あちこち話が飛んで恐縮ですが、本日からしばらく下山事件関係を。
下山事件の詳細については例によってhttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/simoyama.htmを参照してください。要するに、昭和24年7月6日午前0時過ぎに、発足したばかりの日本国有鉄道初代総裁である下山定則氏が「轢断された死体」として発見されたという事件です。
ここで、「轢断された死体」であって「轢死体」ではないことに注意してください。
この下山事件が現在でも関心を呼んでいるのは、下山総裁は自殺だったのか他殺だったのか、という点に尽きます。自殺説と他殺説の対立は事件の直後から始まっており、主として毎日新聞が自殺説を、読売新聞と朝日新聞が他殺説を唱えました。ただし、毎日新聞も自殺説ありきだったわけではなく、当初は他殺説寄りの記事だったものが、取材を重ねるうちに自殺説に転向した、という形になっています。
他方で、他殺説を強力に主張したのが松本清張でした。前にも津山事件のところで書いたように、本ブログ管理人の個人的意見としては松本清張氏の事実認識には誤認が多くてかなり眉唾だと考えていますが、その主張する内容が「下山事件はGHQによる陰謀である」というセンセーショナルなものであったために一定の支持を得てきました。
最終的に警察は自殺とも他殺とも結論を出さず、非公式に「改造」と「文藝春秋」に流出したという形で発表された「下山事件捜査報告書」では自殺よりの結論が出ています。
このような形で、いわばウヤムヤのうちに終結しそうになっていた下山事件に新しい展開があったのは、事件から50年以上が経った平成に入ってからでした。週刊朝日に連載された一連の記事が発端となり、諸永裕司『葬られた夏』、森達也『下山事件(シモヤマ・ケース)』、柴田哲孝『下山事件 最後の証言』が相次いで出版されて、下山事件は当時三越近くにあった亜細亜産業という会社のメンバーが中心となって起こした他殺事件と結論づけられています。
しかし、これらのいわゆる平成三部作の書籍は犯人の推理に重点が置かれすぎていて、それまでに自殺説の立場から疑問が呈されていた「証拠」類(「下山油」、死因(死後轢断か生体轢断か)、下山総裁の靴についていた色素、等)について、そういった疑問を完全に無視して他殺説に有利な形で、 あたかも自殺説など存在しないような議論の展開を行っている点についての批判があります。
最初に本ブログ管理人の立場を明らかにしておきますと、他殺説4:自殺説6くらいです。ただし、現時点で他殺説の書籍に対して自殺説の書籍は古本屋でも高価で手に入りにくくなっており、ネットなどでもあまりにも「当然他殺でしょ」みたいな論調が目に付くため、ここのブログで紹介する説としては自殺説の方がかなり多くなると思います。
では、次のエントリから順次いろいろな話を。
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