事件前日(4月30日)に被害者が次兄から1000円を借りていた件について、コメントで伊吹隼人氏からソースをご教示いただきました。ありがとうございます。
狭山事件: 被害者の日記 その5
「女性自身」に掲載された被害者の日記シリーズ、最後のページです。
本日の引用部分で真っ先に目に付くのは、4月26日の部分です。
4月26日(金)晴
(前略)これからのバカンスのことを考える。
今晩も涙を流し、眠りに入った。
つらい。苦しい。それもみんなおこづかいのことだ。涙が枕元を流れた……
(原注)(ゴールデンウイークのこづかいが少ないことで(被害者)さんはなやんでいた。姉の(次姉)さんは、あとでこの日記を見て、「生きているうちに、もっと好きなことをさせてあげたかった」と泣いていた)
狭山事件: 両墓制について
「埋め墓」:詣り墓からは100~200mほど離れた、寺の裏手の墓地のはずれにある
前回エントリで再度調査・確認の必要があるとした、被害者宅における「両墓制」の可能性について、改めて現地調査を行いました。参加者は、伊吹隼人氏と新井泉氏です(「狭山事件を推理する」サイト管理人氏は都合により不参加)。
結論から申し上げると、「両墓制」は宗派とは関係ない土着の習俗に近いものであり、真言宗智山派だから両墓制ということはないこと、狭山市内で両墓制を行っていた区域は入間川沿いの一部の区域(被害者宅とは相当離れた地区)に限られることが改めて確認されました。従って、「狭山事件を推理する」サイトにおける被害者宅は両墓制ではなかったという議論は、現時点では妥当なものであることがほぼ再確認されたと言ってよいと思います。
狭山事件: Y枝地蔵
被害者宅の前から撤去されたあと行方がわからなくなっていたY枝地蔵について、「現在別のところに移転されている」という情報をコメントでいただき、独自に調査したところ実際にありました。情報ご提供者の意志を尊重し、詳しい場所は差し控えますが、写真のみ証拠としてアップさせていただきます。
台座の部分に「枝地蔵」と書かれているのがご覧いただけると思います。
なお、この地蔵が現在安置されているお寺は被害者家(N家)の菩提寺で、宗派は真言宗智山派とのことです。狭山市内で両墓制を行っていた寺と同じ宗派ということになりますので、一度はほぼ否定された「被害者宅が両墓制だった」という説について、再度確認・調査が必要になってくるかと思います。
狭山事件: 現地見分
「狭山事件を推理する」サイトにて、現地見分のお知らせが掲載されています。
http://sayamac.blog21.fc2.com/blog-entry-54.html
私(当ブログ管理人)も参加させていただく予定です。また、伊吹隼人氏が案内役として同行します。本事件にご興味がある方は是非ご参加ください。お申し込みは上記リンクをご参照ください。
参加可能な人数に限りがありますので、締切になってしまった場合はあしからずご了承ください。
狭山事件: 被害者の日記 その4
被害者の日記の続きです。
まず気がつくのは、被害者のマジメさが現れている部分です。
中学生が立ち食いしているのは、みっともない。そのみっともないことを、自分はどうしてするのだろう。今度こそ、かならずやめよう。
また、被害者の男子に対する態度も、ういういしい、中学生らしいものだと思います(本日掲載したのは1月から3月の部分なので、被害者はまだ中学3年生でした)。
昼休みのときだった。国語の答案を見に行こうとしたら男子数人が答案を見ていた。そこにMさんもいた。だから私はひき返した。わりこんで行くのが恥ずかしかったからだ。少したって、男子がひきあげたと思って行ってみるとMさんだけ残って、答案合わせをしていた。私はその後ろへ行って答案をそっと見ていた。しばらくすると、Mさんは一人になったのに気がついて、後ろを振り向くと、「チェッ」といって、恥ずかしそうに私と視線を合わせ、去っていった…。
Mさんが道でローラースケートを楽しんでいた。行きも帰りも会い、少し恥ずかしかった。早く私もうまくすべりたい。早く早く。
Mさん、さようなら。胸がいっぱいだった。
この「Mさん」に関する被害者の恋心は、伊吹本(『狭山事件 -46年目の現場と証言』)にも掲載されている日記の他の部分にも現れています。読んでいると思わず萌えてしまうような記述が満載です。
狭山事件: 被害者の日記 その3
被害者の日記の話の続きです。
日記は事件の年の1月1日から書き始めたとのことで、それ以前のものは存在していないようです。この点について、上の記事中の写真で次姉が胸に抱いている日記帳に「記念」という文字が見えますので、何かの記念(中学の卒業記念等)で日記帳をもらったことをきっかけに書き始めたのではないかという推測も可能です。ただし、この写真で見えている日記の表紙は、別のところで日記の表紙として公開されているものと明らかに異なりますので、単純に写真撮影の時に適当な本を次姉に持ってもらって撮影したということも考えられます。
日記の内容としては、まず、中三~高一としては文章がしっかりしているという印象を受けます。「今日は○○のスィーッを食べに行ったょ。チョ→ぉぃしかった♥」みたいな文章はさすがに時代的にも書かないでしょうが、それにしても背伸びした中にもういういしさの残る、好感が持てる文章です。
「姉さんが、アルバムからはがしてくれた」という被害者の写真が右上にあります。これは学生証の写真と同じものだと思います。この時期(5月20日号=5月13日頃発行なので、取材時はおそらく5月10日前後)にはまだ学生証は刑札の管理下にあった可能性が高いので、学生証の写真そのものではなく、学生証の写真を撮りに行ったときに焼き増ししたものを、次姉がアルバムからはがして記者に提供したのではないかと思います。ただし、事件翌日には被害者の自転車が被害者宅に戻っていたことも明らかなので、確定ではありません。
また、これももうちょっと調べないと確定的には言えませんが、この写真はこの記事が初出かもしれません。事件直後に出回っていたのはもう少し幼い感じの写真(こちらの記事の上2つ)でした。
(2009年3月30日追記): この日記が掲載されていた「女性自身」を、当初「昭和38年6月10日号」と記載していましたが、「昭和38年5月20日号」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。また、それに伴っていくつか本エントリの内容を書き直しました。
狭山事件: 被害者の日記 その2
「伊吹本」にて個人的にかなり衝撃的だったのが被害者の日記です。一応、狭山事件の公判調書類には一通り目を通していたつもりだったのですが、上告趣意書に詳しく被害者の日記の内容が書かれているというのは見落としていました。自らの不明を恥じると共に、きっちりと資料を読み込んでおられる伊吹氏の姿勢には頭が下がります。
本日の画像は、そこからたどっていって確認した、「女性自身」昭和38年5月20日号に掲載された被害者の日記です。
狭山事件: 現地見分 2009.Mar
「伊吹本」発刊記念現地見分に参加しました。
当日は狭山事件調査前線基地にてのささやかな発刊記念会合にも参加させていただきました。席上、伊吹本で発覚した新事実に対するさまざまな考察が飛び交い、大変有意義な会合でした。また次回を楽しみにしています。
ちなみに、席上、伊吹氏本人より、「在庫はあるが、流通の関係で書店店頭やインターネット販売にまだ数が出ていない。それが価格高騰につながっているようでもあるので、出版元や取次に早急に配本するように促す」という趣旨のお話がありました。したがって、ここしばらくのAmazonをはじめとする古本市場での異常な高騰は、そのうち是正されると思います。