狭山事件入門: 被害者の家族 その2

サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記サンケイ新聞昭和38年5月23日付夕刊より 長兄の手記

コメントで、被害者の家族がみなポエムのような文章を残しているというご指摘をいただきました。確かにそういう感じなので、既に「狭山事件関連資料」サイトの方に掲載した資料ばかりで恐縮ですが一応ここにまとめておきます。

上にあるのは長兄の手記です。石川さんが逮捕された直後のサンケイ新聞に掲載されたものです。()のところには被害者の名前が入ります。誤字等も原文ママです。

(被害者)の位牌の前で犯人逮捕の報をきき
「(被害者)!本当にこの人なのか?」
と聞いても 遺影は何もいわず、表情すら
変えられないのです。
全国から多大なる激励、慰めの手紙をいただき
一刻も早く今日のこの日を待って居たのですが
長引いてしまいました。 これも農村という古
くからの何ものかゞ ひそんで居たのではないのか?
と責めざるお得ないのです。
この様な憎むべき犯罪が(被害者)以外に 誰の許
にも起らぬ様、世の皆様にお願ひ致します

苦しかった事だろう(被害者)よ!
安らかに ねむりたまえ!

                 (長兄署名)

なお、ネットなどでは上の文章の「お願ひ致します」と「苦しかった事だろう」の間の空白部分に「犯人たるおまえに なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに……」という文章が挿入されていることがあります。しかし、元の新聞コピーを見る限りではそのような文章はありません。この文章の出所はどうやら甲斐仁志氏の「狭山事件を推理する―Vの悲劇」らしいのですが、どっからその文章が出てきたのか不明です。この文章が本当に空白部分にあったとするとなかなか暗示的ですが、ちょっとできすぎな感もありますので、甲斐氏の捏造とは言わないまでも付け足しではないかと私(管理人)は考えています。

2番目に、次姉が自殺した際の遺書です。遺書は何通かあったようですが公開されておらず、当時の報道で断片的に内容を知ることができるだけです。また、「夫」に宛てた遺書もあったにもかかわらず、「夫」には遺書は見せられていないとのことです。にもかかわらずマスコミでは内容が報じられており、これもまたよくわからないというか疑惑が残る状況です。
週刊現代昭和39年7月30日付週刊現代昭和39年7月30日付
サンデー毎日昭和39年8月2日付サンデー毎日昭和39年8月2日付

  • 「夫」宛

    )は誰とも結婚できない女です。(「夫」)さん、どうか幸せになってください

    (「夫」)さん幸福に。私は美しい花を見ても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない

  • 長兄宛

    )ちゃんとはもっと相談したかった

  • 父親宛

    お父さん力強く生きてください。自分のクヨクヨした性格で、毎日毎日が、実にいやになりました。(次姉)の生活には発展もなければ何の信念も考えもない。動物にすぎない。死を考える親から、よい子など生まれません。五月一日、(被害者)の供養をしたとき、はじめて自分がわかった。二人でまっ黒になって働いたころが一番幸せだったと思う。先立つ(次姉)のわがままを許してください。

なお、長兄が次姉の遺書について「常識では考えられないことが書いてあったんだが……」というコメントを残しています。その「常識では考えられないこと」が上の文章のどれかを指しているのか、あるいは公表されていない内容を指しているのかは不明です。

最後に、次兄が自殺した際の遺書です。これは、カレンダーの裏に鉛筆で走り書きされていたものとのことです。
週刊新潮昭和52年10月20日付週刊新潮昭和52年10月20日付
週刊文春昭和52年10月20日付週刊文春昭和52年10月20日付
内容は下記の通りです。
(週刊新潮)

私の生きる道はどこかしら。社会も流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。あすの社会も、きょうの社会も余り変わりはないけれど、私はただ、私はただ、私の社会のなかに、きょうという日を見つめて生きるのです。そしてまた、私は古いものの中に、いつまでもいいところもあることを願いたい。いまを生きるのです。けれども、これは余りに遠すぎた夢かしら。すべては終わり、すべては夢だったのね

(週刊文春)

私の生きる道はどこにあるのかしら、社会は流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。あすの社会もきょうの社会も余り変わりはないけれど、私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるのです。そしてまた、私は古いものの中にいつまでもいいところもあることを願いたい。いまを生きるのでしょう。けれどもこれは余りにも遠すぎた夜かしら。すべて終わり、すべては夢だったのね

というわけで微妙に違います。「いまを生きるのです。けれども、これは余りに遠すぎた夢かしら」と「いまを生きるのでしょう。けれどもこれは余りにも遠すぎた夜かしら」ではかなり意味合いが異なる感じです。いずれにしても、女言葉で書かれたこの内容は、33歳の男の「」としてはあまりにも異様であることは確かです。「狭山事件を推理する」管理人氏は「これは次姉の遺書にあった言葉の引用ではないか」という推理をしていらっしゃいましたが、そうとでも考えないと説明がつかない内容です。

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3 thoughts on “狭山事件入門: 被害者の家族 その2”

  1. 管理人様 今まで別々に見ていた一連の文章ですが、こうして一度に並べて見ると、ますます異様さが広がりますね。長兄の手記「犯人たるお前…」はやはり付け足しの可能性があるのですね。この支離滅裂な手記を見て、長兄さんは余程動転しているのか、無理を感じていました。「犯人たる…」はどう見ても身近な知り合いに向けて書いたようにしか見えないですもの。それに対して文頭ではI氏の事を「本当にこの人なのか?」と書いています。長兄は内心、I氏が真犯人だとは思っていないみたいです。次姉の遺書は公開されていない部分に(考えられない事…)が書いてあったのでしょう?夫に遺書が渡されなかったのは、他人になる彼には見せられない…または、手元に残されては困る内容だったからでしょう。次姉は事件に深く関与していると推測します。お父さんや次兄、弟、別居している長姉は何も知らずにいたと思いますが、次兄は後日何かを知った可能性があり、それで次姉の書いた文を写したりしていたのではないでしょうか?

  2. 管理人様 連日シラいコメントして済みませんが、さっき「狭山事件を推理」を見ていたら、とんでもない発見をしたのですが…(@_@)!次姉と彼氏のY氏は(事件の年の秋に見合いした。)と書いてあった〜ッ!これってサイトの記載ミスじゃないのですか〜?でも、もし事実としたら、私の推理は元から建て直さないと〜(>_

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