睦雄が自殺した後、遺体は都井本家があった倉見まで運ばれ、葬儀が行われたそうです。
お姉さんは「立派な石塔を作ってあげたい」と願ったものの、姉の夫の反対で倉見川から拾ってきた石を墓石代わりにしたとのこと。
お姉さんは1996~1997年頃に亡くなった(2001年に出た「ダークサイドJAPAN」に「4、5年前に亡くなった」との記述があることから逆算)そうです。松本清張の「闇に駆ける猟銃」では「後に結核で死んでいる」と記述されていますが、実際には21世紀近くになるまで生きていたようです。また、筑波本で「寺井ゆり子」という仮名になっている、都井が凶行を起こすことを決心するきっかけになった女性は、21世紀の現在(2007年)も90歳を超えてまだご存命とのことです。
「不思議ナックルズVol.9」より。睦雄の姉が営んでいた食堂。
結核は、戦時中にストレプトマイシンが発見されて戦後(昭和20年代)には治る病気になりました。 睦雄がもし自殺せずにあと10年生きながらえていればおそらくは治癒していたわけですね。ただ、睦雄が残したいろいろな書き物を読む限り、結核とかそれによって村人にバカにされたとかはきっかけに過ぎず、結局どこかでこういう事件を残したのではないか、という気はするのですが。