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狭山事件入門: 被害者の家族

被害者の長兄と次姉とぬこ毎日新聞昭和38年6月23日付より 被害者の長兄と次姉とぬこ

以下、被害者家族の情報です。生年で(?)がついているのは没年齢や事件当時の年齢などから推定したもので、1年くらいのズレがある可能性がありますがご容赦ください。

  • 父親。明治38年(1905年)生まれ。平成2年(1990年)没。
  • 母親。明治41年(1908年)生まれ(?)。昭和28年(1953年)没。享年45。死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死したこともあり、この死に疑問を感じる人もいる。1933年に嫁入りしてきた翌朝、庭に墓石が投げ込まれていたという話がある。
  • 長女。昭和9年(1934年)生まれ(?)。事件の8~9年ほど前に家を出て東京で働いていた。実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に入れてもらえなかった。
  • 長男。昭和12年(1937年)生まれ(?)。ご存命。詳しくは下記。
  • 次女。昭和15年(1940年)生まれ(?)。昭和39年(1964年)没。享年24。自殺だった。詳細は下記。中学卒業後、高校に行かず家業を手伝っていた。さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。
  • 三女。昭和16年(1941年)生まれ。昭和18年(1943年)没。享年3。
  • 次男。昭和19年(1944年)生まれ(?)。昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。
  • 四女。昭和22年(1947年)5月1日生まれ。昭和38年(1963年)5月1日(?)没。享年16。狭山事件の被害者。
  • 三男。昭和27年(1952年)生まれ(?)。後に他家に養子に出た。

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狭山事件入門: 2ちゃんねるオカルト板での推理・議論

狭山事件に関して、2ちゃんねるオカルト板に立てられていたスレでかなり濃い議論が展開されていました。実を言うと、私(管理人)がこの事件に興味を持ったのもこのスレが発端だったりします。

というわけで、とりあえず過去ログをHTML化して上げておきます。一番の見所は、1スレ898氏の「伯父さん」から聞いたという話です。これは、狭山事件フリークの作り話だとしても良くできていて一読に値します。

「狭山事件入門」入り口はこちら

狭山事件に関する本はこちら

狭山事件: 入門編の身代金受渡しに関する補足 その2

東京新聞昭和38年5月4日付朝刊東京新聞昭和38年5月4日付朝刊

この記事のコメントでご要望をいただいた、より見やすい写真です。マイクロフィルムや縮刷版ではなく、当時配達された新聞そのものが閲覧できる某所の図書館で取ったコピーです。なお、サンケイ新聞はこの図書館に配達された版では違う写真が出ていました。

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狭山事件入門: 身代金受渡し

身代金受渡場所身代金受渡場所
白い×印が次姉が立っていた場所。犯人は手前の茶畑の中から現れた。

事件発覚の経緯に諸説あるように、身代金受渡しに関しても諸説あります。以下、まずは例によって裁判所が認めた公式の経緯です。

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狭山事件: OTくんの目撃証言 その4

『狭山事件を推理する』『狭山事件を推理する』

『狭山事件を推理する』から、OTくん(引用部分では「福富孝」という仮名になっています)の証言に関する部分です。この部分で、

○時二十分ころ給食を終えて帰宅し、再び学校へ行き一時間位遊んで帰宅し、東中に出かける途中で(被害者)に出会い、東中で試合の見物をした。

東中での試合が終わった後、テニスの試合を見に西中に行くとそのうち雨が強く降ってきた

というOTくんの話が出ています。ところが、困ったことに、OTくんの証言のうち、この内容が出ている資料は今のところ『狭山事件を推理する』しか見あたりません。長兄の手記の件などもあり、この本に出てくる話を鵜呑みにするのもちょっと危険な感じがあるので、この辺は是非とも裏がほしいところです。もし上記内容が他の資料にも掲載されているのをご存じの方がいらっしゃればご教示下さい。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その3

前回のエントリで論じたとおり、野間宏『狭山裁判』にある先生自身の証言を信用するなら実話ナックルズの説は荒唐無稽で済ませられるのですが、いろいろな証言を総合するとそうもいかないのではないか(可能性として考察する価値は十分にあるのではないか)という気がしてきてしまいます。

最も大きな問題として、A先生が試合のために引率していたと証言している堀兼中学野球部は、事件当日の5月1日には試合がなかったのではないか、という点があります。

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狭山事件: 自転車を押す人影

埼玉新聞昭和38年6月11日付朝刊埼玉新聞昭和38年6月11日付朝刊

6月にはこんな報道もされていました。

確定判決通りの時間経過であれば犯人が自転車を納屋に持ってきたのは7時30分~40分の間で、当日は土砂降りの雨だったためほぼ真っ暗な状態だったと考えられます。そんな時に門の前から庭にいた人間の顔が見えるはずもなく、「それが石川さんに似ていた」というのは証言としては何の意味もないと思います。しかしこの、「7時過ぎに被害者宅で自転車を押している人を見た」というのは事実なんでしょうか?そういう人間が存在していたとすると、「自転車はどこかに置かれていたものを長兄が車で持って帰ってきたのではないか」という推理は成立しないことになります。自転車のサドルは濡れていなかったとされているので、自転車を押している人がいたということ自体が刑札のでっち上げである可能性が高いのですが、ちょっと気になる証言です。