狭山事件: OTくんの目撃証言 その3

毎日新聞 昭和38年5月8日付朝刊毎日新聞 昭和38年5月8日付朝刊

OTくんの目撃証言続報です。
刑札の発表によれば、時間が合わないのでOTくんの証言の「信頼性は低い」で片付けられています。しかし、先のエントリで「女性自身」誌にOT君が告白している状況などから考えると、目撃したこと自体を否定することは行き過ぎなのではないかとも思います。以下、状況を検証します。

OTくんの証言に関してこの記事から読み取れる情報は下記の通りです。

  • OT君は一日午後一時から市立東中で開かれた”学徒総合体育大会”の野球を見に自宅を出、途中で被害者と会った
  • 会ったのは沢のS自転車店近く
  • 時間の点について「グラウンドについたとき野球は三回を終えていた。時刻は午後二時から三時の間だと思う」と語っていた
  • 被害者は午後二時半に授業を言えたが一時間近く居残り、学校を出たのが午後三時二十五分頃(学友の証言)
  • 野球の終わったのは午後二時五十五分頃(Y西中校長ら関係者の話)。七回の野球が二時五十五分に終わっているのだから、三回は二時前後と推定される

私の考えでは、被害者は下記の2つの時間帯にはほぼ確実に学校にいたと思います。

  • 授業が終わった「二時半」
  • 級友の、「午後3時23分」に学校を出るところを目的したという証言

学校の教室からOTくんが被害者を見たという沢地区まで、自転車を使ったとしても15分程度はかかる(教室~自転車置き場で5分、学校から沢地区まで10分)と思われることから、OTくんが被害者を見たという時間は

  1. 2:45~3:08の間:被害者が授業終了後に一度学校を出てその間にOTくんと出会い、いったん学校に戻ってから再度出るところを目撃されたという仮説に基づく場合
  2. 3:38以降:午後3時23分に学校を出て行く姿を目撃されたのが、当日最初に学校を出た瞬間と解釈する場合

のいずれかということになると思います。

一方で、野球の試合に関しても、これまで見てきたようにいくつかの証言があります。

  • OT君は一日午後一時から市立東中で開かれた”学徒総合体育大会”の野球を見に(毎日新聞
  • 野球の終わったのは午後二時五十五分頃(Y西中校長ら関係者の話)。七回の野球が二時五十五分に終わっているのだから、三回は二時前後と推定される(同上)
  • 「春の学徒総合体育大会狭山地区予選」の中学野球の部で狭山東中と西中が決勝戦をやっていた。(被害者)さんはバックネットのそばの道に自転車を止め、立ち止まって見ていた。試合はこの時最終回で、午後三時四十分に終わったが、(被害者)さんは試合が終了するといなくなった。(東京新聞
  • 『狭山事件の真犯人』の著者である殿岡駿星氏の取材によると、当日の堀兼中の試合は4時から予定されていた。

毎日新聞の時間経過を採用する限り、刑札が言うように「勘違い」としか考えられません。しかし、OTくん自身が「女性自身」に告白しているように、当日OTくんと被害者が遭遇したとすると、下2つの時間経過はかなり現実性がある時間経過ではないかと思います。

私(管理人)の仮説は下記の通りです。

  • 当日の決勝戦は狭山東中で行われ、3時40分頃終わった
  • 堀兼中は決勝戦に出られなかったが、4時から練習試合(あるいは3位決定戦のような試合)が予定されていた。しかし、雨が降ってきたために中止となった。
  • OTくんは3時前後に被害者と沢のS自転車店そばで会った
  • OTくんが被害者と会った後、東中に到着した時(おそらくは3時10分頃)には決勝戦は3回頃だった(逆算すると、決勝戦が始まったのは授業が終わった2時半すぎということになってしまうが、この点で毎日新聞の報道と明らかに矛盾する。一つの仮説として、1時からの試合は決勝戦ではなく別の試合で、その後決勝戦が行われたということも考えられる。ただしその根拠はまったくない)
  • 被害者は、授業終了(2:35)後にいったん学校を出た。S自転車店そばでOTくんに会った後で学校に戻り、3時23分頃ふたたび学校を出るところを目撃された

あくまでも、私(管理人)が、当時の報道の中で互いに矛盾するものがある中から自説に都合がいいものだけを採り上げたものですので、これが絶対と主張するつもりも根拠もありません。しかし、OTくんが被害者と(時間は抜きにして)S自転車店近くで会ったということを前提にして考えると、上記の流れが一番妥当ではないか、というのが現時点での私の考えです。

One thought on “狭山事件: OTくんの目撃証言 その3”

  1. ちなみに、本日のエントリで採り上げた記事の左下には、神奈川県小田原市で発生した幼児連れ去り事件に関係して「精薄の農夫捕える」という記事が被疑者の実名入りで掲載されていました。おおらかな時代と言えばそれまでですが、当時のマスコミの人権意識の希薄さを伝えるエピソードとしてご紹介しておきます。

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