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津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その3

前回エントリで、「結核で1年の間に家族3人が亡くなるものか」という疑問を提示しました。また、コメントでも、「実は死因はインフルエンザだったのではないか」というご指摘をいただきました。

私も、睦雄の両親と祖父の死因が結核ではなくインフルエンザだった可能性があると思っています。ただし、3人ともインフルエンザとすると、逆に今度は3人の死亡日が離れすぎていると思います。というわけで、最初の祖父はインフルエンザで、それが両親にうつって(もしかしたら、父親が軍隊で結核をもらってきて保菌状態だったのかもしれません)抵抗力が落ちて結核を発症、インフルエンザの影響もあって急速に悪化して亡くなったのではないかというのが現時点での推測です。その意味では、筑波本も合同新聞も間違ってはいない、と。

いずれにしても、1年以内に近親者3人を亡くしたおばやんのショックは大きかったでしょう。後年、睦雄が中学に入りたいと言ったときに「わしを置いていくのか」と反対したのも、夫と息子夫婦が相次いで亡くなった後に、ガランとした家にとり残された経験というか、トラウマが原因だったのではないかと思います。

睦雄の両親だけでなく祖父もほぼ同時期に亡くなっていたことを知ったときに個人的に衝撃的だったのは、以上のようなことを考えたことが理由です。中学に進学できなかったことは睦雄が津山事件を起こした理由の一つでもありますし、そもそも祖父と両親が健在なら、睦雄も山奥の中農の跡取りとして幸せな暮らしができただろうと思います。家族の不幸な歴史が、事件に向かって一直線に収束していくような、そんな錯覚も覚えます。

津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その2

mutuo_grandpa祖父の墓碑

筑波本では「父方の祖父はすでに六十二歳で亡くなっていた」としか書かれていませんが、墓碑銘によると実際には祖父が亡くなったのは大正7年(1918年)7月でした。つまり、都井家では

  • 祖父: 大正7年7月18日
  • 父: 大正7年12月21日
  • 母: 大正8年4月27日

と、1年足らずの間に相次いで3人が亡くなったことになります。

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津山事件: 荒坂峠

荒坂峠から行重方面を望む荒坂峠から行重方面を望む

これも津山事件関係の書籍によくある表現で、「都井睦雄は、生まれた倉見と育った貝尾を見下ろせる荒坂峠の山頂付近で自殺した」という話があります。ところが、荒坂峠で一番見晴らしがいい上の場所からは、倉見も貝尾も見えません。倉見は15kmほど離れているのでそもそも見えるはずがありませんし、貝尾は上の写真のもうちょっと右の方で山の陰になるので見ることはできません。
倉見・荒坂峠・貝尾倉見・荒坂峠・貝尾の位置関係

(2010年2月14日注記)
その後の調べで、荒坂峠の頂上から貝尾は見えることが判明しました。こちらをご参照ください。お詫びして訂正いたします。

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津山事件: スーパーモーニング

「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石

本日(2008年7月21日)朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で、津山三十人殺しの特集がありました。先日のトトロ放映に続いてまた本ブログへのアクセス数が増大しています。結論から言うと、何というか、あれだけ短い中でよくもこれだけの間違いを詰め込めるもんだと呆れるデキです。

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