伊吹隼人さんのインタビューの続きは、OS3氏です。
OS3氏についてはこちらをご参照ください。
参考までに、伊吹さんがに書いていただいたまとめを掲出しておきます。
※OS3氏=OG新居の2軒隣の家の住民。野間宏氏の『狭山事件』によれば、事件当日OS3氏は隣家のOS2氏と荒神様に出掛け、その途中OS2氏は新居の中にいたOGから「OS2さんですか」と呼び掛けられたという。
OSという同じイニシャルの人が多いため、紛らわしくてすいません。OS2氏とOS3氏は、苗字も違っています。
- 事件の日、自分はメーデーで会社が休みだった。
- 事件当時、自分は30代半ばだった。
- あの日は確かにOS2氏と荒神様に出掛けている。OS2氏に「ダルマを買いにいかないか」と誘われた。
- 外は明るくて雨も降っていなかった。そんなに遅い時間ではない(伊吹氏による注:OS2氏の記憶では午後3時頃。刑札発表では午後5時頃。なお、当日は4時20分から豪雨となっている)。
- OG氏に声を掛けられたのは覚えていないが、OS2氏が声を掛けられていたかもしれない。
- OS2氏は青柳出身で、以前OG氏の家の近くに住んでいたので、たぶん元々知り合いだったのだと思う。
- 家があったのは覚えているが、OG氏と会ったことはなかった。新居を建てた後も別に挨拶には来なかった。
- 警察は2度聞き込みに来た。
- 5月2日か3日か分からないが、OS2氏の長男と犬の散歩に出かけたら、近くの農道の一部が不自然にへこんでいて、赤土が出ていた。その時は「変だな」と思った。
- 警察が聞き込みに来た時、その話をしたら、後になってその場所から死体が出てきた。
- 当時このあたりは雑木林があって街灯もなく、夜は真っ暗。(死体発見現場方向へは)とても歩いて行ける感じではなかった。
伊吹さんによれば、OS3氏にはこれまで3回門前払いを食わされていたのに、今回はこれだけ詳細な話をしてくれたとのことです。
このインタビューの中で特に重要なのは、以下の2点ではないかと思います。
- 外は明るくて雨も降っていなかった。そんなに遅い時間ではない(OS2氏の記憶では午後3時頃。刑札発表では午後5時頃。なお、当日は4時20分から豪雨となっている)。
- OS2氏は青柳出身で、以前OG氏の家の近くに住んでいたので、たぶん元々知り合いだったのだと思う。
1つめの証言から、こちらの記事でも問題にした、OS2氏がOGに声を掛けられた時間について、少なくとも午後5時という刑札発表が捏造であることがほぼ確定と言ってよいのではないかと思います。
また、2つめの証言から、OS2氏とOGが以前から知り合いであり、OS2氏がOGを見間違える可能性は非常に低いことがわかります。
ただし、OS2氏がOGに声を掛けられたのがOS2氏の証言通り午後3時とすると、S通運の同僚の証言との整合性が問題になります。
サンケイ新聞昭和38年5月7日付夕刊
この記事によれば、3時40分頃~4時過ぎまでOGがS通運の事務所にいたことは、時計を見ての証人が2人もいることからほぼ確実であると思われます。
S通運からOG新居までは自転車なら10分もかからない距離なので、4時過ぎにS通運の外で弁当箱を自転車にくくりつけていたのであれば、雨が降り出す前(4時15分頃?)にOG新居に到着し、そこでOS2氏に声を掛けることは一応可能です。ただし、OG新居から荒神様まで歩くと10分以上かかるため、OS2/OS3氏の2人がOGに声を掛けられてから荒神様に行き、(ダルマを買って)帰ってくるまで「外は明るくて雨も降っていなかった」というのはおかしいことになります。
したがって、OG新居でOGと会ったのが「午後3時」というOS3証言は、正しいものと考えられます。
そうなると、OGは午後3時前にいったんS通運を出て、3時頃に新居にいたのに、3時40分頃までに再度事務所に戻り、4時過ぎにS通運を再度出発したという推定がかなり確実なものとなります。以前の記事にも書いたとおり、このOGの行動は、被害者の「3時前にいったん学校を出て、その後学校に戻り、3時23分に再度出発した」という行動と奇妙に符合します。
被害者が当初人を待っているようにしているところをA先生に目撃された第二ガード、川越高校入間川分校、OG新居、S通運事務所は、いずれも自転車であれば10分もかからない距離であり、OGの外出時間と被害者の外出時間が(一致していないまでも、かなり)重なっていることは、単なる偶然ではないのではないかと思います。
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