今回からしばらく、「平成三部作」の最初のきっかけとなった週刊朝日の記事をメインで書き、その結果を『葬られた夏』という書籍にまとめた諸永裕司氏の叙述テクニック(笑)について見ていきたいと思います。
諸永氏がよく使うテクニックは2つあります。
- 関係ありそうで、でも実は関係ない叙述を織り交ぜることで、読者に特定の方向の印象付けをする
- よく読めば間違ったことは書いていないのだが、さらっと流し読むと間違った理解をしやすい文章を書き、しかもその「間違った理解」というのが他殺説に非常に都合がよい形になっている
これだけだとわかりにくいと思いますので、具体例を見てみましょう。
今回引用した画像の中に、以下のような文章があります。
Mは当時、三十一歳。元憲兵で戦時中は中国にいた。柔道四段、剣道三段、拳闘もこなした。かつてモンゴル(外蒙古)の日本人捕虜収容所で部下にリンチを加え、縛ったまま戸外に放置して凍死させた「暁に祈る」事件で騒がれた憲兵曹長と同じ隊に所属していた
さらっと流し読むと、M氏自身も「暁に祈る」事件のリンチに関係していたようなイメージを与えられます。しかし、よく読むと、「暁に祈る」事件はそもそも戦後の事件で、M氏は戦時中にその首謀者だった憲兵曹長と同じ隊に所属していたというだけで、事件には全く関係がないことがわかります。「よく読めば間違ったことは書いていないのだが、さらっと流し読むと間違った理解をしやすい文章を書き、」というのはこういう意味です。この後のページではさらに、「Mの憲兵時代の知り合いがかつて亜細亜産業にいたという情報があったのだ」として、亜細亜産業も同様のリンチが得意であったかのような印象操作につなげています。
この文章と同じやり方で、諸永氏ご自身を紹介する文章でも書いておきましょうか。
諸永裕司氏は当時、三十歳。大学卒業後朝日新聞社に入社したエリート記者で、「週刊朝日」編集部にいた。かつて自らサンゴを傷つけておきながら「KYってだれだ?」という捏造記事を書いたり、「アベする」という「流行語」を捏造しようとした挙げ句に大失敗し、「アサヒる」という言葉を流行らせてしまったのと同じ会社に所属していた
これが一度や二度であれば「筆が滑った」で済むでしょうが、「葬られた夏」にはこの手の記述がかなり多く、諸永氏が意識してやっているとしか思えません。その中でも深刻なのが、「末廣旅館の主人は元特高関係者である」ことを、さもこれまで警察によって隠蔽されていた、新発見の事実であるかのように読者に誤認させるようにし向けた記事です。この話については下山事件自殺説紹介ブログさんの方で詳しく解説されていますので、そちらをぜひご一読ください。
なお、本ブログ管理人が今回この話を書いているのは、今回のエントリに引用した記事にかなり怒りを覚えているからです。諸永氏が使っている手法は、狭山事件において石川さんが冤罪で逮捕された直後に「石川一雄=被差別部落出身者=異常性格者」という報道を繰り広げたマスコミの手法と何ら変わるところはありません。諸永氏自身は狭山事件よりも後の昭和44年生まれとのことですが、こういう手法というのは日本のマスコミに埋め込まれた遺伝子のようなものなのでしょうか。
ひとつひとつツッコミを入れるのは不可能なほどに、論理展開が強引な箇所や、いわゆる「叙述テクニック(笑)」が使われている部分が多いですよね。ところでうちのブログからリンクさせていただいてよろしいでしょうか?
リンクの件、是非お願いします。
こちらの方で無断でリンクしてしまってすいません。
いえいえ、ありがとうございました。よく考えたら何日か前に既に事件関係ブログさんのURLを記事に貼っていたんでした。忘れてましたすみません。今回あらためてプラグインのリンクのところに追加させていただきました。