カテゴリーアーカイブ: 狭山事件

狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その4

『狭山事件 無罪の新事実』『狭山事件 無罪の新事実』

前回のエントリへのコメントで、「狭山事件を推理する」サイト管理人さんより、さのヤに犯人が来たときにA先生もPTA会長と一緒に次姉に付き添っていたという話の出典をご教示いただきました。ありがとうございます。 確かに、上で引用したように、『狭山事件 無罪の新事実』の244ページに

(被害者)の中学の英語担任の(A先生)教諭の参加も大目に見たのもそういうわけである。

という記述がありました。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その3

前回のエントリで論じたとおり、野間宏『狭山裁判』にある先生自身の証言を信用するなら実話ナックルズの説は荒唐無稽で済ませられるのですが、いろいろな証言を総合するとそうもいかないのではないか(可能性として考察する価値は十分にあるのではないか)という気がしてきてしまいます。

最も大きな問題として、A先生が試合のために引率していたと証言している堀兼中学野球部は、事件当日の5月1日には試合がなかったのではないか、という点があります。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」 その2

まず、事実誤認と思われる点を確認したいと思います。

前後関係から見ておそらく、ここで言及されている「先生」というのは、被害者の中学三年生時代の担任で、事件当日に第二ガード下で被害者を見かけたと証言しているA先生でしょう。被害者の過去の担任でマスコミや事件関係の書籍で採り上げられている「先生」は、この人を除くと高校の先生くらいしかおらず、高校の先生は女性であるために「実話ナックルズ」の記事の文脈から考えて該当しないからです。以下、野間宏『狭山裁判』に叙述されているA先生の証言を中心に検証します。

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狭山事件: 「プロファイリングで解く重大事件」

「実話ナックルズ」2008年3月号で、狭山事件と帝銀事件の真犯人を苫米地英人氏がプロファイリングで解くという記事が掲載されました。この中で、特に、狭山事件に関して「苫米地氏は、いままで誰も提起しなかった驚愕の真犯人像を切り出した」というキャッチコピーがあります。

以下、ネタバレがありますのでまだ記事を見ていない方は見ないことをお勧めします。

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津山事件: 下山事件: 新風舎と草思社が民事再生法適用を申請

新風舎が民事再生法適用申請

草思社が民事再生法適用申請

『謀殺 下山事件』の文庫本を出していた新風舎が2008年1月7日付で民事再生法適用を申請したのに続いて、1月9日付で『津山三十人殺し』の単行本版の版元である草思社が民事再生法適用を申請したとのことです。相次ぐ民事再生法適用申請で、この手の良質なノンフィクション書籍を出していた出版社が相次いで事実上倒産するあたりに時代の流れを感じます。

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狭山事件: 特別重要品触 その2

毎日新聞昭和38年5月9日付朝刊毎日新聞昭和38年5月9日付朝刊

前回のエントリで採り上げた品触の写真が真っ黒になっていて見えにくかったので、毎日新聞の方からもう少し見やすい写真を。

見て判るとおり、どう見てもダレスバッグ(ダレス鞄)ではありません。(…本当にありがとうございました。)

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狭山事件: 特別重要品触

『冤罪・狭山事件』『冤罪・狭山事件』より、「特別重要品触」

佐木隆三の「ドキュメント狭山事件」などでは、被害者の父親が狭山署員に語ったという 「薄茶色の一見皮製に見えるチャック付きのカバン」という表現に対して、実際に出てきたカバンが皮製であったということをもってカバン自体も捏造・すりかえられたものではないかと疑いをかけています。しかし、5月8日時点で出された品ぶれで「牛革製」と明記されていますので、その疑いはあたらないのではないかと思います。

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狭山事件: 死体発見者2人 その2

週刊朝日 昭和45年12月18日号週刊朝日 昭和45年12月18日号

広○さんが第一発見者として採用されなかった理由は、広○さんが死体と共に「あるもの」を発見したからではないか、とされています。

ここで重要な証言として、ご本人が、(イモ穴の)「中をのぞくと一目瞭然(被害者)ちゃんの所持品と思われる ものが見えた。だからこの近くが怪しいと思って探したんだ」と言っています。事件から7年経っていることもあってか、その「一目瞭然所持品とわかるもの」が何だったかについては「カバンだったか上着だったか…」とあやふやになっていますが、いずれにしても、すぐ近くのイモ穴にのぞいてすぐわかるような状態でそういったものを捨てていたということは、犯人は死体を隠すつもりがなかった(ある意味では早く発見してほしかった)ものと考えられます。

また、これがルポライターの栗崎氏が言うようにカバンだったとすると、どこへ行ってしまったのでしょうか?刑札で保管されていて、後に「三大物証」の一つとして「自白」に基づいて「発見」されたカバン(このカバンについてもいろいろ疑惑が持たれたりしていますが、それはまた別の機会に)になったんでしょうか。

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狭山事件: 死体発見者2人 その1

週刊朝日 昭和45年12月18日号週刊朝日 昭和45年12月18日号

死体発見者が2人いた、という話です。この項、「発見者」お二人の名前のイニシャルがたまたま同じなのと、記事中でも完全に伏せてしまうとわけがわからんので、仮に橋×さんと広○さんと させていただきますが、橋×さんが法廷に呼ばれて死体発見の経過を証言したのに対して広○さんは呼ばれもしなかったとのことです。この証言を読むだけでもめちゃくちゃですね。死体が埋められていた深さが30cmくらい(実際には90cm)だったり、「固いために、いや、やわらかいために…」(どっちなんだ)と言ってみたり。(次回に続く)

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狭山事件: 自転車を押す人影

埼玉新聞昭和38年6月11日付朝刊埼玉新聞昭和38年6月11日付朝刊

6月にはこんな報道もされていました。

確定判決通りの時間経過であれば犯人が自転車を納屋に持ってきたのは7時30分~40分の間で、当日は土砂降りの雨だったためほぼ真っ暗な状態だったと考えられます。そんな時に門の前から庭にいた人間の顔が見えるはずもなく、「それが石川さんに似ていた」というのは証言としては何の意味もないと思います。しかしこの、「7時過ぎに被害者宅で自転車を押している人を見た」というのは事実なんでしょうか?そういう人間が存在していたとすると、「自転車はどこかに置かれていたものを長兄が車で持って帰ってきたのではないか」という推理は成立しないことになります。自転車のサドルは濡れていなかったとされているので、自転車を押している人がいたということ自体が刑札のでっち上げである可能性が高いのですが、ちょっと気になる証言です。

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