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狭山事件: 『46年目の現場と証言』 その2

2008 年 12 月 11 日 木曜日

「狭山事件を推理する」サイトの方で、著者インタビューの第二弾が掲載されています。

前回(インタビュー其の一)と併せて、インタビューの中で明かされている内容と本サイトでこれまで検討してきた内容についていくつかコメントさせていただきます。

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狭山事件: 被害者の後頭部の傷

2008 年 10 月 14 日 火曜日

被害者の後頭部1被害者の後頭部の写真 『狭山事件公判調書 第二審』より

被害者後頭部その2被害者後頭部その2

ようやくPCが戻ってきました。まる1ヶ月以上更新が滞ってしまいましたが、今後できるだけ更新していきたいと思っています。

さて、先日殿丘駿星さんのメルマガ「コラム・ゆりかもめ」において、狭山事件被害者の後頭部に残された傷について指摘がありました。とりあえず当該の写真をうpしておきます。上の写真はふつうにスキャンしたもの、下の写真は、頭の上に置いてある目盛りが見えるようにコントラストを上げたものです。この目盛りについて、1目盛りの大きさは明記されていませんが、頭の大きさ(16歳女子なので頭の幅は15~20cm程度でしょう)から考えると一目盛りは1cm、従って傷の大きさは1.5cmというところと思われます。後頭部に1.5cmというのはかなり大きな傷であり、殿岡さんが指摘しているように生前に受けた傷であればここから相当量の血液が出たと思われます。しかし、裁判における弁護側の再三の証拠開示請求にもかかわらず裁判所と検察は「殺害現場」の血液反応検査結果を開示していません。日本で初めてルミノール液による血痕反応の検査が行われたのは昭和24年の下山事件の捜査でしたので(ある意味(笑))、昭和39年の狭山事件当時には当然のように「現場」(「殺害現場」だけでなく、一時的に死体を隠していたという「芋穴」や、その途中の運搬経路とされる農道を含めて)のルミノール検査は行われたはずです。このようなかなり基礎的な事項についても裁判所と検察が証拠開示を行わないという事実が、狭山事件が「暗黒裁判」と言われる一つの大きな要因になっています。

2008年12月23日追記: 後頭部の傷は、公判調書で公表された鑑定書(五十嵐勝爾埼玉県警技師医師作成)によると長さ1.3cm、幅0.4cmとのことです。こちらもご参照ください。

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狭山事件: 洋裁生殺し事件 その3

2008 年 8 月 27 日 水曜日

北海道新聞 昭和37年11月22日付北海道新聞 昭和37年11月22日付

すいませんまた間が空きました。

「洋裁生殺し」の概要ならびに狭山事件との関連性については、以下の記事も参照してください。

  1. 洋裁生殺し その1
  2. 洋裁生殺し その2

今回の画像は、事件が起こった地元の北海道新聞で、犯人が妻と心中した直後に出た記事です。

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津山事件: 「妻 殺戮」 その2

2008 年 8 月 5 日 火曜日

最近、「不思議ナックルズ VOL.15」に「津山三十人殺し 七十年目の真実」という記事が、「漫画実話ナックルズ」増刊Vol.8 THE WORSTに「津山30人殺し 隠された血の宿命」と題する記事が相次いで掲載されました。

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狭山事件: OGについて その4

2008 年 8 月 2 日 土曜日

埼玉新聞昭和38年5月7日付朝刊埼玉新聞昭和38年5月7日付朝刊

証言の矛盾を解消しようと前回導入した「OGはいったん外出してまた戻ってきたよ説」についても、それにさらに矛盾する証言があります。

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津山事件: 被害者の墓

2008 年 8 月 1 日 金曜日

お墓1

お墓2

お墓3

お墓4

津山事件の現場である貝尾部落を訪問したルポにはよく「墓場に入った我々は慄然とした。墓の多くの命日が『昭和十三年五月二十一日』となっていたのである」みたいなことが書いてあります。

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狭山事件: OGについて その3

2008 年 7 月 31 日 木曜日

OGに関する資料を読み返していたら、前回箇条書きで書いた内容は、実は刑札の捜査資料(で、石川さんの裁判の際に弁護側に開示されたもの)をベースにしていることに気がつきました。

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津山事件: 「妻 殺戮」

2008 年 7 月 27 日 日曜日

『「八つ墓村」は実在する』より『「八つ墓村」は実在する』

蜂巣敦さんの『「八つ墓村」は実在する』に、事件の被害者の墓について

なかには、「妻 殺戮」と刻まれているものまであった。

という記述があり、読んだときに「いくらなんでもこりゃ嘘だろう」と思っていました。ところが、貝尾を歩いていてひょいと上の方を見上げたら、本当に「妻 殺戮」と書かれた墓を見つけて全身に鳥肌が立ちました。

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狭山事件入門: 被害者の家族 その3

2008 年 7 月 26 日 土曜日

今回は、予定を変更して次姉の「夫」に関する情報をまとめてみます。以下、「夫」本人の石川さんの裁判における証言からの抜粋です。

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狭山事件入門: OG

2008 年 7 月 22 日 火曜日

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG近影

東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居東京新聞昭和38年5月7日付朝刊より、OG新居

事件関係者で、まず最初に「自殺」したのがOGです。OGは、被害者の葬式が行われた5月6日の朝に、農薬を飲んで実家の庭にある空井戸に飛び込んで自殺しました。このOGは、下記のような理由で事件への関与を疑われています。

  1. 中学卒業後に被害者宅で作男として住み込みで働いた経験があり、被害者と顔見知りだった。
  2. 翌日、5月7日に結婚式を控えていたにもかかわらず6日に「自殺」した。ちなみに、遺書には「病気に負けた。すまない」と書かれていた。
  3. 被害者宅で作男をした後、PTA会長の兄(「しょうじ」氏)の家で作男をしていたこともある。
  4. 事件当時はS通運(運送会社)に勤務していた。その営業所は、被害者が人を待っているような姿を目撃された第一ガードのそばにあった。
  5. S通運では、被害者の遺体に付随していたタオルや手ぬぐいの配送を取り扱ったことがあるという話がある。ただし、取り扱っていないという話もあるので確定ではない。
  6. 事件翌日、5月2日頃からノイローゼ状態となり(医師の診断があるわけではなく周囲の人の評)、5月4日(被害者の遺体が発見された日)は会社を無断欠勤した。5月5日は日曜日&こどもの日で元々休みで、6日は月曜日で出勤予定だったが出勤前に「自殺」した。
  7. 筆跡について、脅迫状の筆跡と似ている点と似ていない点が五分五分と刑札から発表された。筆跡鑑定の詳細やOGの筆跡そのものは、石川さんの裁判の中で弁護側から裁判所に何度か正式に証拠開示請求されたがすべて却下されており、公開されていない。
  8. OGの血液型はB型で、被害者の体内に残されていた精液と同じ血液型だった。
  9. 遺体発見現場の近く(200~300m程度の距離)に新居を建築中で、9割方できあがっていた。この新居に被害者の遺体を隠匿していたのではないかという推理もある。

飛び込んだ井戸は底の方がじめじめしている程度の空井戸でしたが、刑札の公式発表では死因は「溺死」とされました。

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