津山事件: 稀代の殺人鬼 その1

合同新聞5月24日付合同新聞昭和13年5月24日付

合同新聞は、5月24日から5回連続でこの事件の特集記事を組んでいます。今回の紙面では「上」となっていますが結局5回連続になっています。地方紙で1日4ページほどしかない紙面のうちこれだけのスペースを毎日割くというあたりに、地元における事件の衝撃の大きさが表れています。また、よく言われる「日中戦争の最中だったために報道管制が布かれた」という記述(「八つ墓村」の昔の文庫本の解説という話はあるものの、この記述自体がどこにあったものかというのも実は怪しいのですが)は事実無根だったことがわかります。

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この記事を読んでいくと、睦雄の両親は流感で亡くなったことになっています。睦雄本人は結核だったと書かれています(22日の紙面)し、この時点ですでに亡くなっている人に関することなので、事実を伏せたということもないと思うのですが、どうしてなんでしょうか。

また、有名な「病弱のため1年就学を遅らせた」という記述があります。睦雄が早生まれ(大正6年3月5日生まれ)だったことと考え合わせると、おばやんとしては睦雄の身体を心配してというより、早生まれでそのまま入学することの不利(小学校低学年レベルだと、3月生まれの子供と4月生まれの子供ではほとんど1歳差があるために、身体と頭脳両面の発達にかなり差があります)を補うために「病弱」を口実に1年遅らせたのではないかという気がします。どっちにしても過保護が原因であることには変わりありませんが。

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