全研究下山事件サイトにて、「五反野轢断現場周辺の目撃者証言」という記事が上がっています。
特に、各目撃者の位置と目撃時間をまとめた地図に関して、私自身もいつかはこれをやりたいとは思っていたのですが、先にしかも私が考えていたのよりも精緻な形でまとめられています。その努力に敬意を表すとともに、下山事件に興味がある方は是非とも一度ご参照ください、とおすすめしておきます。私が知る限り、ここまですべての証言を地図上にまとめたものは今までなかったのではないかと思います(もしどこかにあればご教示ください)。
この地図、特に(2)の方を見ると、「下山総裁は短い時間の間にあちこちで目撃され過ぎではないか」という疑問が出るかもしれません。しかし、(2)の地図下にある縮尺を見ていただくとわかるように、この地図の端から端までで300m程度です。悩みながらゆっくり歩いたとしても成人男性の足では5分もかからないでしょう。一般的に不動産の「徒歩○○分」は徒歩1分=80mですので、300mなら徒歩4分たらずということになります。
ちなみに、常磐線、東武線と小川が作る三角形の地帯は現在公園になっていて、当時の面影はありませんが実際に線路際を歩いてみることが可能です。ただし、線路は現在かなり厳重に囲われてしまっていて、土手に登ることはできなくなっています。本日の写真は、子供を遊ばせているお母さんたちに不審そうな目を向けられながら公園の中の遊具に上って轢断現場方面を撮影した写真です。
ご無沙汰しております。取り上げていただいてありがとうございました。目撃者証言は本で文字として読んではいましたが、実際五反野のどこらへんで目撃されたのかはよく自分は把握していなかったので、調べながら段々と理解していった感じです。当初は地図上に位置をプロットするだけで簡単にできるだろうと思っていましたが、やってみると想像以上に面倒くさいうえ、「目撃者はイニシャル表記」といううちのサイトのルールによって誰が誰だか分かりにくくなり混乱したりもしました。ブログの方にもちょっと書きましたが、宮川弘氏の著書(下巻)にちょっと似た感じの図があったかと思いますけど(今手元にないのではっきり分かりません)、目撃者の位置がかなりいい加減だった記憶があります。ちなみに、この図を作る前に、諸永裕司氏の著書(文庫)の「下山らしき紳士風の男は(中略)末広旅館で夕方まで休憩し、その後はレール沿いの土手を登ったり降りたり、ときには田んぼの畦道を歩いたり、常磐線と東武線の交わるあたりを中心に半径五、六十メートルの範囲を移動していたことになる」(p145-6)というのを読んでいましたので、目撃地点はもっと狭い範囲に集中しているのかと思っていました。
コメントありがとうございます。
エントリ本文でも書いたように、私もこの作業はいつかやりたいと思いながら、面倒でほったらかしにしてしまっていました。作業お疲れ様でした。
こうして地図上にまとめてみると、中には目撃者の見間違いや勘違いもあるかもしれませんが、末広旅館を出てからかなり逡巡しながら歩き回った様子がよくわかりますね。
全研究下山事件管理人です。先週も目撃者の位置を微調整したのですが、今日また10番のTIさん、11番のFFさん、12番のKSさんの位置について調整しました。特に12番のKSさんですが、古い地図を調べまして、断言はできませんが今回の位置で正しいだろうとは思っています。10番のTIさん、11番のFFさんの位置は、それぞれの証言内容、『下山事件全研究』と『生体れき断』にある位置や距離感の掴みにくい写真、gooの昭和22年の航空写真などをもとに大体の位置を推測しました。『下山事件全研究』にも載っている、昭和24年7月31日付の読売新聞のFFさん、TIさんの目撃位置は東武線ガードに近すぎ、KSさんの家から見えるにはちょっと遠いのではないかと考え、少し荒川側に変えています。目撃したのは歩きながらでしょうから、目撃開始時点では読売新聞の記事のように、TIさんもFFさんもガードに近かった可能性もあるので、あの記事がが間違いだとはいえませんが。私が作った地図や目撃者の位置について、なにかおかしな部分がありましたら、ご指摘いただけると助かります。
コメントありがとうございます。
ちと今バタバタしていていますので、落ち着いたらじっくり確認させていただきたいと思います。