月別のブログアーカイブ: 11月 2007

下山事件: 「秋谷鑑定」 その2 4.5ccって…

「下山事件全研究」より。下山総裁を轢断したD51-651「下山事件全研究」より。下山総裁を轢断したD51-651

文藝春秋 昭和48年8月号文藝春秋 昭和48年8月号

「文春秋谷鑑定」で最もわかりやすい疑問点が、「蒸気機関車であるD51の下面にはどれほどの油が存在するか?」 という点です。

「文春秋谷鑑定」では、「車輛底部のあらゆる個所を拭いて得た油量」が「4.5cc」と傍点付きで強調されて明記されています。この「4.5cc」という数値は、左上でも「轢断車でつき得る車輛油はD51-651の車底から採取した量4.5ccで判る通り、すこぶる微量である」と再度強調されていることから、ミスプリや勘違いではなく、この「文春秋谷鑑定」の著者(前回書いたようにこの「文春秋谷鑑定」自体がかなり怪しいので、あえて「秋谷教授」と書きません)が本当に4.5ccと考えていたことがわかります。

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下山事件: 「秋谷鑑定」 その1

文藝春秋 昭和48年8月号文藝春秋 昭和48年8月号

下山事件の自殺・他殺論争において、重要な論点の一つとなっているのが「秋谷鑑定」です。他殺説論者が「物的証拠」として持ち出すことが多い「下山油」「緑色の色素」の詳細は大抵この論文(?)を論拠にしています。

この「秋谷鑑定」とは、事件当時東京大学裁判化学主任教授だった秋谷七郎氏の「鑑定書」とされているものです。しかし、実際には、下山事件は裁判にはなっていませんので、検察が秋谷教授に依頼して提出してもらったという「秋谷鑑定」は一般には公表されていません。では、現在下山事件論争において「秋谷鑑定」とされているものは何かというと、文藝春秋(週刊じゃなくて月刊の方)の昭和48年8月号に「機密文書 下山事件捜査報告」として掲載された物を指しています。(もし「そうじゃない。秋谷教授が検察に提出した鑑定書が存在する」という方がいらっしゃれば、是非ともご教示下さい)
2008年9月1日注記: 昭和39年6月26日の衆議院法務委員会に資料として秋谷教授が提出した鑑定書が提出されており、その内容が『資料・下山事件』に掲載されていました。詳しくはこちらのエントリをご参照ください。

ところが、この文藝春秋に掲載された「秋谷鑑定」(以下「文春秋谷鑑定」と呼びます)には、あまりにも疑問点が多いのです。

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下山事件

下山総裁47歳下山定則国鉄総裁47歳

あちこち話が飛んで恐縮ですが、本日からしばらく下山事件関係を。

下山事件の詳細については例によってhttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/simoyama.htmを参照してください。要するに、昭和24年7月6日午前0時過ぎに、発足したばかりの日本国有鉄道初代総裁である下山定則氏が「轢断された死体」として発見されたという事件です。

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津山事件: 稀代の殺人鬼 その5

合同新聞昭和13年5月28日付合同新聞昭和13年5月28日付

連載第5回(最終回)です。

「亡き父母眠る墓所戀しく自殺の場所をこの倉見越えに求めたらしい」とのことなんですが、倉見は貝尾から北の方、荒坂峠は南の方なのでこの記述にはちょっと疑問が残ります。

睦雄が自殺した時点でまだ銃弾は14発残っていたとのこと。これを全部使い切っても、禹範坤の記録には届かないわけですね。

津山事件に関する本はこちら

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津山事件: 稀代の殺人鬼 その4

合同新聞昭和13年5月27日付合同新聞昭和13年5月27日付

連載第4回です。

事件当日の睦雄の動きが詳しく書かれています。筑波本で「寺井ゆり子」になっている女性が隣宅へ逃げ込んで助かった(その代わり逃げ込んだ先のおじいさんが殺された)話や、「お前は惡口をいはぬからこらへてやる、しかし後では惡口をいふだらうな」と老人を見逃した話などはこの記事から取られた物ではないかと思います。

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津山事件: 稀代の殺人鬼 その3

合同新聞昭和13年5月26日付合同新聞昭和13年5月26日付

さらに続きです。前日・前々日が「上」「中」だったのに、この日からいきなり「3」になっちゃいました。

検定試験云々とあるのは、青年学校(小学校を卒業したが中学校に行かなかった青年向けの補習学校。卒業しても資格にはならない)の教師に勧められて受験を考えたという専検(専門学校入学資格検定試験、今の高卒認定試験) のことでしょう。

練習と成果にあるように、松の木を相手に試射を繰り返して、着々と計画の遂行に向けて準備を進めていたようです。

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津山事件: 都井睦雄先生直筆原稿

「津山三十人殺し」より「津山三十人殺し」より、『雄図海王丸』

(2010年7月10日追記)その後の調べで、私(本ブログ管理人)はこの『雄図海王丸』は都井睦雄の作品ではなく、筑波昭氏の創作である可能性が高いと判断しています。とりあえず本エントリの内容はそのまま残しておきますが、その点ご注意ください。詳しくはこちらのエントリをご参照ください。

(This section added on Aug 27, 2010) After investigation, it is highly doubtful if this manuscript and the novel “Yuuto Kaiomaru” were written by Mutsuo Toi. They are possibly framed up by Akira Tsukuba, the author of the book “Tsuyama 30 people massacre”. I, as the author of this site, wrote it on English Wikipedia.

都井睦雄先生直筆生原稿です。1/2縮小だそうで。

結構几帳面に1マスに1文字を書いていくタイプのようです。戦前の小学校の「綴り方」教育のタマモノでしょうか。本ブログの筆者の小学校時代、やたらと「綴り方」教育を云々する先生がいて、その先生が称揚していたのが戦時中の小学生の書いた文章でした。「トタン屋根を打つ雨の音、灯火管制の中でうすぼんやりと光るろうそく」をとにかく絶賛していたような気がします(正直興味がなかったのであんまり聞いてませんでした)。

閑話休題、個人的には結構今風なというか、ちょっと前に流行した丸文字っぽい文字で好感が持てます。推敲の跡はあるものの、誤字脱字もなく、基本的な文章を書くことに対しての素養が見られるような気がします。遺書の名文っぷり(その数ヶ月前から推敲に推敲を重ねたのでしょうが)と併せて、今の世の中に都井睦雄先生が生まれていれば、同人作家orブログ小説作家として名をなしていたんではないかという気もします。

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津山事件: 稀代の殺人鬼 その2

合同新聞昭和13年5月25日付合同新聞昭和13年5月25日付

24日付特集記事の続きです。西加茂村行重が生んだ百姓一揆の首謀者である仁木直吉郎との比較が論じられています。

貝尾の地図が掲載されています。この地図を筑波昭『津山三十人殺し』に掲載された地図と比較すると、ほぼ左右が反転しています。実は本ブログの筆者は現地を訪問したことがないのでどちらが正しいのかわからないのですが、是非とも将来的には一度訪問の上確認してみたいと考えています。

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津山事件: 稀代の殺人鬼 その1

合同新聞5月24日付合同新聞昭和13年5月24日付

合同新聞は、5月24日から5回連続でこの事件の特集記事を組んでいます。今回の紙面では「上」となっていますが結局5回連続になっています。地方紙で1日4ページほどしかない紙面のうちこれだけのスペースを毎日割くというあたりに、地元における事件の衝撃の大きさが表れています。また、よく言われる「日中戦争の最中だったために報道管制が布かれた」という記述(「八つ墓村」の昔の文庫本の解説という話はあるものの、この記述自体がどこにあったものかというのも実は怪しいのですが)は事実無根だったことがわかります。

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津山事件: 都井睦雄の墓

都井睦雄の墓「不思議ナックルズVol.9」より。都井睦雄の墓。

睦雄が自殺した後、遺体は都井本家があった倉見まで運ばれ、葬儀が行われたそうです。

お姉さんは「立派な石塔を作ってあげたい」と願ったものの、姉の夫の反対で倉見川から拾ってきた石を墓石代わりにしたとのこと。

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