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下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その2

Wikipediaの「下山事件」の項目で、こんな内容が最近いったん除去されたのに復活されました。

強度の近視でヘビー・スモーカーの下山にも関わらず、旅館滞在中メガネを外し続け、タバコを一本も吸わなかったとの証言もある。

ご丁寧に、「編集内容の要約」欄にはこのようなことが書かれています。

削除された部分は、平成三部作に基づいているのではなく、矢田喜美雄『謀殺下山事件』や下山事件研究会『資料・下山事件』に述べられている事で、事実に反してなどいない。

しかし、実際のところ、『謀殺 下山事件』にも『資料・下山事件』にも、末廣旅館で総裁がメガネを外し続けていたとか、タバコを1本も吸わなかったなどという記述はありません。なんでそういうことになってしまっているんでしょうか?

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下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その1

『葬られた夏 追跡 下山事件』『葬られた夏 追跡 下山事件』

今回からしばらく、「平成三部作」の最初のきっかけとなった週刊朝日の記事をメインで書き、その結果を『葬られた夏』という書籍にまとめた諸永裕司氏の叙述テクニック(笑)について見ていきたいと思います。

諸永氏がよく使うテクニックは2つあります。

  • 関係ありそうで、でも実は関係ない叙述を織り交ぜることで、読者に特定の方向の印象付けをする
  • よく読めば間違ったことは書いていないのだが、さらっと流し読むと間違った理解をしやすい文章を書き、しかもその「間違った理解」というのが他殺説に非常に都合がよい形になっている

これだけだとわかりにくいと思いますので、具体例を見てみましょう。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その7

週刊朝日 昭和44年9月19日号 週刊朝日 昭和44年9月19日号

週刊朝日の昭和44年9月19日号に、松本清張氏が「下山事件 幻の『謀略機関』をさぐる —ひとつの推理的結論—」という文章を寄せています。その中で、今回の画像のような文章を「秋谷鑑定」の内容として引用しています。時系列を確認すると、これは、昭和39年6月の衆議院法務委員会より後、昭和48年8月号(7月発売)の「文春秋谷鑑定」の発表より前、昭和44年8月の「資料・下山事件」の出版とほぼ同時期ということになります。

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下山事件: 自殺説について

ちょっと間が空いてしまいました。

下山事件の自殺説に関して考察しているサイトがありました。

http://shimoyamajiken.blog17.fc2.com/blog-entry-1.html 

こちらのサイトと異なり、下山事件の自殺説に絞って深く考察されています。現在は特に法医学関係に関しての考察を詳しく紹介していらっしゃって、非常に参考になります。松本清張氏がご存命であれば、これを見てもまだ「カンか科学か」って言い張るんでしょうかねえ。

現状で手に入る下山事件関係の書籍のほとんどは他殺説で、自殺説のものは手に入りにくく高価なので、「平成三部作」で下山事件に関して興味を持った方も、自殺・他殺の判断をする前に是非ともこういった情報収集をしていただきたいと思います。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その5

文藝春秋 昭和48年8月号文藝春秋 昭和48年8月号

先のエントリまでで見てきたように、この「秋谷鑑定」と称するものは東大裁判化学教室の秋谷教授が書いたものではないと考えます。では、誰が書いたものでしょうか。

そのヒントになる記述が、「文春秋谷鑑定」の冒頭(その前にある文章は松本清張氏の紹介文で、網掛けの囲みのところからが「文春秋谷鑑定」の本文になります)にあります。「尚以上の鑑定並びにこれに付随する物件の調査…(中略)…については地検、警視庁捜査二課或は化学関係監督官庁の協力活動が行われた。」となっています。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その4

『下山事件全研究』より 植物油の混入について『下山事件全研究』より 植物油の混入について

以前のエントリで引用した「文春秋谷鑑定」に関する疑問の続きです。当該の「文春秋谷鑑定」において、「D51-651油は少し値数が高いので鉱油であるか否かを鹼化値測定によって判断した。その結果はわずか一・八で現れ0に等しいことを認めた」という記述があります。当方も化学の専門家ではありませんが、いろいろな書籍を見る限り鉱物油であれば鹼化値は0、植物油であれば100~200という数値になるのは確かなようです。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その3

『下山事件全研究』p.322より『下山事件全研究』p.322より

では、実際のところ蒸気機関車の下にはどの程度の油が存在するのでしょうか。

佐藤一氏が実際にとりあえず5台のD51(下山総裁を轢断したのと同型)の下に実際にもぐりこんで、布で抑えてしみだした油だけをとる方法で抽出した油の量でも51~97gであり、これだけでも明らかに「文春秋谷鑑定」の「4.5cc」がウソであることがわかります。また、この方法では下面にべっとりとついた油を含んだ泥の塊は拭き取っていないため、そういった油泥に含まれる油まで考慮すると、「車輛底部のあらゆる個所」を拭いて得られる油の総量は「おそらく『4.5cc』(約4g)の200倍をはるかにこえる量」、つまり最低でも1リットル程度と推定しています。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その2 4.5ccって…

「下山事件全研究」より。下山総裁を轢断したD51-651「下山事件全研究」より。下山総裁を轢断したD51-651

文藝春秋 昭和48年8月号文藝春秋 昭和48年8月号

「文春秋谷鑑定」で最もわかりやすい疑問点が、「蒸気機関車であるD51の下面にはどれほどの油が存在するか?」 という点です。

「文春秋谷鑑定」では、「車輛底部のあらゆる個所を拭いて得た油量」が「4.5cc」と傍点付きで強調されて明記されています。この「4.5cc」という数値は、左上でも「轢断車でつき得る車輛油はD51-651の車底から採取した量4.5ccで判る通り、すこぶる微量である」と再度強調されていることから、ミスプリや勘違いではなく、この「文春秋谷鑑定」の著者(前回書いたようにこの「文春秋谷鑑定」自体がかなり怪しいので、あえて「秋谷教授」と書きません)が本当に4.5ccと考えていたことがわかります。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その1

文藝春秋 昭和48年8月号文藝春秋 昭和48年8月号

下山事件の自殺・他殺論争において、重要な論点の一つとなっているのが「秋谷鑑定」です。他殺説論者が「物的証拠」として持ち出すことが多い「下山油」「緑色の色素」の詳細は大抵この論文(?)を論拠にしています。

この「秋谷鑑定」とは、事件当時東京大学裁判化学主任教授だった秋谷七郎氏の「鑑定書」とされているものです。しかし、実際には、下山事件は裁判にはなっていませんので、検察が秋谷教授に依頼して提出してもらったという「秋谷鑑定」は一般には公表されていません。では、現在下山事件論争において「秋谷鑑定」とされているものは何かというと、文藝春秋(週刊じゃなくて月刊の方)の昭和48年8月号に「機密文書 下山事件捜査報告」として掲載された物を指しています。(もし「そうじゃない。秋谷教授が検察に提出した鑑定書が存在する」という方がいらっしゃれば、是非ともご教示下さい)
2008年9月1日注記: 昭和39年6月26日の衆議院法務委員会に資料として秋谷教授が提出した鑑定書が提出されており、その内容が『資料・下山事件』に掲載されていました。詳しくはこちらのエントリをご参照ください。

ところが、この文藝春秋に掲載された「秋谷鑑定」(以下「文春秋谷鑑定」と呼びます)には、あまりにも疑問点が多いのです。

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