狭山事件: OTくんの目撃証言 その1

女性自身 昭和38年6月24日号女性自身 昭和38年6月24日号

今回の記事の主人公は、以前から話題に上っているくんです。

たしかにYさんとすれちがった。別に言葉はかわさなかったが、同窓の一年先輩だった彼女を見あやまるはずがありますか、と彼はいう

彼女はもちろん、彼もふだんは通ったことのない“沢の道”で、あの日以外に出会ったなんて絶対考えられない

OTくんは5月3日に級友に「沢の道でを見た」と言っていて、5日に刑札に届け出たものの、時間が合わないことで責め立てられた結果、7日には「勘違い」ということで撤回しています。しかし、一応撤回した後も上記のように当日被害者を見たことは間違いではないと主張しています。「気は弱いけど頭はいいし、ぜったいにウソなんかつけるやつじゃない」というクラスメートの評価(「五十人の級友の一致した意見」と断言してますが、本当に50人全員に取材したんでしょうか(笑))や、写真を見た感じでもマジメな中学生という感じで、事件直後に届け出ていることもありその証言には一定の信憑性があるのではないかと思います。

追記:前々回のエントリで事実誤認がありました。詳細についてはお手数ですがコメントをご参照ください。

One thought on “狭山事件: OTくんの目撃証言 その1”

  1. 今は126号ができて道が変わったようですが、私の持ってる1984年の地図だと、関口自転車店の前の道は新狭山小の横を通り加佐志を抜け、堀兼に至るように思われます。これ以外に高低差の激しい、当時は雑木林だった狭山台を通る道があるそうなんですが、そこは自転車には適していないという話です。そうすると存命ならば62才くらいで、当時は15才だったというOTさんが堀兼方面から来た道は前者だったということになるんじゃないか。A先生と野球部員が来た道というのもこれなんじゃないか。堀兼に住む人が現狭山市駅の西側に行くときには、この北の道を通り、第二ガードをくぐってゆくというのが一般的ルートとしてあったということでしょう。よしえさんは、やけん坂のある南の道を通学路にしていたそうですが、北の道を使って帰るということも幾度かあり徐々にそれが増えていったということがありうるんじやないんでしょうか。5月1日よしえさんは第二ガードで人を待つ前に、沢加佐志の方面に、北の道を、人に会いにいくために自転車を走らせ、そこで堀兼から来たOTさんと、すれちがったんじゃないんでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です