狭山事件: NTさん証言 その2

弘済出版社 総合時刻表 昭和38年5月号

『現地からの報告』 の中で「狭山市民の会」は、被害者は2時35分の授業終了後すぐに出ていって戻ってきていないと結論づけています。そして、NTさんによる、「被害者は3時23分に学校を出ていった」という証言は、実際には1時間前の話だったものを警察に脅されて1時間ずらしていたのではないかと推測しています。しかし、それはありえません。

なぜなら、この当時の入間川駅(現在の狭山市駅、昭和54年改称)には、昼間は1時間に2本(30分に1本)しか電車がなかったからです。

本日の画像は、当時の時刻表です。入間川・本川越の両駅に関しては、電車の運転間隔が30分であったことが書かれています。

今でも西武新宿線のダイヤは狭山市近辺まで行くと結構時間が空いています。西武新宿駅から出発する電車は数分刻みなのですが、田無から玉川上水・拝島の方に直通で行ってしまったり、途中の新所沢や田無止まりの電車があるのがその理由です。

以前、こちらのブログに、昭和48年11月の西武新宿駅の時刻表の画像がありました。ただ、現在は記事を削除されてブログを移転されているようなので、画像の転載は差し控えます。その時刻表によると、昼間の時間帯に西武新宿駅を出発する電車は1時間に15本ありますが、そのうち新所沢止まりが3本、田無止まりが3本、拝島・多摩湖行きが3本、上石神井止まりが3本で、入間川まで行く電車は1時間に3本しかなかったことが確認できます。その10年前の昭和38年にはそれより少ない1時間に2本(30分に1本)であったことは確実なものと言えるでしょう。

NTさんが3時24分の電車を逃して実際に乗った電車が3時54分であったことから、当時の狭山市駅(上りか下りか不明ですが)の昼間の時刻表は、毎時24分発と54分発というものであったと推定できます。ちなみに、昭和48年の時刻表でも、西武新宿駅発10時頃から16時頃まではほぼ同じダイヤです、

前のエントリでも書いたように、授業終了が2時35分なのにNTさんが普段3時24分の電車を使っていた理由は、2時35分に授業が終了した後にホーム・ルームがあり、それを終えると2時50分頃で、2時54分発の電車には間に合わないから、ということだったでしょう。その前の電車にいたっては2時24分発で、まだ授業中です。「実際には1時間前の話だったのに、警察に脅されたために時間をずらして証言したのではないか」という狭山市民の会の推測は、成立不可能です。

結論として、NTさんの「3時23分に被害者が自転車ころがして出ていった」という証言は、時間も含めて信用できるということになると思います。


本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。また、とらのあな通販もご利用ください。


 

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です