現在書店で売られている「未解決事件捜査地図」というムック本で、狭山事件がとりあげられています。著者の朝倉秀雄氏は元国会議員秘書で、「15年にわたる調査活動」の間に「10回以上も事件現場の狭山に足を運び」、この記事をまとめたとのことです。
この記事の中心となっているのは、養豚場兄弟の長兄(I-TR)から直接「自分(I-TR)は狭山事件被害者の父親である」という話を聞いたという証言者のインタビューです。これが真実であれば事件推理の上でかなり重大な新事実ということになりますが、残念ながらこの記事の信憑性は非常に低いと言わざるを得ません。したがって、このインタビューの存在自体、今後の狭山事件研究において無視できるものと思います。
そのように断言できる一番の理由は、この記事が事実関係において間違いだらけということです。
伊吹隼人さんにも記事を読んでいただきましたが、ぱっと見て明らかな間違いだけで下記のようなものがあるとのことです。
- 遺体の頭の上に置いてあった玉石の重さを6.6kgと書いているが、4.65kgの誤り
- OGが「自身の結婚式当日に自殺」と書いているが、結婚式前日の誤り
- OGが「若い頃に被害者宅に作男として出入り」と書かれているが、「2年間住み込みで働いてた」の誤り
- 被害者長姉が「事件後は家を離れる」と書いているが、「事件の8~9年前に家を離れる」の誤り
- 写真が6枚掲載されているが、うち3枚は間違った場所を撮影している(キャプション通りの場所を撮影していない)
また、朝倉氏は、「(自身が現場取材した結果)このような証言を得た」として、
- 被害者母が嫁いだ晩には、庭に墓石や卒塔婆が投げ込まれてあった(※「翌朝、庭に土まんじゅうが造られてあった」の誤り)
- 被害者母は死ぬ直前まで元気だったが、男に毒を盛られたため急死した
- 西武鉄道で日誌を確認したところ、I-TR轢死事故の記録だけが破り取られてあった
などと書いていますが、これらも明らかに〝亀井本の丸写し〟です。特に1.は亀井トム氏が荻原佑介氏からの伝え聞きを誤って記したものですし、本当に現地で取材しているならばこんな証言が出てくることは絶対ないはずです。
さらに、肝心のインタビューにおける、I-TRが被害者の母親と関係する経緯もおかしいとのことです。
(I-TRが)林の中で自慰行為にふけっていたところ、たまたまワラビ採りに来ていた(被害者母)に目撃され
(中略)
「よかったらつきあってくんねえか?」と挑発。すると(被害者母)もそれに応じた
このように書かれていますが、そもそもI-TRは当時入間川駅(現在の狭山市駅)近くに住んでいました。被害者母がワラビ採りに行く林というのは上赤坂の山林を指していると思われ、I-TR宅からは5kmほど離れていますので、そこまでわざわざ遊びに行って自慰行為をしたり、そこで何度も被害者母と密会することは考えにくい状況です。
朝倉氏はおそらく、I-TRが被害者宅に近い養豚場の場所に住んでいたものと勘違いしていらっしゃるのではないでしょうか。
以下は私(本ブログ管理人)の意見です。
朝倉氏が初めて現地に行ったのは2010年5~6月頃以降だと思います。
というのも、狭山事件に興味がある人なら基本中の基本である、「犯人が逃走し、そのまま行方をくらました地点」の写真が間違っているからです。犯人が実際に現れたあげくに警官40人の包囲網を突破して逃走したのが脅迫状にも店名が書かれた酒屋「さのヤ」の脇であったことは、このブログを読んでいる方であれば皆さんご存知と思います。その「佐野屋酒店」は2009年12月末まで事件当時の場所で営業しており、閉店後も建物が2010年春頃まで残っていましたから、事件に興味がある人がそれ以前に現地に行ったのであれば間違えるはずがありません。
ご丁寧に「今は畑となっている」ということまで書いていますが、犯人が現れた地点が当時から茶畑だったことは、これも関連書籍を読んでいれば常識です。
これだけ基本的な事実について間違いだらけの記事の中で、インタビューだけが真実ということは考えにくいというのが正直なところです。おそらくは、つい最近になって事件を知った著者が、あまり資料を読み込むこともなくお手軽にもっともらしいことを書いた記事ということでしょう。
この「インタビュー」を読んだときに真っ先に思い出したのは、『謀殺・下山事件』にあった「下山総裁の死体を運んだ男」のインタビューです。どちらも事件について決定的な(決定的すぎる)証言をしながら、その存在はボカされたままで、筆者以外の人間にはたどりつけないようになっています。そのような「インタビュー」を信じろという方が無理があると思います。
本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。また、とらのあな通販もご利用ください。
このムック本、実はとっくに読んでいたのでこの記事を読んで驚きました。結局どういうことになるのでしょうか?ムック本の執筆者はインタビューもしていないのにもっともらしくつくり話をしているのでしょうか?それとも執筆者自身騙されているのでしょうか?管理人氏には続報でそのへんのところもっと掘り下げていただけたらと思います。よろしくお願いします。
おそらくは「もっともらしいつくり話」ということでしょう。「もっともらし」くすらないという言い方もできます。
朝倉氏の狭山事件に関する知識は間違いだらけ(どう間違っているかは上でご説明した通りです)であり、「15年にわたる調査活動」や「10回以上も事件現場の狭山に足を運び」というのが事実でないことはほぼ明らかです。そうなると、インタビューの内容や、インタビューの相手の存在自体の信憑性も非常に低いと言わざるを得ません。
さらに、上の本文では書かなかった根拠がもう一つあります。
朝倉氏は、証言者にとある市会議員を通じて会った設定になっています。そして、
ために本名や素性を明かすことができないと書いています。
しかし、同和地区出身者で関東近県で市会議員を務めるほどの人間であれば、石川さんの冤罪を証明するためにどれだけ多くの人が動いているか、どれだけ苦闘しているかを知っているでしょう。「本名や素性を明か」さない程度の条件でインタビューに応じるのであれば、これまでにこの証言者を石川さんの再審請求に役立てられる機会はいくらでもあったはずです。そういう、より公的に役立つ形ではなく、今回朝倉氏に初めて明かしたというのは、何というかあまりにも都合がよすぎる話ではないでしょうか。
子供向けの戦隊もので、世界征服を目指しているはずの悪の組織がなぜかわざわざ日本の幼稚園バスを襲うような、よく考えれば「なぜ?」というご都合主義。「俺様のすばらしい人脈で今回初めてこんな凄い話が聞けたんだぜへっへっへ」という厨二設定全開の作り話。そういう「おはなし」に過ぎないと私(本ブログ管理人)は考えています。
はじめまして。
I-TRの自宅は入間川駅近くなのですか?
ということは遺体発見現場からもそれほど遠くないですよね?。
当時I-TRは何人ぐらしだったのでしょうか?
私は殺害現場は遺体発見現場からそう遠くないと思っています。
この状況で夜中に車を使えばかなり目立ちますし、
車なしで遺体を運び長距離を移動するのはリスクが高すぎると思うのです。
そしてサノヤに現れた犯人は、サノヤのすぐ近くに拠点があるのではないかとも思っています。
I-TRの当時の自宅の場所についてさしさわりなければ教えてください
I―TRの自宅は石川さん宅から道路を隔てて向かいにありました。入間川駅からは徒歩でも5分足らずのところです。
I―TR(事件当時30歳)はI家10人きょうだいの長男でしたが、養豚場は継がず、埼玉県志木市の某家に婿養子として入っています。なお、事件当時彼はすでに離婚し、長男を引き取って入間川の元の家(父は小平市で別居)に戻っていました。その頃の彼は、弟の養豚場を時折手伝いながら、所沢市の柳瀬川沿いにあった市営屠殺場にも勤務していました。
伊吹さん返答ありがとうございます。
I―TR氏は石川さん宅の向かいにあり、当時は
幼い息子と二人で暮らしていたということなのですね。
当時、養豚場関係者はサノヤにあわられた人物として警察に疑われ、
I家の兄弟は犯人の大本命でしたよね。
サノヤに現れたルートや、逃走方向に身を隠せる建物の存在に、
足袋の足跡、「おら」という言葉遣いなどを考慮すれば、その考えも頷けます。
しかしそれは身代金目的を偽装するためであり、養豚場関係者の
犯行とみせかけるためにわざと足袋を履いて足跡を残し、
「おら」という発言を聞かせたのだと考えている人もいますよね。
I家の兄弟でI―TR氏は逮捕されなかったようですが、
彼には確実なアリバイがあったということなのでしょうかね。
真実がしりたいなぁ。
伊吹さん
エントリーの内容から外れてしまい申し訳ないのですが
あるブログに伊吹さんは「山田兄弟の末弟は「強姦」の前科持ち」と書かれています。
この強姦事件について、もう少し詳しく教えていただくことはできますか?。
わたしは真犯人が養豚場と無関係な人物であるのならば、
I家や従業員に罪をかぶせることも犯行の動機であるように感じたのです。
この事件で、誰が損をしたのか考えるとI家はとてつもないダメージを受けてますよね。
実際に兄弟の何人か逮捕されましたし、一歩間違えれば、
I家の誰かが石川さんの立場になった可能性もありました。
真犯人がI家にも恨みを持っているとしたら、リスクを承知でサノヤに行った理由も
説明がつくと考えたのですが。
単純に自分を捜査対象から遠ざけるためだけにしてはリスクが大きすぎるような気がします。
彼が「強姦の前科持ち」ということだけは確かですが、それ以上の事は私もよく分かりません。ただ、事件当時彼はまだ19歳ですから、それほど昔の話ではなかったと考えられます。
あと、申し訳無いのですが私は「I家または養豚場従業員に罪をかぶせることが犯行動機」との説には賛同できません。それならば、あれ程の危険を冒してまで手間の掛かる作業を行わずとも、警察が動き出す以前に養豚場内に死体を遺棄するなり、付近に埋めるなり、被害者の所持品を養豚場内に捨てるなりする方がよほど確実かつ簡単であるからです。
なお、当時「佐野屋」の店名を知っていた人間は、そこからせいぜい半径1km内程度に住んでいたか勤務していた人間だけに限られていたそうです(現地住民の話)。また、「日頃からあのあたりの風景をよく見慣れている人間でない限り、真夜中にあの畑の中を走って逃げるのは絶対無理」との証言も複数の現地住民から得ています。もちろん断定はしませんが、私は養豚場関係者の中に実行犯の少なくても1人が含まれていた(※但し石川さんは想定していません)可能性は非常に高いと考えています。
I―TRは「長男と二人暮らし」だったわけではなく、家には母親(父とは別居)や下の方の妹らもいたようです。
なお、彼に犯行時刻頃のアリバイはありません。事件の日、石川さんが駅前で目撃した養豚場のトラックに乗っていたのは「IY(I―TRの弟)とI―TR」とも、「IYとIT(石川さん宅近くに住んでいた血液型B型の男性)」ともいわれており、これは結局裁判でもはっきりしないまま終わっています。
某氏によれば彼は「酒乱の上、とにかく手がつけられないほどの乱暴者」だったそうで、「怒り出すと相手の家を壊しに行ったり、マサカリを振り回して暴れたりしていた」そうです。
また、事件の頃は「ひどく金に困っていた」とのことで(実際彼は事件前に窃盗も行っています)、関係者の中にはそうした一連の行動や事情から事件との関連を考えていた方もいたようです。
伊吹さん 返答ありがとうございます
他の人はどのように考えるか、意見を聞いてみたくて書いたわけですから、
賛同できないからといって謝罪する必要はありません。
「警察が動きだす前に」というコメントで思い出したのですが、
殺人でもっともやっかいなのが遺体の処分ですよね。
遺体を安全に処分しようと考えるのなら、
事件発覚前に遺棄したほうが良いのにもかかわらず、
犯人は殺害後、すぐに脅迫状を届けています。
実際に身代金目的だったかどうかはともかく、「さのヤでの身代金受け渡しという状況の発生」は
犯人にとって絶対条件だったということなのでしょうね。
それから、I―TRに1日の犯行時刻のアリバイは無いと断言していらっしゃいますが、
確実な根拠があっておっしゃっているのですか?。
I―Yは1日に石川二男氏が休んだために兄であるI-TRに手伝ってもらったと証言しているようです。
http://sayamacase.web.fc2.com/C-court/memorandum/2-15-16.html
彼のアリバイがないと言い切るということは、この証言が嘘であるという証拠を
つかんでいるのですか?
身内の証言だから疑うこともわかりますけど、
その証言が嘘である証拠を突き止められなかったのなら、
アリバイがないとはいえません。
これは話があべこべだと思います。
「アリバイ」は本人の供述のみではまったく効力を持ちません。
つまりは、いくら本人が「事件が起きた頃、自分は××で××をしていた」と主張していたとしても、裏付けるモノ・人がなければ、それは何の価値も持たない、ということです(これについては、石川さんのアリバイ主張が裁判所から全面否定されているのを見ても容易にご理解頂けるかと思います)。
IYは「1日はITが休んでいたので、兄のI-TRに仕事を手伝って貰った。その日の夕方、基地に行く養豚場の車に乗っていたのは自分とI-TRである」旨述べていますが、IT自身は「1日は休んでいない。夕方基地に行く養豚場の車に乗っていたのはIYと自分である。その日は女性と会う約束があったので、早めにあがらせて貰った」と供述しており、話は完全に食い違ってしまっています。また、これについては裁判でも結局、どちらが正しいのかは明らかにされないままで終わってしまっています(なお、現在石川さんの支援団体などでは後者の方を「正しい証言」とみているようです)。
そもそも、この車にしても基地に立ち寄っていることだけは間違いないものの、その前後どこへ行っているかは不明ですし、それを証言する人も現れておらず、また1日夕方以降の彼らの行動も未だ不明のままなのです。
誰がその日どうしていたかも分からず、それを証明するモノ・人も何もなく、身内・仲間内の話があるだけなのですから、イコールそれは「全員アリバイ無し」ということにもなります(只もちろん、だからといって彼ら3人もしくはそのうちの誰かが犯人だ、と言っているわけではありません。念のため)。
「証言が嘘である証拠を突き止められなかったのなら、 アリバイがないとはいえない」のではなく、「証言が正しい」という証拠が出せないならば、「アリバイがある」とはいえないのです。
もちろん本人の証言だけでアリバイ成立にはならないでしょう。
まるで裏づけ捜査が無かったようにおっしゃっていますが、
彼らが疑われていたのは確実なわけで、証言が事実であるどうかの捜査は
あったと考えるのが普通でしょう。
上記サイトの第16回公判でのITの証言は
「1日から3日の間のどの日か仕事を休んで船橋に行った。
帰宅は10時で女性とデートをしていた」とかかれています。
伊吹の「1日は休んでいない」うんぬんのソースはどこにあるのでしょう?。
裁判でのITの証言「1日~3日のどれかの日に仕事を休み船橋で女性とデート」
裁判でのIYの証言「1日にITが仕事を休んだので兄に手伝ってもらった。
ジョンソン基地にも兄一緒に行った」
公判でのこの2つの証言に矛盾はありません。
当時、事情聴取で自殺者が出るような状況で、IYは別件逮捕され、
取調べを受けたわけで、この証言のウラとりについて警察が必死で捜査したことは
容易に想像できます。
その結果起訴できなかったという事実は、大変重く受け止めるべきでしょう。
失礼を承知でいいますが、伊吹さんは自分の推理の結論に符合しない材料を
たらればで強引に理由づけして見ないようにしているだけと思っています。
前のコメの文中で敬称が抜けて呼び捨てになってしまった箇所があります。
不快な思いをさせてしまったと思います。
大変もうしわけありません。
失礼ながらkskさんは「アリバイ」の意味がまだよく分かっていらっしゃらないのかと思います。
前回も書きましたが、アリバイというのは裏付けがない限り不成立になるものであって、それはイコール「無い」ということなのです(〝たられば〟ではありません)。
IY、ITらに関してもちろん警察は捜査しています。しかし、裁判で一切それが提出されず、誰の証言が正しいのかさえ不明のまま終わっているということは、すなわち「裏が取れなかった」ということ以外の何ものでもないでしょう。なお、ITの「1日は休んでいない。夕方基地に行く養豚場の車に乗っていたのはIYと自分である。その日は女性と会う約束があったので、早めにあがらせて貰った」旨供述はその後弁護側に対して行っているものです。繰り返しますが、「起訴されなかった」からといって、「アリバイあり」ということにはなりません。「アリバイは不明だが、一方で犯罪行為を行ったとの証拠も得られなかった」場合でも、もちろん起訴は不可能ということになるのですから。
伊吹隼人さんの『検証・狭山事件』のpp.54-55によると、養豚場経営者の石田一義氏は被害者と顔見知りだったとのことです。しかし、27歳の男性と16歳の女子高生がどのようなきっかけで知り合ったのでしょうか。
御存じでしたら、教えて下さい。