狭山事件: 『狭山事件 50年目の心理分析』 その3

前回の続きというか、補足説明です。

誰かがOG新居跡地を「ここが犯人の家です!」と断言したとすれば、その人は以下の2つの条件を満たす必要があります。

  • 犯人がOG(単独犯)であると確信している
  • その場所がOG新居跡地であることをあらかじめ知っていた

OGが犯人だと思っている人がOG新居の場所を初めて知ったら、「ここが犯人の家ですか?」あるいは、「この家を建てたOGが犯人なんですよね?」という反応になるのが普通でしょう。そして、OGが犯人だと思っていないなら、「犯人の家です」という発言が出るはずもありません。また、「犯人の家です」という言い方からして、OGの単独犯であると確信していることになります。複数犯と考えているなら、「犯人の一人の家です」というような言い方になるでしょう。

しかし、普通に考えて、狭山事件に関して詳しく知っていて、OG新居跡地の場所を特定できるような人が、OG単独犯であると確信していることはありえそうもありません。そのことが、上記の「ここが犯人の家です!」という発言が殿岡氏による捏造ではないかと私が考えるゆえんです。正確に言うと一人だけ例外が思い当たりますが、その人は「現地調査」に参加しそうにありません。……この点に関して公の場所でこれ以上書くことは諸般の事情ではばかられますので、詳細は割愛させていただきます。詳細を知りたい方は本ブログ管理人宛メールをください。

私が、こと「捏造」に関して厳しく当たるのは、それが石川一雄さんをはじめとする冤罪を産んだ原動力だからです。「OGやOGの新居が事件に関係していたと書いている連中は気に入らないから、そいつらがトンデモナイ発言をしていたことにして糾弾してやろう」というのと、「被差別部落に住んでいた石川が犯人なら都合がいいから、証拠を捏造して犯人ということにしてしまおう」という考えの間に、本質的な差異はないと思います。もし殿岡さんがこの発言が事実だとおっしゃられるのであれば、是非とも発言主が誰なのか、また、どういった場での発言だったのかを明らかにしていただきたいと思います。


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狭山事件: 『狭山事件 50年目の心理分析』 その2

前のエントリからほぼ2ヶ月がたってしまいました。相変わらずで申し訳ないです。

言い訳をさせていただくと、これだけ間が空いた最大の理由は当方の身辺多忙ですが、もう一つの理由として殿岡さんの新しい本をどう扱うかを考えあぐねていました。

正直なところ、殿岡さんの本にはかなり初歩的な事実誤認が見受けられます。しかし、当初、当サイトでこの本をご紹介するにあたっては「よかった探し」をしていこうと思っていました。なんだかんだ言っても久々の狭山事件関係の、それも真犯人推理を前面に押し出した新刊ですから。しかし、読み進めていく上で大変「微妙な」記述が見受けられるため、本当にこれを勧めてよいものかどうか迷いが生じているのが正直なところです。

そのような迷いの一番の原因は、下記の記述です。

かつて、狭山市内を現地調査したときに参加者の一人が「ここが犯人の家です」と自殺したOGさんが住む予定だった家を指さした。わたしはびっくりして開いた口がふさがらなかった。(p.229)

この記述は原文ママです。読んでわかるとおり、この記述にはいろいろと不自然な点があります。

  1. まず、現地調査で単なる参加者の一人が「ここが犯人の家です」と断言するというのが不自然です。本当に参加者の一人であれば「ここが犯人と言われているOGさんの家ですか?」という疑問形になるところでしょう。
  2. もし単なる参加者の一人が「ここが犯人の家です」と断言したのであれば、他の参加者や案内者から総ツッコミが入るところです。しかし、そのようなツッコミが入ったという記述はありません。
  3. 従って、普通に読めば、この記述は単なる参加者ではなく、参加者のうちで案内人的な立場を買って出ていた人(従って、他の参加者はその人に対してツッコミにくい人)が「ここが犯人の家です」と発言したと解釈できます。
  4. そのような、狭山事件の現地調査において、「参加者のうちで案内人的な立場を買って出ていた人」として考えられるのは2006年5月の現地調査で案内をした伊吹隼人氏です。当該の現地調査には殿岡氏も参加していらっしゃいました。しかし、伊吹氏がそのようなことを発言する可能性はかなり低いと考えられます。なぜなら、伊吹氏は、OGは「犯人グループそのものではなく、巻き込まれて建設中の新居を利用された」と考えている立場であり、それはこれまでの著作でも繰り返し著述されているからです。念のため伊吹氏本人にも確認しましたが、「そのような(OGが犯人だと断言するような)発言はしていないし、するはずもない」とのことでした。
  5. もし上記の記述が伊吹氏の発言でないとすれば、殿岡氏が参加した他の現地調査においてそのような発言をした、案内人的な立場の「参加者」がいたことになります。しかし、正直なところこれまでの狭山事件関連サイトや殿岡氏自身のメルマガ等を考慮すると、その可能性はかなり低いと考えます。

総じて判断するに、殿岡氏は「OGは犯人グループに利用された」あるいは「OGは犯人グループと関係があった」という主張をしている人を貶めるために、このような存在しない発言を著書の中で記述したという可能性が非常に高いと考えます。

人間のすることですから、考え方に違いがあったり、それに対して反論することは当然あってしかるべきことですし、大歓迎です。しかし、考え方が違う相手を貶めるために、存在しない発言を捏造しているようでは何をか言わんやです。そのようなことをしているようでは、石川一雄さんを冤罪に陥れるために証拠や証言を捏造した刑札と、本質的な差異はないのではないでしょうか?

  

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狭山事件: 『狭山事件 50年目の心理分析』 その1

ほぼ2ヶ月、アップデートがなくて申し訳ないです。まだ資料の整理ができていないのですが、だんだんと通常更新に近づけていきたいと思っています。

殿岡駿星さんの新刊『狭山事件 50年目の心理分析 証言に真相あり』が出版されました。まずはおめでとうございます。

まず気がつくのは、前作までの小説仕立てとは違って正面からノンフィクションとして書かれているということです。タイトルにもあるとおり、基本的には公判での証言と調書を元に構成されています。なので、こちらも正面から読み込んでいく必要があるかと思います。

まだ途中までしか読めていないので最終的な感想は差し控えますが、ここまで読んだ中ではどうも「事実」認定の甘さが目に付きます。たとえば、113ページには下記のような死体見分調書が引用されています。

被害者は目を閉じ、口をわずかに開き、頭髪は散乱し、顔面は淡赤色を帯び鼻孔より鼻血が出血しており、右瞼に溢血点が認められた。

この「鼻血が出血」は、死体見分調書の引用としては正しいのですが、事実としては正しくありません。こちらのエントリでも引用したように、被害者を解剖した五十嵐医師は法廷での証言でこれが「鼻血」であることを否定しています。今後詳しく論じていこうと思いますが、他にも「事実」として提示されている内容が明らかに事実ではなかったり、そういう説もあるという程度だったりする部分が散見されます。まあ、ただでさえ450ページ近い本で、そういう事実関係の注釈を入れていくとキリがないということもあるでしょうか。

ただし、これまで私も気がつかなかった指摘もいろいろあります。たとえば、脅迫状の最後の2行があとから付け足されたものではないかということは言われていましたが、書き方や文字の大きさだけでなく、「し」を「知」と書いたりといった文字遣いも最後の2行だけ違うという指摘にはなるほどと思わされました。


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その他: 近況

更新が滞っていてすいません。

私事で恐縮ですが家を引っ越して事件関係の資料が段ボール箱から整理できていなかったり、出張が続いていたりで、まだしばらく更新ができそうにありません。次の更新はおそらく7月1日(日)以降になります。恐縮ですがあしからずご了承ください。

狭山事件: A先生について

被害者の中学時代の担任で、佐野屋での身代金受渡にも立ち会ったA先生は、事件が起きてからかなり後(1970年代)までマスコミや野間宏さんの取材に応じていました。しかし、現在は伊吹さんが電話をしてもまったく取り合っていただけない状況です。私(本ブログ管理人)も一度お電話したことがありますが、奥様らしき方が出られて「そういうお話は全てお断りしています」と言われました。

その理由について、伊吹隼人さんより「1980年代半ば頃に批判的にマスコミに取り上げられたことが原因ではないか」との情報をいただきました。本日の画像はその記事です。

上記引用はすべて週刊新潮1985年3月21日号です。

この記事でのA先生は、日教組系教員のいいなりになっているダメ校長という、かなりひどい書かれ方をしています。この記事がマスコミ不信・取材拒否のきっかけになったのではないかという伊吹さんの説にも頷けるものがあります。

個人的には、この記事もさることながら、昔日は暴力教師として生徒を支配下に置いていたA先生が、日教組系教師の突き上げでその傀儡とならざるを得なくなったことで変に屈折してしまったのではないかなあ、という気もします。
今の人がこの記事を読むと、こんな風に教師が成績を改竄したり、生徒が合格した高校に押しかけて合格を取り消させようとするなんて本当にあるの?と思うのではないでしょうか。しかし、日教組系教師が支配する学校(私が通っていた中学もそうでした)というのは、様々な理不尽がまかり通るところでした。この記事に書いてあるのと似たようなことを実際に私(本ブログ管理人)も経験しましたし、記事に書かれていることはおそらく事実だと思います。
そうなると、それを抑えられないことに対するA先生の鬱屈も相当なものであろうと思われ、それで従来は正義感から取材を受けていたA先生が取材拒否に転じてしまったのではないか、というのが私の推測です。


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津山事件: 現地調査会のお知らせ

すいません。諸般の事情により本件中止とさせていただきます。もし検討中という方がいらっしゃったら申し訳なく、お詫び申し上げます。また時期を見て改めて企画したいと思います。

試験的に津山事件の現地調査会を開催してみます。

  • 集合: 5月26日(土)午前10:30津山駅または午前9:00岡山空港
  • 解散: 26日(土)午後5:00津山駅または27日(日)午前11:00岡山空港
  • 訪問予定地: 貝尾、荒坂峠、倉見(睦雄の墓)、姉のうどん店、「ゆり子」宅
  • 費用: 資料代とレンタカー代割り勘(2千円程度)
  • 募集人数: 最大4名(小型のレンタカーで回りますので、それ以上は乗車不可です)
  • その他: 当日夜、当方は湯郷温泉にて宿泊予定です。翌日岡山空港にての解散をご希望の方は湯郷音泉で宿をお取りください。
  • その他2: 当日、同人誌の販売をご希望の方は手渡しすることも可能です。ただし持って行かなくてはならないので事前にお申込ください。

場所が場所だけに参加できる方は少ないと思いますが、もしご希望の方がいらっしゃれば blog@flowmanagement.jp (間の@を半角に変換してください)宛にメールをいただくか、本エントリにコメントで申込をお願いします。(申込コメントは表示しません)

予定変更等がある場合には本ブログにて告知します。


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その他: サーバ移転完了

サーバの移転が(ほぼ)完了しました。
もし不具合があれば本エントリのコメントか、blog@flowmanagement.jp(間の@を半角にしてください)宛にメールでお知らせいただけると幸いです。


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その他: サーバ移転のお知らせ

現在本ブログを設置しているサーバにいろいろと不具合が出ているため、近々サーバごと移転することを検討しています。

  1. 移転が完了するまでの間、接続が多少不安定になることがあります。あらかじめご了承ください。
  2. できるだけ完全に移行する予定ではありますが、本日以降にいただいたコメントに関しては消えてしまう可能性がゼロではありません。こちらも恐縮ですがご了承いただけると幸いです。

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狭山事件: 現地調査終了と川越高校入間川分校校舎の盛り土について

4月30日の現地調査は無事終了しました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

現地調査の際に伊吹隼人さんから、「入間川分校は、旧木造校舎を鉄筋コンクリート校舎に建て替える際に、3~4mほど盛り土がされているようだ」というご指摘をいただきました。確かに木造校舎の写真と現在の写真を見比べてみると、木造時代には向こう側にある公民館とほぼ同じ高さに校舎があるのに対して、現在はかなり大きな段差があります。

bunkou木造時代の分校校舎

現在のほぼ同じ位置からの撮影

この写真を見比べると、木造時代には向こう側に見える公会堂と分校校舎がほぼ同じ高さにあり、道路からかなり下がった位置にあったのに対して、現在は公会堂よりかなり高い位置で、東道路とほぼ同じ高さに分校校舎(現在の准看護学校校舎)があります。

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