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狭山事件: トマトパーティー

狭山事件を推理するサイト管理人氏の主催による現地調査に参加しました。

現地調査後、トマトパーティーにも参加し、各種推理(被害者の学校を出てからの足取り等)に関して有意義な議論を聞かせていただきました。

席上で、近々(?)いろいろと新しい展開がありそうということを伺ってwktkしています。

狭山事件: 被害者次兄の中華料理店

被害者の次兄が経営していた中華料理店があった場所

この写真の橋の向こう側、現在は駐車場になっている場所に、被害者の次兄が経営していた中華料理店があったとのことです。被害者の次兄は昭和52年10月に自殺しており、その際に女言葉で書かれた奇妙な遺書を残しています。

この写真は以前、狭山事件を推理するサイト管理人の方にお送りしたことがあり、そちらの方にも掲載していただいています。I養豚場や被害者宅のそばを流れている不老川の上流で、現在では狭山市立山王小学校がある場所のちょうど向かい側あたりになります。

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狭山事件: 被害者の胃の内容物

狭山事件公判調書 第二回公判狭山事件公判調書 第二回公判

あちこち話が飛んですいません。コメントで被害者の胃の内容についての話をいただいたので、胃の内容物の写真です。被害者の遺体を解剖した結果、

  1. 茄子
  2. トマト
  3. 玉葱
  4. 馬鈴薯
  5. 人参
  6. 米粒
  7. 小豆

の8種類の食材が胃の内容物として確認されています。しかも、写真でご覧いただけるようにほぼ咀嚼したままの、皮の原型をとどめたままの状態です。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その2

毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊

OTくんの証言に関する当初の報道です。OTくん自身の証言は下記の通りです。

  1. S自転車店近くで被害者がうつむきかげんに自転車に乗っているのを見た
  2. そのとき、OTくんは午後1時から西中学で開かれている「学徒総合体育大会」の応援に行く途中だった。(斜体部は原文ママ)

まず、OTくんが目撃した被害者は自転車に乗っていたということは特筆に値するでしょう。同じように3時前後に被害者を目撃したと証言しているA先生は自転車に気がつかなかったと言っていますので、その点で矛盾していることになります。

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狭山事件: 当時の狭山市内の中学校

狭山市詳図狭山市詳図(1966年、人文社刊)

前回のエントリの記事で「入間川中学」という名称が出てきました。ところが、文献によっては当日試合があったのは「入間川東中学」になっています。いずれにしても、現在の狭山市立入間川中学校とは別の、現在の狭山市立入間川東小学校の場所(線路沿いの第一ガードそば、川越高校入間川分校や駅からも歩いて5分ほど)にあった中学校であることは間違いないようです。 このあたり、学校の名称と位置について当時と現在ではかなり変遷があり、通称などもあるようで様々な文献や当時の新聞記事ですら混乱が見られます。

そのため、当時に近いと思われる地図で確認しました。以下まとめです。なお、「現在の」という注釈を入れない限り、当時の名称・場所を指すものとします。また、お手数ですが現在の地図(例えばGoogle Map)などを参照していただいた方がわかりやすいかと思います。

(3月8日注記:その後の調べで、以下の記述は全体的に間違いが多いこと、上に掲げた地図は表記が古いことが判明しました。現時点での私(管理人)の考えをコメントに記載しましたのでそちらをご参照下さい)

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下山事件: 自殺説について

ちょっと間が空いてしまいました。

下山事件の自殺説に関して考察しているサイトがありました。

http://shimoyamajiken.blog17.fc2.com/blog-entry-1.html 

こちらのサイトと異なり、下山事件の自殺説に絞って深く考察されています。現在は特に法医学関係に関しての考察を詳しく紹介していらっしゃって、非常に参考になります。松本清張氏がご存命であれば、これを見てもまだ「カンか科学か」って言い張るんでしょうかねえ。

現状で手に入る下山事件関係の書籍のほとんどは他殺説で、自殺説のものは手に入りにくく高価なので、「平成三部作」で下山事件に関して興味を持った方も、自殺・他殺の判断をする前に是非ともこういった情報収集をしていただきたいと思います。

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狭山事件: 特別重要品触 その2

毎日新聞昭和38年5月9日付朝刊毎日新聞昭和38年5月9日付朝刊

前回のエントリで採り上げた品触の写真が真っ黒になっていて見えにくかったので、毎日新聞の方からもう少し見やすい写真を。

見て判るとおり、どう見てもダレスバッグ(ダレス鞄)ではありません。(…本当にありがとうございました。)

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狭山事件: OGについて その2

埼玉新聞昭和38年5月7日付朝刊埼玉新聞昭和38年5月7日付朝刊

昨日のエントリを読み返して、ついいつもの調子で「OGが……」とか書き始めてしまいましたが、これだとワケワカですね。

OGについての詳細はこちら を参照してください。被害者宅で終戦直後(昭和22~23年頃)に作男をしたことがあったり、死体発見現場近くで新居を建設中だったり、といった状況から事件直後からかなり濃厚な嫌疑をかけられていたにも関わらず、5月6日に自殺してしまった男性です。

この人が6日朝に自殺してしまったことから、「こんな悪質な犯人はなんとしても生きたままフンつかまえてやらねば…」と当時の篠田国家公安委員長の至上命令(本日の画像)が下り、そのために刑札としても被差別部落地域に無理な捜査を行った挙げ句に石川さんを「生きたまま」の「犯人」としてでっち上げることになったということで、今日狭山事件が「冤罪事件」「部落差別事件」として世に知られることになった遠因とも言える人でもあります。

2ちゃんねるなどでの議論においてはこの人はSG巡査部長 と並んで事件への関与を疑われているわけですが、書籍として出版された推理本では意外に重視されていないという不思議な現象もあります。

個人的には、何らかの形でやはり事件に関わっていたのではないかと考えます。なんと言っても自殺(?)のタイミングがタイミングですし。

狭山事件: OGについて その1

サンケイ新聞昭和38年5月7日付夕刊サンケイ新聞昭和38年5月7日付夕刊

この記事で、OGが当日S通運を 退社した時刻は少なくとも午後4時過ぎであったことがわかります。被害者が学校を出た時刻と同様のロジック(「目撃者が対象の人物を目撃して駅に向かったところ○時○○分の電車に乗り遅れたので時間をよく覚えている」という証言)を認めると、OGがS通運を退社した時刻と被害者が学校を出た時刻の間にはおよそ1時間の差があることになります。