「狭山事件を推理する」サイトに、伊吹隼人氏による追加取材報告が発表されています。
この件に関しては伊吹氏ご本人からも多少のお話しを伺っていますが、真犯人推理だけではなく石川さんの裁判にも大きな影響がありうる話なので、現時点では上記発表以上のことに触れるのは差し控えさせていただきます。是非とも上記リンク先を読んでいただきたいと思います。
「狭山事件を推理する」サイトに、伊吹隼人氏による追加取材報告が発表されています。
この件に関しては伊吹氏ご本人からも多少のお話しを伺っていますが、真犯人推理だけではなく石川さんの裁判にも大きな影響がありうる話なので、現時点では上記発表以上のことに触れるのは差し控えさせていただきます。是非とも上記リンク先を読んでいただきたいと思います。
狭山事件を推理するサイトに、伊吹氏からの告知が出ました。27日朝、版元の風早書林の社長さんが急死されたとのことです。謹んでお悔やみを申し上げます。
本については、引き取り元がないとこのまま絶版になりそうとのことで、狭山事件研究という世界においては大きな打撃ですね。
出版社の社長さんの体調不良もあってなかなか流通がうまくいかないというお話しは以前から伺っていたのですが、このような形になってしまったのは非常に残念です。
(4月30日追記)一部で「また狭山事件関係者に変死者が」みたいな話があるようなので、念のため。私が伺った話では、版元の社長さんはかなりご年配の方で、以前から体調がすぐれず「余命何ヶ月」という話があったとのことです。今回お亡くなりになったのもその持病の関係と思われ、特に「変死」ということではないそうです。以上、とりあえず都市伝説化の防止のために書いておきます。
「女性自身」に掲載された被害者の日記シリーズ、最後のページです。
本日の引用部分で真っ先に目に付くのは、4月26日の部分です。
4月26日(金)晴
(前略)これからのバカンスのことを考える。
今晩も涙を流し、眠りに入った。
つらい。苦しい。それもみんなおこづかいのことだ。涙が枕元を流れた……
(原注)(ゴールデンウイークのこづかいが少ないことで(被害者)さんはなやんでいた。姉の(次姉)さんは、あとでこの日記を見て、「生きているうちに、もっと好きなことをさせてあげたかった」と泣いていた)
「埋め墓」:詣り墓からは100~200mほど離れた、寺の裏手の墓地のはずれにある
前回エントリで再度調査・確認の必要があるとした、被害者宅における「両墓制」の可能性について、改めて現地調査を行いました。参加者は、伊吹隼人氏と新井泉氏です(「狭山事件を推理する」サイト管理人氏は都合により不参加)。
結論から申し上げると、「両墓制」は宗派とは関係ない土着の習俗に近いものであり、真言宗智山派だから両墓制ということはないこと、狭山市内で両墓制を行っていた区域は入間川沿いの一部の区域(被害者宅とは相当離れた地区)に限られることが改めて確認されました。従って、「狭山事件を推理する」サイトにおける被害者宅は両墓制ではなかったという議論は、現時点では妥当なものであることがほぼ再確認されたと言ってよいと思います。
被害者宅の前から撤去されたあと行方がわからなくなっていたY枝地蔵について、「現在別のところに移転されている」という情報をコメントでいただき、独自に調査したところ実際にありました。情報ご提供者の意志を尊重し、詳しい場所は差し控えますが、写真のみ証拠としてアップさせていただきます。
台座の部分に「枝地蔵」と書かれているのがご覧いただけると思います。
なお、この地蔵が現在安置されているお寺は被害者家(N家)の菩提寺で、宗派は真言宗智山派とのことです。狭山市内で両墓制を行っていた寺と同じ宗派ということになりますので、一度はほぼ否定された「被害者宅が両墓制だった」という説について、再度確認・調査が必要になってくるかと思います。
「狭山事件を推理する」サイトにて、現地見分のお知らせが掲載されています。
http://sayamac.blog21.fc2.com/blog-entry-54.html
私(当ブログ管理人)も参加させていただく予定です。また、伊吹隼人氏が案内役として同行します。本事件にご興味がある方は是非ご参加ください。お申し込みは上記リンクをご参照ください。
参加可能な人数に限りがありますので、締切になってしまった場合はあしからずご了承ください。