全研究下山事件サイトにて、吉松富弥氏の証言がアップされています。音声ファイル(YouTube)と文字起こしと両方あります。吉松氏は事件当時下山家の近くに住んでおり、長男(定彦氏)と友人だった縁もあって下山家に出入りして総裁とも顔見知りだったとのことです。
証言の内容は、平成元年7月21日付毎日新聞にも掲載された、
彼は下山氏の死亡が発覚した直後、直接芳子夫人から「夫は自殺したと思うが口外しないでほしい」という言葉を聞いておられます。
というものです。証言は他にもいろいろなエピソードをまじえており、当時の世相などを知る上でも参考になりますので、下山事件に興味がある方は是非ともご参照ください。
ただし、60年以上前のことでもあり、かなり明らかな事実誤認もいくつかあります。一番大きいのは、下山総裁の奥様を高木子爵の娘さんと誤認している点でしょうか。下山事件の前年(昭和23年)に自殺した高木子爵は高木正得さんで、芳子夫人の父は高木得三さんです。「得」の字が共通していますのでもしかしたら縁者である可能性は否定できませんが、芳子夫人がつぶやいたと言われる「高木子爵のようにならなければいいが…」という発言からしても、縁者である可能性も低いと思います。
他にもルミノール反応と死後轢断の鑑定を混同していたりなど、かなり大量にツッコミどころがあります。
そのことをもってこの吉松証言に信憑性がないというつもりはありません。逆に、吉松証言をもって下山総裁が自殺だったことが確定したなどと言うつもりもありません。ただ、非常に個人的に吉松氏の話に真実味を感じるのは、芳子夫人に誘われて教会に行ったくだりです。「賛美歌」と書いていたり(芳子夫人が吉松氏を連れて行ったのはカトリック洗足教会だと思われるので、正式には「賛美歌」ではなく「聖歌」です)、「お父さんの冥福を祈る」(キリスト教には「冥土」がありませんので「冥福を祈る」ことはありません)といったご愛敬はありますが、
ちょっと葡萄酒を飲んで、パンみたいなお煎餅みたいなものをいただいたりして、それは司祭さんから
という叙述には説得力があると思います。
私(本ブログ管理人)は一応カトリックの洗礼を受けた信者です。ミサにおいて、ご聖体を受けることができるのは洗礼を受けた成年の信者だけで、未信者(という単語も個人的にはどうかと思うのですが)は聖体拝領はできず祝福を受けるだけということになっています。しかし、未信者が多くミサに参加するような大きな教会では聖体を渡す前に「信者ですか?」と確認されますが、それ以外の普通の教会では確認もせず聖体を渡されることが多いのも事実です。また、この「聖体」は教義的には「パン」ですが、見た目は小さい煎餅のようなものです。そのあたりを踏まえると、この話は信者ではない吉松氏がカトリックのミサに参加した体験談として、かなりの信憑性を感じます。信者であればこういう間違いはしないだろうし、逆にミサに参加したことがなければこういう書き方はできないだろうからです。
また、普通の日本人の認識では、キリスト教の儀式を主宰するのは「神父」あるいは「牧師」でしょう。それを「司祭」(カトリックのミサの中で、実際に司祭のことを「また司祭とともに」などと言及します)と正しく表現しているところにもかなり高い信憑性を感じます。
一つ他殺説に有利な指摘をさせていただくと、カトリックでは自殺を否定しています。従って、夫人がカトリック信者だったことをもって総裁もカトリック信者だったと仮定すれば、総裁が自殺するのはおかしい、ということになります。しかし、総裁自身がカトリック信者だったという証拠はなく、そもそも夫人がカトリックに帰依するようになったのが下山事件の前だったのか後だったのか、確認するすべもありません。さらに、カトリックの国で自殺がまったくないわけでもありません。したがって、これも現時点ではどちらとも確認できないというのが公平なところではないかと思います。
事件後、夫人が「他殺」と言うようになった理由の一つには、カトリックが自殺を禁じていることがあるのかもしれません。
芳子夫人が事件後公式には「他殺」の線を押し通した理由について、証言の中では恩給が動機ではなかったかという指摘があります。下山家の財政が、その「国鉄総裁」という肩書きにもかかわらずかなり厳しかったのは確かなようで、その中で戸主である下山総裁が亡くなった後で4人の子供を育てるために恩給を得たいという動機が働いたのではないかという指摘は、私の個人的な推測と合致しています。
上記の感想はあくまでも私(本ブログ管理人)の個人的感想であり、絶対的な事実ではないことを改めてお断りさせていただきます。