狭山事件: 被害者は鼻血を出していたか?

以前のエントリで、の顔写真を見ると殴られたように見えるという話題を出しました。また、そこには書きませんでしたが、写真では鼻血が出ているようにも見えます。(すいません。写真自体は公判調書に掲載されており、別に公表禁止ということでもないとは思うのですが、人道的にさすがにどうかと思うのでここに公表するのは差し控えます。)

しかし、遺体を解剖した五十嵐医師の証言によると、これは鼻血ではなく死後浸潤液とのことです。以下、公判調書より引用します。話している(質問している)相手は中田弁護人です。

そこには「脱脂綿塊を右鼻腔内に挿抽してみると、綿塊は微-黄褐色粘稠物がついた」と、そうありますね。

はい。

それから、裏の一行目には、「左鼻腔内を同様に検するに綿塊は赤色に汚染せらる」とあります。

はい。

素人風に伺いますが、右と左は粘着物が違っていたというふうに読んでいいんでしょうか。

右には赤色みたいなものがなかったということです。

左は赤色だと。

記載通りに理解していただきたいと思います。

その記載から鼻血が出ていたと考える余地があるんでしょうか。ないんでしょうか。

私の個人的な書き方かも知れませんが、血液とはっきりわかった場合には、「綿塊は血液により汚染せらる」と書く癖があります。ただ、赤色と書いてあるだけだと、これは死後浸潤液と書いておくと思います。

(中略)
警察官の実況見分調書を見ますと、「顔面は淡赤色を帯び、鼻孔より鼻血が出血しており」と、こうあるんです。そして、写真22と23を見て下さい。これを見ますと、なるほど鼻血が出ていたのかなと思われるわけですが、あなたは死体のこういう状況を見たことがありますか。

ありません。

今、ご覧になった写真及び警察官の実況見分の結果、鼻血が出ていたという表現と、合わせて、あなたが書いておられる右左の鼻腔内の検査の結果から見ると、警察官が言っているような意味での鼻血が出ていると考えられるでしょうか。考えられないでしょうか。

私の長い警察職員としての経験から申しますと、警察官の死体の実況見分の場合は鼻血と死後の浸潤液との区別はつけえられないものと思っております。

さきほど写真をご覧になりましたね。

はい。

そうすると、あなたの説明ではそれも死後の浸潤液と見た方がよいということになるのでしょうか。

これはあの写真は泥とまじり合っていて、カラー写真でないために、色がよくわからない。しかし、それで、鼻から出血をしているという場合は、多くは鼻に打撃を受けたとか、頭蓋骨や顔面骨の骨折があった場合、そういうときには鼻血が出ておりますが、うつぶせになっていたために浸潤液が出て、それがあたかも鼻血のように見えるという場合はしばしばございます。

うつぶせになっていたためにね。

ただ、そのとき、真正な出血であれば粘稠度とか透明度とか、そういうもので、なれた者ならば区別はできます。

要するに、被害者の写真で鼻血のように見えるものは鼻血ではないという判断です。

この五十嵐氏の当時の立場は埼玉県刑の技術吏員という形で、刑札の人間です。この裁判で証人に立った刑官の中には、故意に質問をはぐらかしたり、一審と二審で全く証言内容が異なっていたりと明らかな偽証が多いので、上記の証言もウソではないかという疑惑も残ります。しかし、五十嵐氏に関しては、例えば遺体の逆さ吊りの可能性がないと明言するなど刑札に不利な情報もきちんと事実に基づいた証言をしており、全体的に信頼がおける(少なくとも意図的なウソはついていない)と管理人としては判断していますので、この証言も一応は信用してよいのではないかと思います。

亀井トム氏の『狭山事件』では、五十嵐証人の発言として

「(引用注、鼻血について)血が付いているのはカラー写真でみたかぎりははっきりみえる」と認めた。

と書いていますが(121ページ)、第二集の方で

本書第一集三章「白への巨歩」のうち、それにふれた個所は、傍聴席のメモ禁止で記憶による取材のため、多少のまちがいがある

として撤回しています。

ちなみに、五十嵐氏は戦時中に軍医として招集された後、復員して昭和20年5月から昭和23年11月まで東大の教室に副手として勤務していたそうです。あの、で「死後れき断」と診断した古畑教授の教え子ということですね。

狭山事件に関する本はこちら

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