狭山事件: OGについて その5

東京タイムズ昭和38年5月7日付

東京タイムズ記事に関するエントリその2です。今回は、5月7日付のOGに関する記事です。

この記事に関する伊吹さんのコメントは下記の通りです。

一番面白かったのは7日付けのOGに関する記事で、これはどこよりも詳しい内容となっています。

  1. OGは捜査線上に浮かんでいた
  2. OG死後、埼玉県警の中刑事部長がOGの遺書を手に記者会見で説明を行った
  3. OGは婚約者とはしばしば新居でデートするほど仲が良かった
  4. OGの新居は4月末に完成、5日までには新居の家具を全部運び終わっている
  5. 新居の建築費用は(OGの)長兄に出してもらった
  6. 結婚費用に困っており、4月に決まった挙式を5月7日に延期していた
  7. 事件の日は午後3時頃、新居に寄るのを近所の人が見ている。いつ出たのかは分かっていない
  8. 死体発見現場付近で自転車のタイヤ跡と地下タビの足跡が発見されており、捜査本部はこれが死体を運ぶ際についたものとみている
  9. 脅迫状とOGの昭和31・32年度の日記の筆跡には似ている点がかなり認められた

などの記事は他紙では見られないものですし、東京タイムズ記者が相当突っ込んだ取材をしているのは間違いないように思われます。

上記の伊吹さんの指摘は頷けるものばかりで、記事にある上記以外の内容に関しても現在でも「事実」と認識されているものが多いことから、この記事に関して東京タイムズ記者がかなりの取材をしたことは間違いなく、その意味で上記の内容にはかなりの信憑性があると思います。さらに、これまであまり知られていなかった内容も多く、私もこの記事を見たときにかなり興奮しました。

特に重要なのは下記の3点ででしょう。

  • これまである意味で噂レベルに過ぎなかった「OGの筆跡が脅迫状と似ている」という話について、具体的に埼玉県警の中刑事部長がOGの遺書を持ってマスコミに説明していたことが写真付きで報道されている。また、OGの昭和31・32年度の日記という具体的な比較対象が示されている: この点は、真犯人推理という観点からも、石川さんの再審請求という意味からも重要ではないかと思います。OGの筆跡鑑定はできないものでしょうか?
  • OGの新居建築費用はOGの兄が出した。本人は結婚費用に困っており、4月に決まっていた挙式を5月7日に延期していた: この点については従来、OGは新居もできたばかりで結婚も控えていて、自殺する理由も、事件に手を貸す必要性もないといわれていました。そして、OGが事件に手を貸したとすれば、その理由は何らかの脅迫等であるのではないかと推理されていたことが多かったと思います。それが実は新居の費用は兄に出してもらっていて、本人はカネに困っていたということになると、それが自殺の理由である可能性も、だから被害者誘拐に手を貸した(カネをもらう約束で殺害現場を提供した)という可能性も出てくることになります。
  • 死体現場付近の自転車のタイヤ跡と地下タビの足跡: このタイヤ跡は被害者の自転車と一致したのでしょうか?また、地下タビの足跡は佐野屋周辺で採取された物と一致したのでしょうか?特に後者に関しては、単独犯説VS複数犯説という、事件全体の構造の見方にかなり大きな影響を与えるものと思います。

現在の石川さんの弁護団が、「真犯人捜しはしない」という方針であることは十分に承知しています。しかし、上記の問題に関しては、真犯人捜しを抜きにした石川さんの冤罪の証明という観点からだけでも、検察に証拠開示を請求して検証するだけの価値があるのではないかと考えます。

追記

この記事の中で、犯人と話をした次姉が「声に心当たりがない」と証言していることをOG白説の根拠に挙げていますが、それはちょっと無理があります。OGが被害者宅で作男をしていたのは事件から15~6年前の「昭和22年4月から2年あまり」であり、その時次姉はまだ小学校低学年でした。作男をやめて以降のOGが被害者宅とあまり接点がなかったという話もあり、次姉が声に心当たりがないからOGではない、というのは成立しないでしょう。

ただし、OGは被害者宅の作男を辞めたあと、PTA会長兄の家で作男をしていました。元憲兵のPTA会長は兄の家で作男をしていたOGの声は知っているはずであり、そのPTA会長が佐野屋の張り込みに参加していたのに何も言っていない以上、佐野屋に来たのはOGではないというのはやはりかなり確からしい、とも考えられます。


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6 thoughts on “狭山事件: OGについて その5”

  1. こんにちは。
    このところいつもこちらにおじゃまして狭山事件について調べています。

    OGの突発的な死に方が気になり他のサイトでも色々見てみたのですが、「狭山事件を検証する」-「狭山事件の概要」で記されているOGのプロフィールには、勤務先が「第二ガード近く」とされており、さらに「OG新居」の項においては「勤務先から15~20分かかる」とされています。
    これは伊吹氏の書籍で示されている勤務先~新居への所要時間と明らかに異なりますが、これについて何かご存知の方はおられないでしょうか。
    どちらかが勘違いされていると言う事でしょうか?
    どのサイトか忘れましたが、第一ガードからOGの勤務先が確認できるので、Yさんはその場所を見ながらOGを待っていたという記述も見たことがあります。よろしくお願いします。

  2. OGの勤務先「西武通運入間川営業所」があったのは「第二ガード近く」ではありません。同営業所は当時入間川駅(現・狭山市駅)北側にあって、第二ガードからは約700m離れています。また、第一ガードからも約300m離れており、そこからOGの勤務先を確認することはできません。
    なお、同営業所からOG新居までは約500mで、徒歩なら約5分の距離です(私は結構早足の方だと思いますが)。このあたりは狭山市地図か、拙著『検証・狭山事件』または『狭山事件46年目の現場と証言』に掲載されている「狭山事件関係地図」をご覧になればお分かり頂けるかと思います。

  3. 伊吹さん、ありがとうございます。
    と言うことは検証サイト管理人さんが勘違いされていたということでしょうか。
    不思議なのは、検証サイトでも現地変遷写真集1のページにおいて、入間川駅の左(北)すぐの場所に石川さんが雨宿りした「荷小屋」があり、そのすぐ左に「西武通運入間営業所」があると記載されています。ということは検証サイトでもこのことは把握されているはずなのです。以前になんらかの理由でまとめたOGの資料がまちがっていて、それをそのままにしてあるということなのでしょうか?それとも第ニガード近くに出張所のようなものがあったのでしょうか?自分的にはまだきちんと頭の中で整理できませんがご回答感謝です。

  4. 事件の頃の狭山市地図を見ると、入間川駅前に「西武通運本社」、そこから150mほど北に離れて「西武通運入間川営業所」があるのみで、他に出張所・営業所等はまったく存在していません。
    したがって、「OG勤務地は第二ガード近く」「新居までは徒歩で15~20分」と記載されているとすれば(「検証サイト」管理人さんには申し訳ないのですが)、それは明白な誤り、ということになります。理由は分からないのですが、初期の頃に何かの混乱から間違った情報が掲載され、それが放置されたままになっている、ということなのではないでしょうか?

  5. 当該のサイトを制作している大西と申します。
    御指摘の頁の当該個所を訂正させて頂きました。
    仰る通り、その頁は最初期の頃に作成したもので、恐らく小生の全くの凡ミスであると思われます。事件を良く御存知無き方に誤った事実を流していた事であり、御指摘感謝します。

  6. 大西さん、ありがとうございます。
    と言うことは、検証サイト「基礎事実の検討1」-「奥富玄二-OGについて」の項にあります「OG新居」までの勤務先からの道のりは「徒歩で15~20分かかる」と言う記述もこれに紐付いた情報ということでよろしいのでしょうか。
    なお、こちらのエントリ記事に貼られている新聞記事からも、「入間川駅から新居まで歩いて6,7分」と言う情報が読み取れます。

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