサービスです。どうも、うちのサイトに「津山事件 写真」あるいは「都井睦雄 写真」で検索して来訪している方が多いようなので、並べて置いておきます。
津山事件: 下山事件: 新風舎と草思社が民事再生法適用を申請
『謀殺 下山事件』の文庫本を出していた新風舎が2008年1月7日付で民事再生法適用を申請したのに続いて、1月9日付で『津山三十人殺し』の単行本版の版元である草思社が民事再生法適用を申請したとのことです。相次ぐ民事再生法適用申請で、この手の良質なノンフィクション書籍を出していた出版社が相次いで事実上倒産するあたりに時代の流れを感じます。
津山事件: 稀代の殺人鬼 その5
連載第5回(最終回)です。
「亡き父母眠る墓所戀しく自殺の場所をこの倉見越えに求めたらしい」とのことなんですが、倉見は貝尾から北の方、荒坂峠は南の方なのでこの記述にはちょっと疑問が残ります。
睦雄が自殺した時点でまだ銃弾は14発残っていたとのこと。これを全部使い切っても、禹範坤の記録には届かないわけですね。
津山事件: 稀代の殺人鬼 その4
連載第4回です。
事件当日の睦雄の動きが詳しく書かれています。筑波本で「寺井ゆり子」になっている女性が隣宅へ逃げ込んで助かった(その代わり逃げ込んだ先のおじいさんが殺された)話や、「お前は惡口をいはぬからこらへてやる、しかし後では惡口をいふだらうな」と老人を見逃した話などはこの記事から取られた物ではないかと思います。