狭山茶の茶箱
(「ドラプラ」サイトより引用。元のサイトでは記事がなくなっているようなので、こちらで改めて写真をアップさせていただいています)
以前、「となりのトトロ」と狭山事件を関連づける都市伝説を否定するエントリを書きました。
狭山茶の茶箱
(「ドラプラ」サイトより引用。元のサイトでは記事がなくなっているようなので、こちらで改めて写真をアップさせていただいています)
以前、「となりのトトロ」と狭山事件を関連づける都市伝説を否定するエントリを書きました。
世にかたりつたふる事、まことはあいなきにや、おほくはみな虚事なり。あるにも過ぎて人はものを言ひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。
(徒然草)
世間で語りつたえる事は、ほんとうの事実はつまらないのか、たいていはみなでたらめだ。人は、事実以上にものごとを言いたてるうえに、まして年月もたち、場所もかけ離れたところだということになると、言いたいほうだいにでっちあげて、文章にまで記録してしまうと、それでもう事実ということになるのだ。
小西甚一『古文研究法』(上記・徒然草の文章の現代語訳)
学生時代の参考書を読み返していたら、非常に含蓄のある言葉が目に付いたので、今更ですが書き留めておきます。狭山事件でも、下山事件でも、津山事件でも、この言葉に当てはまる本や人が容易に思い浮かびます。
「年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ」
この言葉は、本ブログを続ける限り心に留めておきたいと思います。
こちらのエントリの続きです。かなりしょうもない小ネタです。興味がない人は読み飛ばしてください。
殿岡駿星氏の『三億円事件の真犯人』の中で、三億円事件の真犯人である「佐々木」は過去に人を殺したことがあるという設定になっていました。本人は「勝どき橋から女性を突き落として殺した」と言っていて、「町子さん」は「違うところで違う人を殺したことを隠蔽するためにそのように言ったのではないか」と推理しています。
で、私が個人的に「勝どき橋から女性を突き落とした」事件の元ネタじゃないかと思うのが本日の画像の記事です。
この記事はOTくんの目撃証言の記事の隣に出ているので、殿岡氏はこれにインスパイアされて橋から女性を突き落とした話を書いたんじゃないかな、と。場所も違うし(記事に出てくる橋は墨田区の源森橋です)、深い根拠はないのですが。
しかし、この事件もひどい話です。女性が突き落とされたのを目撃した男性が、「女性の特徴を詳しく覚えすぎている」などの理由で警察から犯人として疑われ、15時間ぶっ続けで取り調べを受けたとのことで、警察のリークに乗ってマスコミがこの男性を疑うような記事を書き立てたあたり、冤罪事件の典型的なパターンになっています。結局真犯人が見つかってこの男性は警視総監賞まで受けたそうです。逆に言えば、突き落とされたのを目撃して届けた程度で警視総監賞をもらえるものなのかな、という疑問も持ちます。単なる口止め料じゃないかと。
前回のエントリで書き忘れました。
狭山事件にご興味がある方は、是非とも再審ならびに事実調べ要望の署名をお願いします。
下記は、支援団体が印刷しているはがきの文面です。必ずしもこの通りの文章でなくてもよいようですが、「狭山事件の事実調べをしてください」という内容と、ご自分(差出人)の住所・氏名は必ず記載していただくようお願いします。
宛先:
〒100-8933
東京都千代田区霞が関1-1-4
東京高等裁判所第4刑事部
裁判長 岡田雄一 様本文:
狭山事件の公正・公平な裁判を求めます狭山事件の第3次再審請求において、弁護団は、専門家による筆跡鑑定書、法医学鑑定書など、無実を証明する多数の証拠を裁判所に提出していますが、2審の確定判決以来34年以上、事実調べ証人尋問などが一度もおこなわれていません。このことは法の正義に反し、公正・公平ではありません。
弁護団提出の証拠について事実調べをおこない再審を開始されるように求めます。
また、昨年の開示勧告に引き続き、弁護団が求める証拠開示についても勧告されるよう求めます。
真犯人推理の観点からも、よりいっそうの証拠開示が求められるところです。再審・事実調べが開始されれば、また新たな事実が判明する可能性もあります。是非ともよろしくお願いします。
昨日実施された、「狭山事件を推理する」管理人氏主催の現地見分に参加してきました。案内役に伊吹隼人氏を迎え、初参加の方も多くかなりの盛況(ダジャレではない)でした。
石川一雄さんもお元気そうでした。しかし、「10歳も年下の○○ももう死んでしまったし、今は元気だけどいつどうなるかわからん」とおっしゃっていたのが印象的でした。
石川さんのお話で一つ新発見だったのは、I養豚場の兄弟が男兄弟だけで4人いて、姉妹まで入れると10人きょうだいだったというお話です。狭山事件関係本やマスコミでは「養豚場」と言えば「三兄弟」の枕詞として使われているのに、実際には4人いたというあたり、やはり従来の狭山事件関係本の取材不足を感じさせます。石川さんによると、三男は養豚場経営に参加していなかったのであまり表に出てきていないのではないか、とのこと。
席上、2010年5月13日に開示された証拠の一覧表をいただいてきました。新聞報道等では断片的なので、一応一覧表として掲載しておきます。
弁護団が2008年5月23日付け、2009年8月17日付けの証拠開示勧告申立書で開示を求めた証拠のうち8項目の証拠が2009年12月16日に(引用注、裁判所から)開示勧告された。そのうち、5項目について36点の証拠が2010年5月13日開示された。
| 番号 | 開示勧告が出された証拠 (2009年12月16日) |
検察官の回答・開示された証拠 (2010年5月13日) |
備考 |
|---|---|---|---|
| 1 | 殺害現場とされる雑木林内における血痕検査の実施およびその結果に関する捜査報告書一切(検察官は殺害現場のルミノール反応検査報告書について存在しないと言っているが、存在しないならその理由の説明を求める) | 不見当 | 「殺害現場」の血痕検査については検査を行ったという埼玉県警係員の証言があり、見当たらないならその理由(廃棄したならいつ誰がどのような理由で廃棄したのか)を明らかにするべきでしょう。また、当初検察の回答が「存在しない」だったにもかかわらず「不見当」に変わっているということは、後で見つかったときに「その時には見つかりませんでしたが、あったんですね~」と言い訳できるようにするためとも考えられます。 |
| 2 | 捜査官が、殺害現場に隣接する畑で農作業をしていたOさんから3回目に事情聴取した際の捜査報告書ならびに供述調書 | Oさん関係の捜査報告書1通を開示 | そもそもこれまで非開示だったことがおかしな話ですが、今回開示されたことは一定の評価がされるべきでしょう。 |
| 3 | 殺害現場とされる雑木林の隣で事件当日、農作業をおこなっていたOさんを取り調べた捜査官の供述調書案、取り調べメモ(手控え)、調書案、備忘録等 | Oさん関係の捜査報告書2通開示(ただし1通は上記と重複) | |
| 4 | 1963年7月4日付けの実況見分調書に記載されている現場(雑木林)を撮影した8ミリフィルム | 不見当 | これらの公式の文書にその存在が記載された証拠が見当たらないなら、その理由(廃棄したならいつ誰がどのような理由で廃棄したのか)を明らかにするべき。 |
| 5 | 死体鑑定書や1963年5月4日付けの(死体発見時の)実況見分調書に添付された写真以外の被害者の死体に関する写真 | 不見当 | |
| 6 | 石川一雄さんが○○製菓の工場に勤務していた当時の借用書など筆跡鑑定等のために収集した石川さんの筆跡が存在する書類 | 6点の筆跡関係資料を開示 | 真犯人推理の観点からすると、石川さんの筆跡関係資料だけでなく警察が集めたすべての筆跡関係資料を開示してほしいものですが… |
| 7 | 石川さんが逮捕・勾留中に書いた本件脅迫状と同内容の文書など、石川さんの筆跡が存在する文書 | ||
| 8 | 石川さんの取り調べにかかる捜査官の取り調べメモ(手控え)、取り調べ小票、調書案、備忘録等 | 捜査報告書等19通を開示 取り調べ録音テープ9本を開示 |
今回公開されたテープは自白時のテープです。石川さんも述べているように、その前、1ヶ月にわたって否認をしていた間のテープも公開されるべきと思います。 |
なお、本日、このエントリの前に業務連絡としてもう一つエントリを書きました。昨日の参加者の方々はそちらもご参照ください。
昨日の参加者の方々に業務連絡です。
殿岡さんの『三億円事件の真犯人』読了しました。
が、どうご紹介したものやら考えあぐねていると、どこかでこの本の内容についての解説を読んだのを思い出しました。記憶を頼りに探したら、2ちゃんねるの三億円事件スレでした。
【第二現場は】三億円事件【七重の塔】
このスレの>>356あたりから本の内容について触れられています。ネタバレ満載なのでリンクをクリックするときは注意してください。
私も、上記スレで「サトーハチロー」氏が書いている内容に同意します。ただ、当方、三億円事件関係の資料の手持ちが少なく、別冊宝島1574「20世紀最大の謎 三億円事件」くらいしかないので、「多摩駐在所への脅迫状の差出人名」を存じ上げておりません。「あの人」の名前に似てるんでしょうか。
狭山事件で、弁護団の求めに応じて検察側から証拠開示がなされたとのことです。
要点だけまとめると以下のようになるかと思います。
【開示された証拠】
【開示されなかった証拠】
開示された証拠を見る限り真犯人推理に役立つなものはなさそうです。また、「殺害現場」のルミノール反応検査結果については「不見当」とのことですが、「ルミノール検査をした」と警察技師が弁護団に証言していますので、これまた誰がいつどのような理由で証拠を廃棄したのか、厳しく追及されるべきではないかと思います。「犯行時間帯に現場の近くにいた男性の調書」も公開されたとのことで、これが「犯行時間」に「現場」から30mほどの畑で農作業をしていたOさんの証言であれば、冤罪の証明の方向性としてはかなり大きそうです。
一応確認です。
被害者の事件当日の日記には「私の誕生日(十六才)うれしい」とだけ書かれており、他に何もなかったことが上記の画像でも確認できます。一番左側の、一番下になっている部分が5月1日の日記です。雑誌記事をスキャンしたもので解像度が低いのですが、かろうじて判読可能です。
以前にも書いたように、被害者は事前に日記の左側に当日の予定などを書き込んでおいて、その日が終わってから実際にあったことを右の方から書いていたようです。その中で、しつこいようですが、事件当日である5月1日の予定に、待ち合わせについて書かれていないのがどうも気になります。以前のエントリでは、「うれしい」の理由が待ち合わせではないかと書きましたが、他の日にはもっと詳しく予定を書いていること、MHくんへの恋心も隠さずに書いていることなどから考えても、待ち合わせの予定がこの5月1日左側を書いた時点で判明していたのであればはっきり書いたのではないかと思います(個人的な推測です)。
「女性自身」5月20日号にこの写真が掲載され、内容も報道されているということは、刑札は早々に日記を被害者家族に返還してしまっており、現時点でも日記は家族のもとにあると考えられます。写真は撮られていて後で(インク鑑定資料として)一部が弁護側にも公開されたようですが、是非とも全ページ、特に事件前日である4月30日分の写真による公開を望みます。
ちなみに、下から2番目は5月20日の日記「今年はぜひ、後楽園で王さんに会いたい。最も良い成績をおさめてほしい、王さんの誕生日だ。今年は優勝してほしい」です。王選手は前年の昭和37年に一本足打法を始めて本塁打・打点の二冠王を達成し、事件のあった昭和38年にはそれを上回る成績を残して(ただし打点王は長嶋)、巨人も優勝しました。しかし、被害者がそれを確認することはできませんでした。
一番上になっている日記が全く読めないのが残念なところです。また、この写真の撮り方からいって、ページをバラバラにしてしまっているようです。刑札で写真撮影するときにバラしたのか、「女性自身」が撮影するときにバラしたのかは不明です。
本件、こちらのコメントで教えていただきました。
2004年の鎌田慧さんの本『狭山事件-石川一雄、四十一年目の真実』が岩波現代文庫から再版されるとのことです。個人的には、この本が岩波というメジャーな出版社から再版されることで、再審へ向かっての世論の関心がさらに高まることを期待します。
これまで何度も取り上げていますが、「狭山事件」という用語には大きく分けて2つの意味合いがあります。
「狭山事件を推理する」サイトでも取り上げられている通り、伊吹さんの新著を上記1.の方面からの最高峰とすれば、鎌田本は2.の方面からの一つの到達点と言えるでしょう。もし「狭山事件」について何も知らないという方がいて、事件の概要を知りたいということであれば、この2冊を読めば全体は見えると思います。
本の性格から考えてあとがきを含めた加筆部分はそれほど多くないと思いますが、単行本の版元であった草思社が民事再生になったこともあり、事件に興味はあるがまだこの本を読んでいないという方がもしいらっしゃれば、一度目を通しておいて損はないと思います。