狭山事件: 被害者次兄の中華料理店

被害者の次兄が経営していた中華料理店があった場所

この写真の橋の向こう側、現在は駐車場になっている場所に、被害者の次兄が経営していた中華料理店があったとのことです。被害者の次兄は昭和52年10月に自殺しており、その際に女言葉で書かれた奇妙な遺書を残しています。

この写真は以前、狭山事件を推理するサイト管理人の方にお送りしたことがあり、そちらの方にも掲載していただいています。I養豚場や被害者宅のそばを流れている不老川の上流で、現在では狭山市立山王小学校がある場所のちょうど向かい側あたりになります。

実は、ここに次兄の中華料理店があったというネタも、前回ご紹介した私(管理人)のリアルの取引先絡みです。この場所のそばに、その会社の工場が今でもあります(Googleマップにも社名入りで載っている大きな工場なので、調べればすぐに何という会社かわかってしまいますけど(笑))。そこで新入社員当時働いていたという役員の方に、「あそこの中華料理屋に昼飯を食べに行ったことがあって、『自殺した』と聞いた時には驚いた」という話を伺いました。その時点ではウラが取れていなかったのですが、狭山事件を推理するサイト管理人さんによるとウラが取れたとのことで、ここにその料理店があったのは確実なようです。

またまたちなみに、その工場は狭山事件の公判調書にも住所と名前が出てきます(社名はその会社の前身の会社の名前になっています)。石川さんの別件逮捕の容疑の一つが、この工場の建築現場から材木を盗んだ、というものであったためです。仕事柄、その工場に書類などをよく送るのですが、その宛名書きをするたびに狭山事件のことを思い出してしまいます。

そういうわけで、私(管理人)はちょくちょくこの近辺に足を運んでいます。早めに用が終わって時間がある時などは、ついついさのヤや被害者宅周辺などの事件現場、あるいは狭山市立図書館などに立ち寄ってしまうこともしばしばです。

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18 thoughts on “狭山事件: 被害者次兄の中華料理店”

  1. 実は私の叔父が狭山事件発生当時の所轄警察の署長をしておりました。真犯人は彼に間違いない!!と力説していたのを子供心に記憶しています。

  2. 次兄の自殺の件ですが、自宅の部屋にあった、「カレンダーの裏」に、「鉛筆」で、「女の人が使うような言葉」で書かれた、「遺書(らしきもの?)」があった、というのは、
    確度の高い情報なのでしょうか。

    わたしの読んだ本では、「私の生きる道はどこかしら。」から始まる、「遺書」とされたものの文面が書かれていますが、この文面は、「遺書」とはいえないような具体性のない内容で、「33歳の主である男性」の書いたものとはいえないと感じるのですが。この文面の内容を本当に次兄が書いたとすれば、次兄は結婚して子供もいましたが、「性同一性」についての推測までしてしまうような言葉づかいではないでしょうか。その点、OG氏とのつながりすら考えてしまいます。

    また、遺書が書かれていた「カレンダー」は何年何月のものだったのでしょうか。「鉛筆」の筆跡は、次兄のものに間違いなかったのでしょうか。

    管理人様のお考えをお聞かせいただければ、幸いでございます。

  3. >ヤマシタ様
    コメントありがとうございます。「彼」というのは被害者の次兄ということでしょうか?叔父さんは、所轄警察署長ということは狭山署の竹内署長でしょうか。

    >禅公案様
    遺書については「被害者家族その5」こちらの記事をご参照ください。この記事の書き方から言って、また、狭山事件フリークではない週刊誌記者が書いていることから考えて、この遺書の内容については信憑性があるものと当方は判断しています。カレンダーが何月とか筆跡とかの話は出ていませんが、奥さんが持ってきたという描写もあるので本人が書いたもので間違いないのではないかと。
    この遺書に関しては、「狭山事件を推理する」サイト管理人さんが以前、「次姉の遺書にあった内容を転記したものではないか」と推理していらっしゃいました。そうとでも考えないと確かにこの内容は奇妙すぎます。ただし、次兄には子供が複数いることから考えて、性同一性障害の線は薄いと思います。

  4. 情報とご意見をありがとうございました。
    次兄が自殺に間違いないとしましても、その自殺の原因については、次姉の自殺(こちらも自殺かどうかについて不審な点があるといわれていますが)の原因と「同根」つまり、
    狭山事件について、何らかの真相を知っていることからくる苦悩といったものが考えられる気がします。

  5. 次姉について。
    「被害者の家族その2」に書いた理由によって、「次姉はさのヤの一件で真犯人を知っていて、えん罪でIKさんが逮捕されたことに心を痛めて自殺した」という推理には、個人的に多少の懐疑を持っています。次姉が真相を知ったとしても、そのきっかけはさのヤではなく、その後、IKさんが一審で死刑判決を受けるまでの間のことだったのではないかというのが私の推測です。

  6. ご指摘の記事と写真によりますと、次姉が「晴れやか」ともいえる表情をしているこの写真の時点では、確かに、管理人様のご推察のように、次姉は真相(真犯人)を知っているとは思えませんね。それにしましても、このように純朴で素敵な表情をしている次姉までをも悲しみと苦悩におとしいれ、その命まで奪った(次姉の自殺が真実としても実質的には次姉を「殺した」ともいえる)狭山事件は、いまさらのように「酷い」事件としかいえません。

  7. 初めまして。
    このブログ二日前に偶然発見し、読ませて戴いてます。
    私はこの頃、狭山事件がこんなにもミステリアスな事件だったことを
    知りました。学校で習ったのは、狭山事件=冤罪=部落差別という図式だけで
    事件そのものについてはあまり触れられていなかったかのように思います。
    確かに如何なる差別もいけないことです。しかしこの事件はそういった表面にでている事
    よりも、もっと深くにいろいろな複雑なものや事情が隠されているような気がします。
    長兄のあの手記にもそれが現れていると思います。一人の青年が犯した
    ”誘拐強姦殺人”とはとても思えないのです。

    私が最も不可解だと思ったのがこの次兄の遺書です。これから3人の子供と妻を残して
    死んでいく男性が書いたものとはとても思えません。かといって、もし”自殺”でないとしたら
    犯人は最もらしい遺書を仕立て上げるでしょう。姉の遺書とOGの遺書はまだわかります。
    家族に宛てて書かれているし、謝罪もしています。OGのはともかくも姉は本当に自殺した
    のだと私は思います。
    私が次兄の妻だとしたら、まずこんな内容の遺書は本人が書いたものとは認めたくありませんが、
    筆跡鑑定はされたのでしょうか?妻は納得したのでしょうか?カレンダーは本当に古いものでは
    なかったのでしょうか?(もしすでにこの事について書かれていたらすみません)。

    長兄の手記の”本当にこの人(Iさん)なのか?”というのも、本人はそう思っていなかった
    からそう書いたんでしょうね。そして、犯人たるお前に、という文章。長兄は妹への哀悼
    や、世間の支援に感謝を表したいために書いたように見せていますが、実際は犯人への
    メッセージだったのでしょうか?”俺はお前がやったって知ってるぞ”っていうメッセージ
    に私には受け取れますが。

    よかったらご意見お聞かせ下さい。
    名前とメールアドレスがなぜか記入できません。by一期一会

  8. コメントありがとうございます。

    最初に、名前とメールアドレスの件について。IE(Internet Explorer)で書き込もうとすると、名前とメールアドレスが出てこないようです。正確に言うと、名前とメールアドレスを書き込んだ場合に、文字色が白になってしまうため書き込まれていないように見えてしまうようです。

    この点については現在原因を確認中ですが、とりあえずはIE以外のブラウザ(FirefoxやSafari、Opera、Google Chromeなど)をお使いいただきたい、としか申し上げられません。これらのブラウザでは問題なく書き込みをしていただけると思います。また、IEで書き込みをする場合でも、名前とメアドを入力後、文字を選択(Ctrl+A)して反転していただけば入力した文字列がご確認いただけると思います。対処しました。

    筆跡鑑定はされたのでしょうか?妻は納得したのでしょうか?カレンダーは本当に古いものでは
    なかったのでしょうか?(もしすでにこの事について書かれていたらすみません)。

    根本的な問題として、ガスホースを鴨居に引っかけて首を吊っていたという状況から、次兄が自殺したというのはまず間違いないのではないかと思います。その状況についてはこの記事の中でも言及されています。あとは上の方にある4番目のコメントをご参照ください。

    長兄の手記について。「犯人たるお前に」以下の文章に関しては、おそらく甲斐仁志氏による捏造の可能性が高いと考えています。こちらのページをご参照ください。「本当にこの人なのか?」という記述に関しては、ご指摘の通り長兄は真犯人を知っていてメッセージを送っている、という説に同意したいところです。ただし、根拠は今のところありません。

  9. 名前とメールアドレスの件について、Wordpress(ブログソフト)のテーマ(外見の設定)の記述に一部誤りがあったことが判明したため、修正しました。IEでも入力した名前とメールアドレスが見えるようになったと思いますので、ご確認ください。ご指摘ありがとうございました。

  10. 管理人様

    コメントありがとうございます。それと名前とアドレスの件、確かに確認しました。今回は御蔭様で記入することができました。重ねがさねありがとうごさいます。

    記事やすでにここに載せられているコメントをしっかり読まずに質問してしまいました。ごめんなさい。記事をしっかり今度は読んだところ、そうですね、自殺したというのは状況から間違いなさそうですね。それとあの不可解な遺書もおくさんが持ってきたという描写も記事にありますね。ということは少なくとも彼女は次兄が書いたと思っているのでしょうね。
    それにしてもあの内容はとても不可解である意味とても恐怖を覚え、私は初めてあの遺書を読んだときには夜中にトイレに行けませんでした。

    管理人様はあの遺書をどう解釈されていらっしゃいますか?それと”営業不振による自殺”ということになってますが、それについてももしご意見がおありでしたらお聞かせ下さい。

  11. 本件に関しては、週刊新潮の記事もご参照ください。週刊文春だけでなく週刊新潮でもほぼ同様の内容で遺書が掲載されていることからも、この遺書の内容と、次兄が自殺であることはほぼ間違いないのではないかというのが私(管理人)の推測です。

    遺書の内容について。本記事の上の方にある4番目のコメントでも書いたように、「次姉の遺書にあった言葉を引用したものではないか」という推理が今のところ最も納得できる説明です。ただし、現在のところ根拠はありません。

    次兄の自殺の理由について。週刊新潮の記事によると、この中華料理店を開店したのは昭和43年11月、次兄が自殺したのは昭和52年10月です。まがりなりにも9年間店を経営していて、さらに数年前には後ろの土地を70坪、自殺直前に30坪買い増していたということから考えると、「営業不振で自殺」という理由は確かに腑に落ちません。また、このエントリで触れましたが、私(本ブログ管理人)の取引先の会社の工場がこの店の近くにあり、そこの社員は結構この店を利用していたという話も聞いていますので、その点からも疑問が残ります。

    ただし、上記でリンクした週刊新潮や、週刊文春の夫人コメントを見る限り、「ラーメンの値段を下げて経営を続ける」というところまで追い詰められた経営不振であったことも事実だったように思われます。また、同じ記事の長兄のコメントからも、「長兄や実家に頼りたくない」という次兄の意地も感じられるところです。

    結論として、私(本ブログ管理人)としては、「経営難を苦にしての自殺」という公式見解に完全に同意はしていないものの、100%確実な反証が出ない限り、状況からいってこの公式見解を支持せざるをえないと考えています。

  12. 今更ですが、この元店舗跡地は、元々どなたさんの名義だったのでしょうね?

    そしてその土地取得の時分、ほぼ真向かいに小(中)学校を新設する計画などは既に持ち上がっていたのでしょうかね?

  13. 元々誰の名義だったのかまでは分かりませんが・・・

    次兄が店を開いたのが1968(昭和43)年11月
    向かいにある山王小学校開校が1976(昭和51)年4月
    次兄の自殺が1977(昭和52)年10月

    これを見る限り、開店当時まだ山王小学校開校の話は持ち上がっていなかったと思われます。

    なお、私(伊吹)は昨年、付近の住人計30名以上に話を伺っていますが、その時には全員が揃って「凄く繁盛していた店だった」と答えてきました。「安くて、美味しくて、主人も凄くいい人だったから、近所の人もみんな利用していた」(Aさん)「当時このあたりには他に飲食店がなかった。入曽まで行けばラーメン屋が1軒あったけど、そこはどうしようもない位まずかった」(Bさん)「近くに会社もあったし、新しい学校も出来てて、そこの先生なんかもよく来ていた。昼は待たないと入れないくらいだった」(Cさん)といった答えばかりで、どう考えても「営業不振」は有り得ないように思えました。

  14. 伊吹様 貴重な、「声」を書き入れて下さり、 ありがとうございます。

    元々の名義については、 今のところ「何となく気になった」としか言えない動機からですので、 今は止めておきます。

  15. 伊吹様、御著書拝見させていただきました。貴重な情報をご提供くださり感謝しております。
    さて、上記のコメントの「営業不振」なんですが、繁盛していても経営が苦しいということは十分にありえることかと思われます。
    「安くて美味い」ということは、原価率の高さと利益率の低さを想定することができます。そこに「繁盛」することで、人件費等、さまざまな経費がかさんだ場合、繁盛はしているが営業(経営)が不振であるという状況が起こりえます。
    ただ、そうすると「ラーメンの値段を下げる」といった話と矛盾が起こってしまいます。
    全体的な商品の値段の改定する内での一部の話であれば、問題はないのですが。

  16. カワカン様

    >「安くて美味い」ということは、原価率の高さと利益率の低さを想定することができます。

    うーん、確かにそうですねぇ。ただ、あの店は夫婦だけで経営していて、店舗も土地も全部自分のもので、ローンも全く無かったわけです。そこから考えるとやはり「経営不振」は不自然な感じが
    感じがするんですよね。。
    私の知人にも飲食店経営者が何人かいますが、その人たちなども以前にはよく、「店の経営を圧迫するのは、やっぱり人件費と家賃。それさえなかったら、店なんてそんなに客が入らなくてもそこそこやっていけるものだよ」といったことを話していました。
    なお、『週刊文春』の記事によれば、次兄の店のラーメンの値段は「250円」だったそうですが、これは当時としては高くも安くもない平均的な値段です。私も当時は高校生で、よく学校帰りに所沢市内のラーメン屋や喫茶店に立ち寄っていましたが、ラーメン1杯が230~250円、コーヒー1杯が210~230円くらいだったのを覚えています。

  17. ご返答いただきありがとうございます。
    私は昭和52年生まれですので、想像をするしかないのですが、時期的にオイルショック等の経済の状況もあったので、その辺りで原価や利益に大きな影響があったのではないかと考えたのですが、実感を伴わない想像はなかなか難しいですね。
    ありがとうございました。

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