伊吹隼人さん主催の現地調査が無事に終了しました。参加者の方々はお疲れ様でした。以下、当日の模様をフォローアップ含めてお届けします。ここ数年で、特に狭山市駅前が大きく様変わりして事件当時の面影がなくなってしまいましたが、さらに狭山准看護学校も移転したため、さらに再開発が進みそうな感じです。
狭山市駅その1
狭山市駅での様子。
狭山市駅その2
狭山市駅は2010年に橋上駅舎に改装され、事件当時の面影が全く無くなってしまいました。写真の左の方が当日石川さんが休憩したという「荷小屋」の跡地になりますが、今はそれらしい跡はありません。
狭山医師会立准看護学校跡
被害者が通っていた埼玉県立川越高校入間川分校跡地です。跡地は長い間狭山医師会立准看護学校として使用されていましたが、2013年(今年)4月に同校が狭山台に移転して現在は跡地になっています。手前の狭山市中央公民館も既に取り壊されており、奥の狭山市立武道館も建物の耐震問題で2013年(今年)4月から利用停止となっているようです。したがって、この一帯をすべて再開発する予定なのかもしれません。現在ある准看護学校の建物は既に事件後に建て直されたものですが、事件当時を偲ばせる裏口=旧入間川分校の正門門柱の処遇を含めて、今後どうなるか予断を許さない状況です。
入間川分校の沿革についてはこちらのエントリをご参照ください。
小澤毛糸店跡地付近
被害者が当日立ち寄って針刺しを購入した小澤毛糸店はこの辺にあったようです。駅前通りならびに商店街自体が完全に取り壊されてしまったので、当時を偲ぶすべもない状況となっています。
荒神さま
三柱神社(荒神さま)です。伊吹さんによれば、地主の方の意向でこの神社は残す方向とのことです。ただし、事件当時の境内と比べると数分の一に縮小しています。
「殺害現場」
石川さんの自白による死体発見現場です。今年のニュース等でも登場していました。だいぶ以前から雑木林は姿を消していましたが、周囲を見るとさらに開発が進んでいるようです。
この他にも権現橋(養豚場跡地)から所沢方面に抜ける道路が開通したそうで、刻々と事件当時の面影がなくなっていくことを肌で感じます。
本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。