狭山事件の真犯人を推理する上で、最低限説明しなくてはならない4つのポイントがあります。
- 動機。犯人はなぜ被害者を殺害して埋めたのか。
- 脅迫状を書いたのは誰か。どうやって被害者宅に届けたか。
- さのヤに来たのは誰か。なぜ刑札の包囲を突破して逃げることができたのか。
- 被害者の遺体を埋める際に、なぜ不可解な工作をしたのか。
その他にも、殺害方法など一般的に殺人事件において問題とされる様々な問題についても説明する必要はあります。しかし、上記の4点が「狭山事件の真犯人」の推理で最も重要なポイントであることは議論の余地がないでしょう。
これらの中で最も重要なポイントは何かというと、実は三番目の「さのヤに来たのは誰か」という点に集約されると思います。この時点で真犯人(複数犯であれば一味のうちの誰か(複数の可能性もあり))が刑札の包囲の真ん中に姿を現し、悠々と逃げおおせたのは確実な事実と思われ、それをどう解釈するかで、狭山事件に関する全体の推理もほぼ決まってきます。逆に言えば、さのヤの件から想定される犯人像とつじつまを合わせるために他の3点を何とか説明するというのがこれまでの狭山事件推理の主流的な手法で、でもすべては説明できずに謎が残るという結果になっていると思います。
(注記)こう書くと「従来の手法を否定している」と取られるかも知れませんが、私(管理人)もそれがまっとうな推理の手順だと思いますし、限定された情報の中で謎が残るのもやむを得ないと考えています。
さのヤの夜(身代金受渡し)に関しての一般的な説明は、身代金受渡しならびにその補足をご参照ください。
さのヤに来たのは誰か、また、なぜ逃げることができたのかに関して、これまで下記のような解釈が提出されてきました。
- たとえ捕まったとしてもその場にいておかしくない人(言い逃れができる人)→身内犯行説(長兄説)あるいは劇団おまわり説
- 近所の住民で状況をよく知っている人、もっと言ってしまえば刑札犬が追いかけた方向である養豚場の関係者→養豚場関係者犯行説
- 犯人グループに刑札関係者が関与しており、犯人に配置等をあらかじめ教えていた→刑官関与説
- まったくの僥倖。犯人は深く考えもせず現場に現れ、ラッキーで逃げおおせた→上記以外
以下、上記の解釈から派生する説について説明します。
- 1-a: 身内(長兄)犯行説
- こちらのエントリでも紹介したように、長兄説が長い間狭山事件の推理において主流派を占めた理由の一つがこのさのヤの夜の解釈にあります。被害者の身内であり、近く(といっても500mほどの距離がありますが)まで次姉を車で送ってきた長兄であれば、万一現場のそばで捕まっても「心配になって来てみた」などと言い逃れができます。ただし、上記のエントリでも書いたように、私(管理人)としては動機面や、そもそも長兄はPTA会長やA先生に声を知られているはずという点からこの説には賛同できません。
- 1-b: 劇団おまわり説
- こちらのエントリでも説明した説です。身代金受渡の本番は前日(5月1日夜)で、そのとき刑札は犯人を逃してしまった。それを隠蔽するために2日の夜に刑官を犯人役に立ててもう一度犯人取り逃がしのお芝居を打ったというものです。そんなことをした理由は、5月1日夜時点では被害者が生きていた公算が強く、犯人を逃がしたために被害者が殺されたということになると刑札に大きな批判が集まってしまうから、というものです。個人的には、これをやるメリットと比較して万一発覚した際のデメリットが大きすぎると思うので、あまり賛同できません。
- 2: 養豚場関係者犯行説
- 「おらあ帰るぞ」の後、刑札犬が追いかけていったのがI養豚場の方向であり、においを見失ったののも不老川近辺(養豚場のそば)でした。従来、「狭山事件」に関しては被差別部落問題が関係しており、「刑札がI養豚場へ見込み捜査を進めたのは差別心の現れである」という主張が大きくなされてきたために、真犯人の推理に関しても養豚場関係者は除外される傾向がありました。しかし、上記の刑札犬が追いかけていった方向や、さのヤで犯人が現れた方向、当日畑の中を明かりも持たずに走って逃げることができたこと(さのヤ周辺の地理を熟知していたこと)、刑札の配置を熟知していたこと、などからフラットな立場で事件を推理していくと、この説も一定の信憑性を持っていると思います。
- 3: 刑官関与説
- 「劇団おまわり」との違いは、刑官が個人で犯人グループに協力したか、刑札が組織として「取り逃がし」を演出したか、という点にあります。この説は他の各説と複合することも可能です。例えば、さのヤに現れたのは養豚場関係者だったが、犯人グループに刑札関係者がいて配置情報が入っていたので落ち着き払って対応できたという解釈もできます。
- 4: それ以外
- さのヤに現れたのは、犯人グループの中でも「鉄砲玉」として扱われていた下っ端であって、捕まってもいい存在として現場に現れた。あるいは単独犯だがあんまり物事を考えずに現場に来てしまったという解釈です。しかし、前者の推理に関しては、それで「鉄砲玉」が捕まった場合に芋づる式に犯人グループ全員が逮捕されるという可能性もなくはないわけで、そこまでの危険性を冒すかどうかに疑問が残ります。後者に関しては、脅迫状に見られるような周到さとさのヤでの軽率さが同一人物の行動とするのはあまりにも整合が取れない感じがあります。
私個人としては、上記の2か3、あるいはその複合だろう、と考えています。
身代金を得ることが主目的であれば、それこそ吉展ちゃん事件のように「さのヤの横の交差点の道ばたにカネを置いておけ」というような指示が可能だったでしょう。しかし、現場に来た犯人があっさり「おらあ帰るぞ」と言って帰ってしまったことからも、犯人(あるいは犯人グループ)の目的は身代金ではないことは明らかだと思います。上記4.のバリエーションとして、「主犯はカネに執着していなかったが、実行犯があわよくばカネを取ろうと思って現場に来た。しかし、捕まりそうになったのであわてて逃げた」という解釈もありますが、現場の行動から言ってそれもないと思います。
身代金が目的でなければ、犯人(グループ)はなぜ現場に現れたのか。それはやはり、一般的に言われているように、身代金目的であることを偽装したかったから、ということでしょう。つまり、真の動機は身代金目的ではない、ということです。
消費者物価指数によると、現在は、物の値段が1963年の5倍くらいになるそうでそうすると身代金20万というのは、いまの価格に換算すると100万になるんです。小原保が要求したのは50万。いまの価格に直すと250万。小原も身代金としては、それほどの額を要求したわけではないんだが、狭山事件は、その半分以下で営利誘拐とされる事件史上、最も安い身代金といえると思うんです。現代でも16才の少女が誘拐され犯人は身代金100万を要求と、テレビで報道したら、ずいぶん欲のない犯人だなと、私たちは思うんじゃないでしょうかもっとも現代の犯人は、金よりも、さびしさを埋める為に誘拐しましたと、いうかもしれませんが。それはともかく、大人達が真剣な顔で誘拐の謀議をし、100万要求はありえない分け前が大きければ参加。分け前がすくなければ参加しないそれが金目当ての犯罪。だから狭山事件も、100万とるための複数犯による誘拐ではない。三人で割ればひとり30万。計画に乗る奴がいるわけない。これがもし当時の金で300万要求なら、いまだと1500万。三人で割ればひとり500万。もしこっちだったら、47年経ったいまにおいても、金目当ての複数犯説が強かっただろうと思いますね。真犯人の情報操作の目論見の失敗、それは脅迫状で複数犯を装いながら、いまの価格で100万しか要求しなかった、その妙な欲のなさにあると、いえるのではないでしょうか。
警告です。
エル=陥=クメラ=忿竪=ランティ=匿名 様へ
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