Category Archives: 下山事件

下山事件: 文藝春秋の柴田哲孝氏の記事

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『下山事件 最後の証言 完全版』(文庫版)

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『下山事件 最後の証言』(単行本版)

今売りの「文藝春秋」10月号「真相 未解決事件35」という特集の中で、下山事件が採り上げられています。記事を書いているのは柴田哲孝氏。当然ですが他殺説で決定済み(笑)という内容になっています。

今回の記事で気になったのは下記のような記述です。

事件の三日前の七月二日夜、下山総裁は西銀座の『出井』という関西料理屋にいた。その店で誰と会っていたのかも、重要なミッシング・リンクのひとつだ。

数年前、この出井にいた謎の人物に関して、「財界の大物のSとMという男だった」という確度の高い情報提供があった。

相変わらず、ソースを示すことなく、別の言い方をすれば検証ができないようにそれっぽい情報を書くのがうまいですね。さすがはサスペンス作家の面目躍如といったところです。ただし、これらの情報を今後下山事件推理における「事実」として扱いたいのであれば、せめて「誰が」「いつ」「どのように」その情報を提供したのかを明かす必要があるでしょう。このままでは矢田喜美雄氏の「下山総裁の死体を運んだ男」の話と同じで、「へえ、だから?」としか言いようがありません。

柴田氏は、こういうところで下山事件に関して偉そうなことを書く前に、「『下山事件 最後の証言』文庫版と単行本版で結論が正反対になっていて、しかもその理由が全く説明されていない」というAmazon書評欄における批判に対して誠実に説明をするべきではないでしょうか?
その説明がなされない限り、今後柴田氏が下山事件に関して何を言おうと信用する人は皆無だと思います。ましてや、今回のようにソースも明かさない話を思わせぶりに持ち出されても、その信頼性はほぼゼロと言って差し支えないでしょう。

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その他: 徒然草

世にかたりつたふる事、まことはあいなきにや、おほくはみな虚事なり。あるにも過ぎて人はものを言ひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。

(徒然草)

世間で語りつたえる事は、ほんとうの事実はつまらないのか、たいていはみなでたらめだ。人は、事実以上にものごとを言いたてるうえに、まして年月もたち、場所もかけ離れたところだということになると、言いたいほうだいにでっちあげて、文章にまで記録してしまうと、それでもう事実ということになるのだ。

小西甚一『古文研究法』(上記・徒然草の文章の現代語訳)

学生時代の参考書を読み返していたら、非常に含蓄のある言葉が目に付いたので、今更ですが書き留めておきます。狭山事件でも、下山事件でも、津山事件でも、この言葉に当てはまる本や人が容易に思い浮かびます。

「年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ」
この言葉は、本ブログを続ける限り心に留めておきたいと思います。

 

下山事件: 五反野周辺の証言

IMG_1636公園から轢断現場付近に向かって撮影

全研究下山事件サイトにて、「五反野轢断現場周辺の目撃者証言」という記事が上がっています。

特に、各目撃者の位置と目撃時間をまとめた地図に関して、私自身もいつかはこれをやりたいとは思っていたのですが、先にしかも私が考えていたのよりも精緻な形でまとめられています。その努力に敬意を表すとともに、下山事件に興味がある方は是非とも一度ご参照ください、とおすすめしておきます。私が知る限り、ここまですべての証言を地図上にまとめたものは今までなかったのではないかと思います(もしどこかにあればご教示ください)。

この地図、特に(2)の方を見ると、「下山総裁は短い時間の間にあちこちで目撃され過ぎではないか」という疑問が出るかもしれません。しかし、(2)の地図下にある縮尺を見ていただくとわかるように、この地図の端から端までで300m程度です。悩みながらゆっくり歩いたとしても成人男性の足では5分もかからないでしょう。一般的に不動産の「徒歩○○分」は徒歩1分=80mですので、300mなら徒歩4分たらずということになります。

ちなみに、常磐線、東武線と小川が作る三角形の地帯は現在公園になっていて、当時の面影はありませんが実際に線路際を歩いてみることが可能です。ただし、線路は現在かなり厳重に囲われてしまっていて、土手に登ることはできなくなっています。本日の写真は、子供を遊ばせているお母さんたちに不審そうな目を向けられながら公園の中の遊具に上って轢断現場方面を撮影した写真です。

下山事件: 吉松富弥氏証言

全研究下山事件サイトにて、吉松富弥氏の証言がアップされています。音声ファイル(YouTube)と文字起こしと両方あります。吉松氏は事件当時下山家の近くに住んでおり、長男(定彦氏)と友人だった縁もあって下山家に出入りして総裁とも顔見知りだったとのことです。

証言の内容は、平成元年7月21日付毎日新聞にも掲載された、

彼は下山氏の死亡が発覚した直後、直接芳子夫人から「夫は自殺したと思うが口外しないでほしい」という言葉を聞いておられます。

というものです。証言は他にもいろいろなエピソードをまじえており、当時の世相などを知る上でも参考になりますので、下山事件に興味がある方は是非ともご参照ください。

ただし、60年以上前のことでもあり、かなり明らかな事実誤認もいくつかあります。一番大きいのは、下山総裁の奥様を高木子爵の娘さんと誤認している点でしょうか。下山事件の前年(昭和23年)に自殺した高木子爵は高木正得さんで、芳子夫人の父は高木得三さんです。「得」の字が共通していますのでもしかしたら縁者である可能性は否定できませんが、芳子夫人がつぶやいたと言われる「高木子爵のようにならなければいいが…」という発言からしても、縁者である可能性も低いと思います。

他にもルミノール反応と死後轢断の鑑定を混同していたりなど、かなり大量にツッコミどころがあります。

そのことをもってこの吉松証言に信憑性がないというつもりはありません。逆に、吉松証言をもって下山総裁が自殺だったことが確定したなどと言うつもりもありません。ただ、非常に個人的に吉松氏の話に真実味を感じるのは、芳子夫人に誘われて教会に行ったくだりです。「賛美歌」と書いていたり(芳子夫人が吉松氏を連れて行ったのはカトリック洗足教会だと思われるので、正式には「賛美歌」ではなく「聖歌」です)、「お父さんの冥福を祈る」(キリスト教には「冥土」がありませんので「冥福を祈る」ことはありません)といったご愛敬はありますが、

ちょっと葡萄酒を飲んで、パンみたいなお煎餅みたいなものをいただいたりして、それは司祭さんから

という叙述には説得力があると思います。

私(本ブログ管理人)は一応カトリックの洗礼を受けた信者です。ミサにおいて、ご聖体を受けることができるのは洗礼を受けた成年の信者だけで、未信者(という単語も個人的にはどうかと思うのですが)は聖体拝領はできず祝福を受けるだけということになっています。しかし、未信者が多くミサに参加するような大きな教会では聖体を渡す前に「信者ですか?」と確認されますが、それ以外の普通の教会では確認もせず聖体を渡されることが多いのも事実です。また、この「聖体」は教義的には「パン」ですが、見た目は小さい煎餅のようなものです。そのあたりを踏まえると、この話は信者ではない吉松氏がカトリックのミサに参加した体験談として、かなりの信憑性を感じます。信者であればこういう間違いはしないだろうし、逆にミサに参加したことがなければこういう書き方はできないだろうからです。
また、普通の日本人の認識では、キリスト教の儀式を主宰するのは「神父」あるいは「牧師」でしょう。それを「司祭」(カトリックのミサの中で、実際に司祭のことを「また司祭とともに」などと言及します)と正しく表現しているところにもかなり高い信憑性を感じます。

一つ他殺説に有利な指摘をさせていただくと、カトリックでは自殺を否定しています。従って、夫人がカトリック信者だったことをもって総裁もカトリック信者だったと仮定すれば、総裁が自殺するのはおかしい、ということになります。しかし、総裁自身がカトリック信者だったという証拠はなく、そもそも夫人がカトリックに帰依するようになったのが下山事件の前だったのか後だったのか、確認するすべもありません。さらに、カトリックの国で自殺がまったくないわけでもありません。したがって、これも現時点ではどちらとも確認できないというのが公平なところではないかと思います。
事件後、夫人が「他殺」と言うようになった理由の一つには、カトリックが自殺を禁じていることがあるのかもしれません。

芳子夫人が事件後公式には「他殺」の線を押し通した理由について、証言の中では恩給が動機ではなかったかという指摘があります。下山家の財政が、その「国鉄総裁」という肩書きにもかかわらずかなり厳しかったのは確かなようで、その中で戸主である下山総裁が亡くなった後で4人の子供を育てるために恩給を得たいという動機が働いたのではないかという指摘は、私の個人的な推測と合致しています。

上記の感想はあくまでも私(本ブログ管理人)の個人的感想であり、絶対的な事実ではないことを改めてお断りさせていただきます。

下山事件: 李中煥供述調書 その1 幻のGHQ極秘文書を発掘!

Ichunhuang-1供述調書(アメリカ公文書館蔵)

Ichunhuang-2供述調書に添付されていた検察庁による調書

先日米国に出張した際に、CIAの友人から上のような極秘文書を入手しました。私(本ブログ管理人)は以前某大手総合商社に勤めていたことがあり、この友人とは仕事関係で知り合ったのですが、意気投合して商社をやめてからも友人としていろいろと国際情勢について意見を交換しています。おかげで月に国際電話代だけで数百万円かかってしまいます。

話を戻すと、この李中煥供述は1979年7月6日付サンケイ新聞の記事のネタ元であり、『夢追い人よ』や『葬られた夏』などでも取り上げられていますが、原本のコピーについては長い間行方不明になっていました。くだんのCIAの友人によれば、「とある関係筋から入手した」とのことです。
ご覧いただけるとおり、「SECRET」の文字の下に、GHQ・連合軍最高司令官の関係文書であることが明記されています。また、宛先はホイットニー准将(GHQ民政局長)になっています。

検察庁の用箋に肉筆で書かれた調書は、本日掲載した部分に、下山総裁を車で誘拐し、ソ連大使館で血を抜いて殺害した様が語られています。
検察庁は多少の裏取りだけでこの供述を虚偽のものとして捨ててしまったようですが、やはりこれだけ生々しい供述ができるということは、下山総裁殺害に何らかの形でこの李中煥が関わっていたのは間違いないのではないでしょうか。そのあたりの偽装工作の高度さから言っても、相当高度な謀略機関が関与しているのは間違いないと考えられます。

相変わらず体調不良につき長文を書くことがままならないので、考察についてはまた改めて。

ここ最近、体調はすぐ
れないのですが、家にじっとしてるの
はよくないと思って、時々
釣りに出かけています。船から降
りるとどうもやはり調子悪いの
で、家にいればよかったと後悔しま
す。やっぱり疲れるだけです
よ。念のため。

下山事件: 『下山総裁の追憶』を100円で購入

IMG_1815『下山総裁の追憶』

ここしばらく1週間に1度は更新ができていましたが、ちょっと体調を崩してしまったので今週は本格的な記事を書くことが難しい状況です。

というわけで小ネタ。

先日、古本市を何となくウロウロしていたら、以前からほしかった『下山総裁の追憶』が売られているのを発見しました。値段を確認するとなんと100円。確かに外箱や装丁はボロボロで、普通の古本屋では売り物になりそうもない状態でしたが、中に書き込みや大きな汚れもなく、内容がわかればいい当方としてはありがたい掘り出し物でした。即座に確保しました。

アマゾン(下山総裁の追憶 (1951年))では3万円近い値段を付けているところがあるようですが(笑)、普通の古本屋でも3千円はする本なので、いい買い物だったと思います。

下山事件: 佐藤一さんの新刊が無事出版

以前のエントリでもとりあげた、故・佐藤一さんの新刊が無事出版されたようです。

私(本ブログ管理人)もようやく手に入れたばかりでまだ読了していません。途中まで読んだ感じでは、例によって「事実」の積み重ねで平成三部作のウソを指摘する、その容赦なさがある意味痛快でもあります。

地味な自殺説よりも陰謀論の平成三部作の方が読んでおもしろいし、本も売れるし、「商売」としてはその方が絶対的に正しいのでしょう。しかし、「事実」がどちらにあるかというのは一目瞭然と思います。