‘被害者’ タグのついている投稿

狭山事件: 新伊吹本: 被害者の呼び出しについて その2

2010 年 3 月 14 日 日曜日

前回の続きです。

第一ガード・第二ガードにおいて目撃された際の状況から考えて、当日被害者が誰かと待ち合わせしていたことはほぼ確実と思います。しかし、当時の女子高生が全然関係ない人に呼び出されてそれに応ずることはまずないとも思います。また、前回も書きましたが(新伊吹本でも指摘されていますが)、当時はケータイも出会い系もありません。知人に事前に呼び出されていたとすると、考えられる可能性は下記の通りになります。

  1. 家族: 上で書いた長兄説など
  2. 学校: 川越高校入間川分校別科のクラスメイト16人(1クラスのみ)は全員女子であり、しかも4月に入学したばかりでまだ数週間しかたっていない状況でした。その中で誰かが被害者とそのような待ち合わせの話をしていれば、何かの形で他の生徒にも伝わると思われるため、この可能性は低いと思います
  3. 登下校(通学路): 新伊吹本にあるように、被害者は朝、近所の高校生(中学時代の同級生)と一緒に登校することがあったとのことです。そのメンバーの誰かであれば、待ち合わせを伝えることは可能という伊吹氏の指摘に同意します
  4. 出身中学関係: 被害者は出身中学に時々遊びに行くことがあったようです。その際に昔の同級生と会って伝言されることが考えられます
  5. 学校行事関係: 日記を見ると、事件の直前の4月29日(月曜日、天皇誕生日(当時))にも被害者は学校行事に参加して群馬へ行っています。その際に待ち合わせについて話をした可能性はあると思います

上の5.について、4月29日の日記には以下のような内容があります。

4月29日 晴 22℃ 群(実際には馬へんに羊)馬県南毛地区対埼玉県の交歓会。会場は伊勢崎工業高校だった。南毛の皆さん二○○名 埼玉県の皆さん二○○名 計四百名近くの楽しいためになる交歓会だった。

(大きく間が空いて)

今日は狭山工業高校の××××を訪れる予定だったのに。午前七時、川越に向かった。今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。

川越から伊勢崎まで約60km、関越自動車道(1971年開通)がない当時の道路事情では、バスで片道2時間程度でしょうか。そのバスの中で、他校に行った中学時代の同級生と会って「誕生日にお祝いをしよう」と誘われて呼び出された可能性があるのではないか、と個人的に思っています。

その一番の理由は、5月1日の日記に待ち合わせが書かれていないからです。以前にも書いたように、被害者は日記の左の方にあらかじめその日の予定を書き込んでおいて、当日が終わってから本来の意味での日記を右の方から書いていたと私は考えています。つまり、予定を書き込む時点で待ち合わせの話があったのであれば日記に書かれているはずで、ある程度直前になって予定を伝えられたのではないかと思います。もちろん、当日(5月1日)あるいは前日(4月30日)の登下校の際に伝言されたということもありうるでしょうが、事件の2日前の4月29日に、同年代の高校生と同じバスで往復4時間も揺られていたというのはタイミングが良すぎるような気がします。
家族に見られることをおそれて待ち合わせを書かなかったという推理もできるかもしれません。しかし、被害者はMHくんに対する熱烈な恋心も日記に包み隠さずに書いていますので、待ち合わせだけ書かないということはないと思います。

交歓会に参加した埼玉県側の200人の生徒のうち、「メッセンジャー」役が務まる人物-被害者の中学時代の同級生で、犯人グループともつながりがある生徒-はいなかったのでしょうか。

狭山事件: Mくん☆LOVE

2009 年 4 月 29 日 水曜日

『狭山事件 上告趣意書』『狭山事件 上告趣意書』

被害者の日記シリーズ最終回です。

個人的に伊吹本で最も衝撃的だったのが、被害者の日記のMくん(PTA会長の息子)への恋心を綴った部分です。今回の画像はその元になった上告趣意書(部分)です。

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狭山事件: 次兄から借りた1000円

2009 年 4 月 27 日 月曜日

『狭山事件 無罪の新事実』より『狭山事件 無罪の新事実』より

事件前日(4月30日)に被害者が次兄から1000円を借りていた件について、コメントで伊吹隼人氏からソースをご教示いただきました。ありがとうございます。

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狭山事件: 被害者の日記 その5

2009 年 4 月 26 日 日曜日

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

「女性自身」に掲載された被害者の日記シリーズ、最後のページです。

本日の引用部分で真っ先に目に付くのは、4月26日の部分です。

4月26日(金)晴
(前略)これからのバカンスのことを考える。
今晩も涙を流し、眠りに入った。
つらい。苦しい。それもみんなおこづかいのことだ。涙が枕元を流れた……
(原注)(ゴールデンウイークのこづかいが少ないことで(被害者)さんはなやんでいた。姉の(次姉)さんは、あとでこの日記を見て、「生きているうちに、もっと好きなことをさせてあげたかった」と泣いていた)

これはどういう意味なのでしょうか。
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狭山事件: Y枝地蔵

2009 年 4 月 9 日 木曜日

Y枝地蔵Y枝地蔵

被害者宅の前から撤去されたあと行方がわからなくなっていたY枝地蔵について、「現在別のところに移転されている」という情報をコメントでいただき、独自に調査したところ実際にありました。情報ご提供者の意志を尊重し、詳しい場所は差し控えますが、写真のみ証拠としてアップさせていただきます。

台座の部分に「枝地蔵」と書かれているのがご覧いただけると思います。

なお、この地蔵が現在安置されているお寺は被害者家(N家)の菩提寺で、宗派は真言宗智山派とのことです。狭山市内で両墓制を行っていた寺と同じ宗派ということになりますので、一度はほぼ否定された「被害者宅が両墓制だった」という説について、再度確認・調査が必要になってくるかと思います。

狭山事件: 被害者の日記 その3

2009 年 3 月 29 日 日曜日

「女性自身」昭和38年5月20日号「女性自身」昭和38年5月20日号

被害者の日記の話の続きです。

日記は事件の年の1月1日から書き始めたとのことで、それ以前のものは存在していないようです。この点について、上の記事中の写真で次姉が胸に抱いている日記帳に「記念」という文字が見えますので、何かの記念(中学の卒業記念等)で日記帳をもらったことをきっかけに書き始めたのではないかという推測も可能です。ただし、この写真で見えている日記の表紙は、別のところで日記の表紙として公開されているものと明らかに異なりますので、単純に写真撮影の時に適当な本を次姉に持ってもらって撮影したということも考えられます。

日記の内容としては、まず、中三~高一としては文章がしっかりしているという印象を受けます。「今日は○○のスィーッを食べに行ったょ。チョ→ぉぃしかった♥」みたいな文章はさすがに時代的にも書かないでしょうが、それにしても背伸びした中にもういういしさの残る、好感が持てる文章です。

「姉さんが、アルバムからはがしてくれた」という被害者の写真が右上にあります。これは学生証の写真と同じものだと思います。この時期(5月20日号=5月13日頃発行なので、取材時はおそらく5月10日前後)にはまだ学生証は刑札の管理下にあった可能性が高いので、学生証の写真そのものではなく、学生証の写真を撮りに行ったときに焼き増ししたものを、次姉がアルバムからはがして記者に提供したのではないかと思います。ただし、事件翌日には被害者の自転車が被害者宅に戻っていたことも明らかなので、確定ではありません。
また、これももうちょっと調べないと確定的には言えませんが、この写真はこの記事が初出かもしれません。事件直後に出回っていたのはもう少し幼い感じの写真(こちらの記事の上2つ)でした。

(2009年3月30日追記): この日記が掲載されていた「女性自身」を、当初「昭和38年6月10日号」と記載していましたが、「昭和38年5月20日号」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。また、それに伴っていくつか本エントリの内容を書き直しました。

狭山事件: 被害者の日記 その2

2009 年 3 月 25 日 水曜日

被害者の日記女性自身昭和38年5月20日号

「伊吹本」にて個人的にかなり衝撃的だったのが被害者の日記です。一応、狭山事件の公判調書類には一通り目を通していたつもりだったのですが、上告趣意書に詳しく被害者の日記の内容が書かれているというのは見落としていました。自らの不明を恥じると共に、きっちりと資料を読み込んでおられる伊吹氏の姿勢には頭が下がります。

本日の画像は、そこからたどっていって確認した、「女性自身」昭和38年5月20日号に掲載された被害者の日記です。

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狭山事件: 被害者とOGの時系列的動向

2009 年 2 月 8 日 日曜日

被害者とOGの当日の行動を時系列的にまとめてみました。事項の取捨選択は私(管理人)の主観によります。時刻については証言者本人が一番最初に言った時間を採用しています。時刻に関しては後で刑札が「つじつまが合わない」として変更させていることも多く、関係書籍ではその変更後の時刻が採用されていることも多いのですが、最初に言い出した時刻には証言者本人なりの根拠があると思われること、「原証言」としての価値があると思われることからその取り扱いとしています。もし異論があればコメントでご指摘ください。

第一ガード、第二ガード、S自転車店等の位置関係については、事件関係地図も参照してください。大きい地図の方でいうと、ほとんどの関係地点が一番左側の方(西武線の線路沿い)に集まっています。

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狭山事件: 『46年目の現場と証言』 その4

2008 年 12 月 23 日 火曜日

狭山事件を推理するサイトの方に、『46年目の現場と証言』著者の方からの私が書いた内容に対するコメントが掲載されています。

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狭山事件: 『46年目の現場と証言』 その3

2008 年 12 月 12 日 金曜日

続きです。

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