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狭山事件入門: 事件関係地図

狭山市詳図(1966年、人文社刊) その1狭山市詳図(1966年、人文社刊) その1

狭山市詳図(1966年、人文社刊)狭山市詳図 その2

上の地図は、1966年(狭山事件が発生した1963年の3年後)発行のものです。以前のエントリでも論じたように、この時点で「狭山東中」になっていた中学(現在の入間川東小の位置)を「入間川中」という古い表記にしているなどいくつかの問題はありますが、私(管理人)がこれまで見つけた中では一番当時に近いと思われる地図です。現在の地図(例えばGoogle Map)と比べて見て下さい。

赤字の注記はすべて管理人が入れたものです。縮尺的には、その1の方は右端の方にある被害者宅から佐野屋までが直線距離でちょうど1kmくらいです。その2の方では、入間川駅(現狭山市駅)から三柱神社(荒神さま)までだいたい250~300mくらいです。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その6

毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊(再掲)

今回の記事は、以前に掲載したものと同じ部分です。

この記事に掲載された写真でOTくんが被害者に会ったとされている場所は、道が大きく曲がっています。当時の地図現在の地図を見る限り、これはこの場所ではないかと思われます。

もう一つ、この記事を再読してわかるのは、当初OTくんが被害者を見かけたのは3時頃と報道されていたことです。被害者は2時30分の授業終了後に学校を出てガード下や沢地区まで移動し、そのあといったん学校に戻り、再度3時23分に学校を出るところを目撃されたのではないかという仮説とほぼ合致しています。

いずれにしても、当初の報道が最も作為が少ないと考えると、午後3時前後にOTくんが沢近辺で被害者に会ったという仮説は、それなりに高い信憑性を持っているのではないかと思います。

狭山事件: OTくんの目撃証言 その4

『狭山事件を推理する』『狭山事件を推理する』

『狭山事件を推理する』から、OTくん(引用部分では「福富孝」という仮名になっています)の証言に関する部分です。この部分で、

○時二十分ころ給食を終えて帰宅し、再び学校へ行き一時間位遊んで帰宅し、東中に出かける途中で(被害者)に出会い、東中で試合の見物をした。

東中での試合が終わった後、テニスの試合を見に西中に行くとそのうち雨が強く降ってきた

というOTくんの話が出ています。ところが、困ったことに、OTくんの証言のうち、この内容が出ている資料は今のところ『狭山事件を推理する』しか見あたりません。長兄の手記の件などもあり、この本に出てくる話を鵜呑みにするのもちょっと危険な感じがあるので、この辺は是非とも裏がほしいところです。もし上記内容が他の資料にも掲載されているのをご存じの方がいらっしゃればご教示下さい。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その3

毎日新聞 昭和38年5月8日付朝刊毎日新聞 昭和38年5月8日付朝刊

OTくんの目撃証言続報です。
刑札の発表によれば、時間が合わないのでOTくんの証言の「信頼性は低い」で片付けられています。しかし、先のエントリで「女性自身」誌にOT君が告白している状況などから考えると、目撃したこと自体を否定することは行き過ぎなのではないかとも思います。以下、状況を検証します。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その2

毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊毎日新聞 昭和38年5月6日付夕刊

OTくんの証言に関する当初の報道です。OTくん自身の証言は下記の通りです。

  1. S自転車店近くで被害者がうつむきかげんに自転車に乗っているのを見た
  2. そのとき、OTくんは午後1時から西中学で開かれている「学徒総合体育大会」の応援に行く途中だった。(斜体部は原文ママ)

まず、OTくんが目撃した被害者は自転車に乗っていたということは特筆に値するでしょう。同じように3時前後に被害者を目撃したと証言しているA先生は自転車に気がつかなかったと言っていますので、その点で矛盾していることになります。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その1

女性自身 昭和38年6月24日号女性自身 昭和38年6月24日号

今回の記事の主人公は、以前から話題に上っているOTくんです。

たしかにYさんとすれちがった。別に言葉はかわさなかったが、同窓の一年先輩だった彼女を見あやまるはずがありますか、と彼はいう

彼女はもちろん、彼もふだんは通ったことのない“沢の道”で、あの日以外に出会ったなんて絶対考えられない

OTくんは5月3日に級友に「沢の道で被害者を見た」と言っていて、5日に刑札に届け出たものの、時間が合わないことで責め立てられた結果、7日には「勘違い」ということで撤回しています。しかし、一応撤回した後も上記のように当日被害者を見たことは間違いではないと主張しています。「気は弱いけど頭はいいし、ぜったいにウソなんかつけるやつじゃない」というクラスメートの評価(「五十人の級友の一致した意見」と断言してますが、本当に50人全員に取材したんでしょうか(笑))や、写真を見た感じでもマジメな中学生という感じで、事件直後に届け出ていることもありその証言には一定の信憑性があるのではないかと思います。

追記:前々回のエントリで事実誤認がありました。詳細についてはお手数ですがコメントをご参照ください。

狭山事件: 被害者の足取りと野球の試合

東京新聞 昭和38年6月1日付朝刊東京新聞 昭和38年6月1日付朝刊

事件当日(昭和38年5月1日)の被害者の足取りについてはいくつかの証言があります。詳しくは狭山事件を推理するのサイトの方にわかりやすくまとめられていますので、そちらをご参照下さい。ここでは、これまであまり採り上げられてこなかった証言をご紹介します。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その4

『狭山事件 無罪の新事実』『狭山事件 無罪の新事実』

前回のエントリへのコメントで、「狭山事件を推理する」サイト管理人さんより、さのヤに犯人が来たときにA先生もPTA会長と一緒に次姉に付き添っていたという話の出典をご教示いただきました。ありがとうございます。 確かに、上で引用したように、『狭山事件 無罪の新事実』の244ページに

(被害者)の中学の英語担任の(A先生)教諭の参加も大目に見たのもそういうわけである。

という記述がありました。

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