下山事件: 「秋谷鑑定」 その6

昭和39年6月26日 衆議院法務委員会議事録(抜粋)

これまで「文春秋谷鑑定」とその問題点について見てきました。実は、これまでに、真正の「秋谷鑑定」の内容が一度だけ公になったことがあります。

上のリンク先に載せておいたのは、下山事件を殺人事件と見た場合の時効(昭和24年7月5日ないし6日から15年)成立直前である昭和39年6月に開かれた衆議院法務委員会の議事録です。なお、上のリンク部分には下山事件関係だけ抜き出しておいてありますので、出席者や当日の他の議題を含めた議事録全文をご覧になりたい方は国会会議録検索システムをどうぞ。

この中に以下の2通の鑑定書が資料として委員に配布されたことが記載されていて、その内容について質疑が行われています。

  • 「東京地検検事金沢清名義で鑑定を嘱託した結果の報告」:昭和二十四年十二月三十日付、「桑島鑑定」
  • 「東京地検検事布施健の鑑定嘱託で秋谷七郎を鑑定人として昭和二十六年二月十九日に鑑定書の報告」:(真正の)「秋谷鑑定」

本ブログの管理人は国会図書館に行ってこのときの資料が残っていないか確認しました。しかし、委員会の資料については、第100国会(昭和58年)前後のもの以降しか保存されておらず、昭和39年のものは残っていないとのことです。つまり、今となっては、この資料として配付された「秋谷鑑定」の全文を見ることは不可能です。

ただし、質疑応答の中で「秋谷鑑定」から引用されている部分があり、それを通じて記載事項をうかがい知ることはできます。討議の中で上記の2つの鑑定書がごっちゃになっている部分が多く、どちらの鑑定書にどのような記述があったか判然としない部分もありますが、内容的に「秋谷鑑定」のものと考えられるのは下記のような項目です。(カギカッコ内は「秋谷鑑定」からの引用)

  • 「靴の色は、下山氏が自宅で常時使用していたクリームは、朱系の赤茶であって、現に塗られているクリームの色は全く異ったものである。」
  • 「アスファルト様物質を踏みつけた時刻以後は、この靴を誰も履いて歩かなかった。」
  • 緑色色素の件
  • ぬか油の件
  • 下山氏は、当日の朝から轢断現場までの間に次の場所を経たと考えられる。「(一)アスファルト様物質のあった場所、(二)色素(油蝋製のペンキかクレオンのような物質も含めて)のあった場所、(三)米糠油と鉄の破片又は粉末のあった場所」これは同時に付着したものですね。「(四)建築材料の如き塗料のあった場所、(五)石炭のあった場所、常町国鉄等に優先的に配給せられていた高カロリーのものと類似した石炭のあった箇所とも考えられる。」
  • 「下山氏の心臓の搏動の停止した時刻は、本鑑定人の測定法の結束では、七月五日午後九時半となったが、この時刻を中心に、前後二時間ずつの誤差を考えに入れると、同日午後七時半から同二時半頃までの間となる。」(管理人注:「同二時半」というのは、文脈から考えて、原議事録に縦書きで「同一一時半」と書かれていたものをテキストに起こす際にミスったものと思われます。国会議事録には意外にこういうミスが多いので、読むときには注意が必要です。)

というわけで、案の定というか、真正「秋谷鑑定」に機関車の油に関する記述があったという証拠はありません(なかったという証拠もありませんけど)。

最後の死亡推定時刻の件については、下山事件自殺説紹介ブログさんの方でその妥当性について詳しく考察されていますので、是非そちらも参照してください。

4 thoughts on “下山事件: 「秋谷鑑定」 その6”

  1.  このところ「下山事件」エントリにけっこう嵌りまして、「下山事件自殺説紹介ブログ」さんともども、読み入ってしまいました。それで連続コメントです。

     いろいろな参考書を小生も読み込んできたとは言え、平成3部作以外は結構昔の読書履歴だったので忘れていた部分も多かったのですが、両ブログの記述でいろいろ思い出しました。狭山事件と比較すると、法医学上の問題点は格段に多いのと、現在は狭山事件に絞って活動している立場上、格別突っ込んだ意見などは小生の手に余る事ですが、両ブログともとにかく素晴らしい資料サイトとなっていますね。喝采です。

     法医学方面で小生自身がネット上で探してメールで質問をして見た先生のことなどを、(ここに書くのもなんですので)参考までにそのうちにメールさせていただきます。何もいますぐ質問メールをしないとしても、ちゃんと答えてくれる先生もいると言うことで、一応知っておいて損はない方です。

     では、今宵もこちらに熱中のあまり遅くなりましたので、また…。

  2. うちのブログにコメントで教えていただいてありがとうございました。
    今から更新してお礼とともに昭和39年6月26日 衆議院法務委員会議事録の情報を
    書き込もうと思います。

  3. 最近気づいたんですが、この昭和39年の法務委員会で配布された秋谷鑑定の要約部分ですが、もしかしたら『資料・下山事件』の517ページ以降に載っているものではないでしょうか。『下山事件全研究』の384ページあたりをみても、少なくとも内容の一部はまったく同じようです。

  4. ご指摘ありがとうございます。また、反応が遅くなってすいません。
    確かに掲載されていますね。内容を確認しながら書き始めたら長くなったのでエントリとして独立させました。こちらをご参照下さい。

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