下山事件: pH変化による死亡時刻推定の追試 その3 試験紙編

IMG_1739乳鉢で肉をすりつぶす

IMG_17275gの肉に対して100ccの精製水を加え、15分震とう

IMG_1735ろ過してBTB試験紙でpHを試験

前々回エントリにてご説明したように、pHセンサによる判定用の肉とは別に、5gずつ小分けした肉を作り、試験紙法による試験を行いました。

試験方法は秋谷教授の学会発表に準拠しています。

  • 用意した肉(ムネ肉)を5gずつ切り分けて、30℃で保管します
  • 時間が経過したところで5gの検肉を1つとり出し、乳鉢でよくすりつぶします
  • すりつぶした肉に100ccの精製水を加え、15分間震とうして抽出します
  • 抽出液をろ過します
  • BTB試験紙によってpHを試験・判定します

結果は下記の通りです。

IMG_1734試験開始1時間後: pH6.4

IMG_1737試験開始3時間後: pH6.8

IMG_1740試験開始5時間後: pH6.8

IMG_1741試験開始13時間後: pH6.8

IMG_1746試験開始28時間後: pH7.0

これらの写真をごらんいただけば、試験紙法によるpH判定がいかに難しいかがご理解いただけるのではないかと思います。

(考察)

  • 試験紙法によるpH判定の方が、pHセンサよりも高めに出るようです。肉の抽出液の緩衝能(pHを保持する能力: 詳しくはググってください)が不足しているため、100ccの精製水(中性ですのでpH7)を加えることでpH7に引っ張られているものと考えられます。5gの肉に対して100ccの精製水というのは秋谷教授の学会発表と同じ条件で実施したものですが、水に対する肉の量をもっと増やした方がよいかもしれません。このあたり、pH測定に関する秋谷教授の知見の浅さを感じさせます。
  • 時間の経過とともにpHが上がっていく傾向はあるものの、pHセンサの場合と同様に重ね合わせの作業ができるレベルの曲線にはなりません。
  • そもそも、BTB試験紙のpH6.4~7.2あたりの色変化が微妙すぎるため、先入観を持って見ればどんな曲線にも当てはまる実験結果が得られることになると思われます。

しつこいようですが、試験紙法による測定には主観が入ります。私の判定を写真の横に書いておきましたが、同じ発色と標準色チャートでもpH6.6に見える人もいるでしょうし、pH6.4に見える人もいるでしょう。そのことを、上に掲載した写真で実感していただければ幸いです。

現実問題として、秋谷教授の研究室に所属する助手や院生にとって、このような判定に主観が入り込む余地がある実験で「教授の主張する理論に反する結果が得られました」と報告することは非常に難しいことだったでしょう。
そういうバイアスをもってしてもなお、秋谷教授が学会発表で実験サンプル数nを公表できなかった(=公表できるほど理論の裏付けとなるデータを得られなかった)ことは、とりもなおさず捨てられた=秋谷教授の気に入らない実験データがいかに多かったかを物語っていると思います。

再々しつこいようですが、秋谷教授のpHによる死後経過時間推定がたとえ理論的に正しくても、「30分単位で」死後経過時間を推定するためにはpHを0.1単位で正確に測定することが必要です。下山総裁の筋肉を測定した試験紙法がその前提を満たしていないことは明らかですし、その試験紙法に基づく死亡推定時刻午後9時±2時間には何の意味もありません。そして、実際には理論そのものの妥当性にも疑問があることは前々回エントリで見たとおりです。

2 thoughts on “下山事件: pH変化による死亡時刻推定の追試 その3 試験紙編”

  1. 追試お疲れ様でした。試験紙を使った秋谷教授のpH時間推定法は、文献で「精度が低い」、「主観が混じる」と指摘されていますが、実際に画像で見るとはっきりと実感できますね。主観が混じるといってもどの程度か、という点が重要ですが、これは相当なものだと思います。何年か前の旧石器発掘捏造事件で「ゴッドハンド」という言葉がありましたが、今回の試験紙法で秋谷教授の学会報告にあるような美しい曲線が描けたのなら、測定した人の眼は「ゴッドアイ」といったところでしょうか。しかし、実際のところはそうではなく、ご指摘のとおり「教授とその下で働く者との力関係」と「主観が大いに混じる実験方法」が、下山事件という当時の社会に衝撃を与えた出来事の上で交差することによって、「死亡推定時刻午後9時」という主張は生まれたものなのでしょうね。

    事実というものは時の流れの中に埋もれやすく、それと反対に面白い「お話」は根拠もないのに自然発生的に次から次へと生まれてくるものですが、一連の事件関係ブログさんのエントリは、埋もれた事実とはどんなものだったのかを、直観的に実感できるような形で掘り起こしたという意味で非常に意義があると思います。

  2. コメントありがとうございます。

    当時の測定技術や精度を抜きに、あたかも事実のように「お話」が一人歩きしていると言えば、血液型の話もありますね。MN型やQ型の判定が、本当に線路や枕木にこびりついた微量の血痕で可能だったのか。当時の技術による判定の信頼性はどの程度だったのか。そういう点が無視されて「線路上の血痕は下山総裁と同じAMQ型だった」というお話が一人歩きするのは、その方が面白いからでしょうし、また、「下山事件の権威」である矢田喜美雄氏や柴田哲孝氏がそう言っているから、そういうものかと思ってしまうということでもあるでしょう。しかしそういう権威への盲信は、「科学」から一番遠いところにある態度だと思います。

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