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狭山事件: 証拠開示へ一歩前進

埼玉新聞9月11日付記事にて、10日に行われた東京高裁、検察、弁護団の協議の内容の一部が明かされています。それによると、弁護団が求めている証拠を開示するかどうか、検察が10月末までに回答することになったとのことです。

検察は相変わらずかなり渋っているようですが、門野裁判長が「中間報告でもよいから出しなさい」と迫ったとのことで、これで検察が持っている証拠が開示されれば、石川さんの冤罪が証明されることはもちろん、真犯人推理の観点からも大きな前進になるのではないかと思います。

ただし、二審の裁判も、当初は裁判所が石川さんに好意的と言われたにも関わらず無期懲役の判決となりました。まだまだ予断を許さない状況であるとも思います。



狭山事件: 事実調べ実現か

埼玉新聞9月10日付記事で、東京高裁の門野博裁判長、検察、弁護団による協議が行われる(行われた?)とのことです。事実調べ、あるいは検察が持っているという膨大な証拠の開示に向けて、一歩前進する可能性があると思われます。

まだまだ予断は許されませんが、しかし最近の足利事件などの流れを見ても、期待はできると思います。



津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その3

前回エントリで、「結核で1年の間に家族3人が亡くなるものか」という疑問を提示しました。また、コメントでも、「実は死因はインフルエンザだったのではないか」というご指摘をいただきました。

私も、睦雄の両親と祖父の死因が結核ではなくインフルエンザだった可能性があると思っています。ただし、3人ともインフルエンザとすると、逆に今度は3人の死亡日が離れすぎていると思います。というわけで、最初の祖父はインフルエンザで、それが両親にうつって(もしかしたら、父親が軍隊で結核をもらってきて保菌状態だったのかもしれません)抵抗力が落ちて結核を発症、インフルエンザの影響もあって急速に悪化して亡くなったのではないかというのが現時点での推測です。その意味では、筑波本も合同新聞も間違ってはいない、と。

いずれにしても、1年以内に近親者3人を亡くしたおばやんのショックは大きかったでしょう。後年、睦雄が中学に入りたいと言ったときに「わしを置いていくのか」と反対したのも、夫と息子夫婦が相次いで亡くなった後に、ガランとした家にとり残された経験というか、トラウマが原因だったのではないかと思います。

睦雄の両親だけでなく祖父もほぼ同時期に亡くなっていたことを知ったときに個人的に衝撃的だったのは、以上のようなことを考えたことが理由です。中学に進学できなかったことは睦雄が津山事件を起こした理由の一つでもありますし、そもそも祖父と両親が健在なら、睦雄も山奥の中農の跡取りとして幸せな暮らしができただろうと思います。家族の不幸な歴史が、事件に向かって一直線に収束していくような、そんな錯覚も覚えます。

津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その2

mutuo_grandpa祖父の墓碑

筑波本では「父方の祖父はすでに六十二歳で亡くなっていた」としか書かれていませんが、墓碑銘によると実際には祖父が亡くなったのは大正7年(1918年)7月でした。つまり、都井家では

  • 祖父: 大正7年7月18日
  • 父: 大正7年12月21日
  • 母: 大正8年4月27日

と、1年足らずの間に相次いで3人が亡くなったことになります。

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その他: 衆議院議員選挙と最高裁判所裁判官国民審査

残念ながら、保坂さんも落選、最高裁裁判官も不信任が過半数になった人はいませんでした。後者はまずありえないのでしょうがないとして、保坂さんの落選は、児童ポルノ法や表現の自由にとって大きな痛手であろうと思います。

しかし、ご本人のブログを拝見する限りでは再起を図るとのことですので、引き続きこの辺の問題に取り組んでいただけることを期待して応援していきたいと思います。