『狭山事件を推理する』から、OTくん(引用部分では「福富孝」という仮名になっています)の証言に関する部分です。この部分で、
○時二十分ころ給食を終えて帰宅し、再び学校へ行き一時間位遊んで帰宅し、東中に出かける途中で(被害者)に出会い、東中で試合の見物をした。
東中での試合が終わった後、テニスの試合を見に西中に行くとそのうち雨が強く降ってきた
というOTくんの話が出ています。ところが、困ったことに、OTくんの証言のうち、この内容が出ている資料は今のところ『狭山事件を推理する』しか見あたりません。長兄の手記の件などもあり、この本に出てくる話を鵜呑みにするのもちょっと危険な感じがあるので、この辺は是非とも裏がほしいところです。もし上記内容が他の資料にも掲載されているのをご存じの方がいらっしゃればご教示下さい。
信憑性の話を別にして考えると、後の証言の「東中での試合が終わった後」「西中に行くとそのうち雨が強く降ってきた」という部分は、強い雨が降ってきたのが4時20分頃からだったことを考え合わせると、試合終了が3時40分頃だったという説を裏付けるものではないかと思います。東中(現入間川東小)と西中(現狭山西中学校)の間は1km以上離れており、自転車でも10分くらいはかかるでしょうから、3時40分に野球が終わって西中へ着くのが4時頃と考えるとちょうど証言に合致しています。
『狭山事件を推理する』の本文中では、「福富孝が自宅を出たのは三時三十九分以降である」と結論づけていますが、そうするとその3で採り上げた「グラウンドについたとき野球は三回を終えていた」というOTくんの証言と矛盾します。自宅を3時39分以降に出て4時少し前に被害者と沢で出会ったとすると、東中着は4時過ぎとなってしまい、その時点で野球が3回だったのであれば、試合終了前に雨が強くなっていなくてはならないことになるためです。
以上のように考えると、やはり、
- 決勝戦の試合終了は3時40分頃
- OTくんが沢で被害者を見かけたのは3時前後
というのが一番ムリがないように思うのですが、いかがでしょうか?
ただし、これらの証言はしつこいようですが『狭山事件を推理する』にしか掲載されておらず、信憑性に多少の疑問符が付きます。著者の甲斐仁志氏は地元で取材経験がある新聞記者ではないかという説もあるようで、その独自取材の結果を反映しているという可能性もありますけど。