狭山事件: 次兄のお墓

次兄の墓次兄の墓

次兄の墓: 墓誌次兄の墓: 墓誌

Y枝地蔵を調査していた際の副産物として、被害者次兄のお墓を見つけました。

このお墓は、被害者宅のすぐそばにある被害者家の墓所とも、Y枝地蔵がある被害者家の菩提寺とも違う場所にあります。
単純に、次兄が既に分家していたから実家の墓所には入れなかったという考えもできるでしょうが、次姉は姓が変わっているのに実家の墓所に入っています。被害者家の菩提寺(狭山市内ではありませんが、それほど遠い場所ではありません)でもない寺に葬られているというあたり、次兄とN家の間はほぼ完全に断絶していた(勘当状態だった)という推測が可能です。

  • 次兄が自殺する9年前に中華料理店開店する際の費用は実家のN家が出した
  • 中華料理店は、開店後半年程度は長兄と次兄の共同経営の形をとっていたが、ほどなくして次兄の単独経営となった
  • 自殺直前の話し合いで、父親が「なんとしても店は続けていけ」と言ったために、ラーメンの値段を下げて店を続けることになった。逆に言えば、次兄は父親の助言は受け入れている

という状況を考え合わせると、

元々は長兄と次兄の仲は悪くなかったが、中華料理店の経営を巡って仲違いし、N家の実権が父親から長兄に移ったこともあって次兄は事実上実家と縁を切った形になった

というストーリーが考えられます。

次兄が自殺した際に残した女言葉の奇妙な遺書の解釈はいろいろありますが、その一つに「狭山事件を推理する」サイト管理人氏による「次姉の遺書をまねたものではないか」という推測がありました。では、なぜ次姉の遺書を持ち出したのか。上のストーリーにさらに根拠の乏しい推測を重ねると、下記のような「おはなし」を妄想することができます。

被害者の長兄と父親は、狭山事件直後から「真犯人」の目星がついていた。そして、時間の経過と共にそれはN家の全員が共有する認識となった。その中で次姉は、自分の証言も手伝って無実の石川さんに死刑判決が出てしまったことを気に病んで自殺してしまう。
一方、次兄は、妹が狭山事件で殺された翌年に、母親代わりとして自分を育ててくれた次姉(母親は次兄が9歳の時に亡くなっている)が自殺したことに大きなショックを受けた。高校は卒業し、実家の支援もあって料理店経営をはじめたが、経営を巡って長兄と対立し、さらにその長兄が実家の実権を握ったことで支援は得られないものと覚悟せざるをえない状況になった。
このような状況で中華料理店の経営が悪化し、次兄は自殺を決意した。そして、長兄に対してのあてつけの意味で、母親代わりだった次姉の遺書にあった言葉を自分の遺書にも使った。

これはあくまでも私(管理人)の妄想であり、実在の人物とは一切関係ないことを申し添えます。

以下、4月11日追記:

墓誌に書かれている2人は次兄とその奥様です。奥様は、次兄が自殺した後、乳飲み子を含む子供3人を抱えてさぞかしご苦労されたことと思います。その苦労の後で59歳の若さでお亡くなりになったということで、なんというかやりきれない気持ちになってしまいます。

墓の施主はおそらくお子さんと思われる方のお名前になっています。

One thought on “狭山事件: 次兄のお墓”

  1.  次兄に関する仮説を読ませて頂きました。自分も同じような考えを持っております。それにしても、自殺者が明らかに多く、真相も未だ闇の中ですし(冤罪は確実と考えています)、本当に謎の多い事件ですね。

     自殺が多発したのも、やはり真犯人の正体を知っているが故なのでしょうか…。真相が解明される日が来るのを祈りつつ、これからも様々な仮説に触れていこうと思います。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です